2018年10月9日火曜日

甲州街道歩き【第8回:上野原→犬目】(その1)


99()、『甲州街道歩き』の【第8回】、上野原宿〜犬目宿を歩いてきました。前日の98()に江戸城外濠内濠ウォークを歩いたばかりで2日連続の「歴史探訪ウォーク」になります。同じ「歴史探訪ウォーク」と言っても、かたや新橋から銀座、有楽町、東京駅前といった東京の都心、それももともと日比谷入り江という海だったところ(すなわち真っ平らなところ)を歩くウォーキング、かたや甲斐路に入って河岸段丘の山道を登ったり下ったりしながらのウォーキング、趣きがガラッと変わります。そのギャップもまた一興ってものです。


今回の街道歩きのスタートポイントは前回【第7回】のゴールだった上野原市役所でした。この日もよく晴れて、頭上からは真夏のギラギラとした太陽が容赦なく照りつけます。この日は距離は比較的短いものの、相変わらず河岸段丘を登ったり下ったりが続くアップダウンの激しいコースです。水分補給をこまめにしないと熱中症が心配になりますね。



いつものように入念なストレッチ体操を終えて、街道歩きのスタートです。旧甲州街道を歩きます。旧甲州街道が通り、上野原宿という宿場もあり、現在も上野原市役所があるということは、かつてはこのあたりが上野原の中心部で、栄えていたと思うのですが、現在は人通りも少なく寂れてしまっています。JR上野原駅はここから1kmほど南の桂川沿いにあり、明治時代に鉄道(中央本線)の建設を宿場をあげて反対したので、時代の流れの中に取り残されていったのでしょう。


スタートしてすぐ、道端にでっかい石碑が立っています。こういう道端の石碑を見ると、旧街道歩きを実感しちゃいます。


これはクルミ(胡桃)の木ですね。果実がいっぱい付いています。


このあたりは「旧甲州街道」の案内表示が多く立っているので、その案内表示に従い、石垣に沿った道を進みます。


しばらく進むと、左手の眼下が開けてきます。


細い山道に入ります。「旧甲州街道 鶴川宿方面」という案内標識が随所に立てられているので迷いませんが、立っていなかったら、この細い道路がかつては甲州街道という幹線道路だったってことは分からないでしょうね。


しかし、江戸時代初期はここからまっすぐに伸びる細い道のほうが旧甲州街道でした。この先で渡る鶴川の氾濫により道路が寸断されたので、右に行く道路がその後に開拓されたとのことです


国道20号線に架かる歩道橋を渡ります。一面、新緑の木々。野田尻宿に向けて山梨県道30号大月上野原線に沿って進みます。


富士急山梨バスの鶴川入口バス停です。その鶴川入口バス停のところに「甲州街道史跡案内図」が立っています。


眼下の樹々の間に豊かな緑に囲まれた家々が見えます。河岸段丘を下っていきます。


ヘアピンの道を下ると、目の前に鶴川の流れが現れ、太公望達が膝まで水に浸かって鮎釣りを楽しんでいるのが見えます。清流なので鮎でも釣っているのでしょうか。


鶴川橋を渡ります。鶴川は同じ読みで都留川とも表記されていました。江戸時代、五街道の川越しは、通常橋梁によるものでしたが、鶴川は甲州街道で唯一人足による川越しの場所でした。この「鶴川の渡し」は、現在の鶴川橋のやや下流あたりであったと言われています。


こちらは上流側です。


こちらは下流側。この先あたりに鶴川の渡しがありました。向こうに見える高架道路は中央自動車道です。こちらは上流側です。


アユ()を釣っているのでしょう。川では何人もの太公望たちが長い竿を振っています。このあたりは「友釣り禁止」の標識が立っていますので、毛バリ釣りでしょうか?






……(その2)に続きます。

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