2020年2月24日月曜日

甲州街道歩き【第11回:真木→笹子峠】(その8)

笹一酒造を出て、阿弥陀海道宿の宿内を進んでいきます。JR笹子駅入口です。阿弥陀海道宿は小さな小さな宿場で、このあたりが諏訪方(西の出入口)でした。往時を偲ばせるものはほとんど残っていません。
 で、このJR笹子駅を過ぎたあたりが、次の黒野田宿の江戸方(東の出入口)でもありました。天保14(1843)に編纂された「甲州道中宿村大概帳」によると、黒野田宿は家数は79軒で、人口は334人。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠14軒という小さな宿場でした。前述のように、手前の白野宿と阿弥陀海道宿との3宿で人馬の継ぎ立て等の問屋業務を毎月115日は黒野田宿、1622日は阿弥陀海道宿、2330日は白野宿というように分担して務めていました。甲州道中最大の難所である笹子峠越えを控えて、たいそう賑わった宿場だったそうなのですが、今はその賑わいの跡を偲ばせるものはほとんど残っておらず、鄙びた田舎町って感じです。
 黒野田宿の町並みは現在は国道20号線と重なってしまったためか歴史を感じさせるような格子戸の古民家などを見ることはできません。しかし全体として旧街道の雰囲気を微かに感じることはできます。
  国道20号線の緩い登り坂を上って行くと、火の見櫓の下に「笠懸け地蔵」と呼ばれる変わった形の石地蔵が祀られています。頭に石の笠を載せているのですが、「地蔵」というより「笠懸け小僧」とでも言った方がピッタリな感じです。この笠懸け地蔵、安政2(1855)に創建されたもののようです。安政元年(1854)から翌安政2(1855)にかけては日本を揺るがす大事件が起きた年で、安政元年213日にはペリーが前年に引き続き黒船に乗って江戸湾に再来。33日には日米和親条約を締結しました。いわゆる「開国」です。同年46日には京都の大火により内裏を焼失。615日、安政伊賀地震、114日には安政東海地震、翌115日には安政南海地震(稲むらの火のモデル)117日には豊予海峡地震と甚大な被害をもたらす巨大地震が立て続けに発生しました。これらの地震は、南海トラフを震源とした地震であると推定されています。そして、1221日には日露和親条約も締結されました。翌安政2年にも大きな地震は相次ぎ、21日には飛騨地震、102日には安政江戸地震が発生し、江戸小石川の水戸藩邸で、水戸学の大家で全国の尊皇志士に大きな影響を与えたとされる藤田東湖・戸田蓬軒が圧死しています。このように世情が極めて不安定な時期で、この笠懸け地蔵にも世情の安寧を願うこのあたりの住民の思いが込められているのかもしれません。
  黒野田宿の本陣跡です。立派な屋敷門です。ここにも明治天皇が巡幸の際に一泊した記念碑が立っています。笹子峠越えを控えて、ここで一泊なさったのでしょう。
  ところで、有名な浮世絵画家の安藤広重もこの黒野田宿に宿泊したことがあったようなのですが、そこでかなりご立腹の様子ようです。安藤広重の甲州道中記には「扇屋へ行く、断る故若松屋といえるに泊まる。……壁は崩れ床は落ち、破れ行灯に欠け火鉢……」と散々にこき下ろして書いてあるのだそうです(笑)

黒野田橋で笹子川を渡ります。右手にJR中央本線の鉄橋も見えます。線路はこの鉄橋を渡ると、このまま笹子トンネルに入っていきます。
  普明禅院です。前述のように阿弥陀海道宿の宿名の由来となった行基が彫ったと言われる阿弥陀如来像が明治40(1907)に発生した山津波によって阿弥陀堂が倒壊したことによってこちらに移され、本尊として祀られています。
 寺の門柱の脇に「黒野田一里塚跡」があり、「江戸日本橋より二十五里」と刻まれた石柱が立っています。ですが、実際は「江戸の日本橋を出てから26里目」の一里塚です。塚木は松だったそうなのですが、一里塚の跡は何も残っておりません。
国道20号線を先に進みます。「動物に注意」の標識も出てきました。笹子峠の山が目の前に迫ってきています。確かに野生の動物が出てきそうなところです。
  笹子トンネル事故慰霊碑の標識が出ています。平成24(2012)122日にこのすぐ横を通る中央自動車道上り線の笹子トンネル内で天井板のコンクリート板が約130メートルの区間にわたって落下し、走行中の車複数台が巻き込まれて9名の方が死亡するという痛ましい事故が発生しました。この事故は日本の高速道路上での事故としては、昭和54(1979)に静岡県の東名高速道路で発生した日本坂トンネル火災事故や、平成24(2012)429日に群馬県の関越自動車道で発生した関越自動車道高速バス居眠り運転事故などを死亡者数で上回り、現時点まででは死亡者数が史上最多の事故となっています。その笹子トンネル事故の慰霊碑は事故現場から2km弱離れたこの上にあるトンネル出入り口付近と、8km余り離れた初狩パーキングエリア(PA)内の計2ヶ所に、NEXCO中日本によって建立されています。平成24(2012)12月に起きた事故ということで記憶にも新しく、この日の街道歩きの皆さんで慰霊碑のほうに向かって合掌をさせていただきました。
  屋影橋で再び笹子川を渡ります。
 甲州街道歩きで見慣れた石仏石塔群とも、しばらくお別れです。
  この先も国道20号線を進むのですが、緩い登り坂が続きます。目の前に山が迫ってきました。
  徐々に傾斜が急になってきたな…と思って振り返ると、「勾配8%」という標識が立っています。8%の勾配ということは、100メートル進むと8メートル登るということ。登坂車線が必要となるくらいの急勾配です。いよいよ甲州街道最大の難所と呼ばれる笹子峠にかかってきました。笹子峠の名所の1つ、「矢立の杉」の案内も出てきました。
 その先で新中橋を渡り、右にカーブすると笹子峠へ向かう登山道の登山口が見えてきます。いよいよここからが旧甲州街道最大の難所、笹子峠越えの始まりです。ここからの笹子峠越えは今年(2019)3月の【第12回】で歩きました。私にとっては目に覚えのある光景です。
   今回の【第11回】のゴールはその黒野田宿のはずれで、笹子峠へ向かう登山道の登山口にある天野記念公園の駐車場でした。ここは3月に歩いた【第12回】のスタートポイントであり、これで甲州街道全てが繋がったので、私にとっては、この天野記念公園の駐車場が『甲州街道完歩』の記念すべき地となりました。
そして、ついに貰っちゃいました。『甲州街道四十五次ウォーク 完歩証明書』!! 達成感は半端なく、素直に嬉しいです、はい。バンザァ〜イ!! \( ˆoˆ )/(´▽)/(*ω*)
この日は距離にして17.6km、歩数にして24,010歩、歩きました。天気予報では雪も心配されたのですが、そこは『晴れ男のレジェンド』。時折薄陽が射す街道歩き日和でした。もちろん寒くはあったのですが、歩いているので、寒さはさほどでもなかったです。
 そうそう、いつも先達(ガイド)を務めていただいているウォーキングリーダーさんによると、私が「おちゃめ日記」や「新・おちゃめ日記」に掲載している中山道街道歩き』や『甲州街道歩き』が、プロのウォーキングリーダーさん達の間で話題になっているのだそうです。個人のブログでこれだけ詳細に分かりやすく書かれた街道歩きは他にない!!って。私のブログをガイドの参考にしているウォーキングリーダーさんも多数いらっしゃるのだとか。街道歩きのプロからも高いご評価をいただきました。これは嬉しかったですね。

「もちろん今回の区間もブログに書いてくれますよね」ってプロから言われちゃったので、書かないわけにはいかないってことで、この一文を書かせていただきました。16回にわたって書いてきました『甲州街道歩き』シリーズもこれで完結です。

さぁて、次はどこの街道を歩くことにしようかな?


――――――――〔完結〕――――――――



2020年2月23日日曜日

甲州街道歩き【第11回:真木→笹子峠】(その7)

萬霊塔から少し歩いた先に稲村神社があるのですが、その稲村神社の前に石塔群が祀られています。ここは「親鸞上人念仏供養塚」と呼ばれている場所です。この塚には次のような伝説が残されているそうです。親鸞上人が甲州萬幅寺参詣の帰途、この地の地頭小俣左衛門尉宅に泊まったおり、「葦ケ池」の毒蛇済度を懇請されました。上人が21日間もの間、毎日小石に6字の名号を墨書し池中に投入すると、霊は東南の空高く消え去ったのだそうです。葦ケ池の毒蛇は実は小俣左衛門尉の娘「よし」の化身でした。「よし」はこの地に修行に訪れた若い僧に恋をしたのですが、その恋は実らず、池に身を投げ大蛇になったのだそうです。その身を投げた場所には現在「葦池の碑」が建てられているのだそうです。
  稲村神社です。この稲村神社の境内には実に面白い道祖神が祀られています。名付けて「合体道祖神」。見た目どおりです。モロじゃん!! 説明は省かせていただきます。この男女合体道祖神は甲州街道ではここだけで見られる珍しいものです。犬目宿にあった「陰陽道祖神」といい、この「合体道祖神」といい、甲斐国の人はおおらかですねぇ〜(笑)
   こちらは二十三夜塔です。
 拝殿の右手境内中央にビックリするくらいの大杉があります。目通り幹周り8メートルの巨木で、根元から3本の太い幹に分かれて伸びています。稲村神社の御神木で、パワースポットになっているのだそうです。皆さん、幹に手を当てて、御神木のパワーを分けてもらっています。スピリチュアルは弱い私ですが、そんな私でも幹に手を当てると、なにか強い生命力のようなものを感じます。
  おおっ! この自動販売機には大月桃太郎伝説の解説が書かれています。桃太郎伝説の本家を主張しています。
  ここでちょっと旧甲州街道を外れて、JR中央本線の線路脇に寄り道。そこに親鸞上人念仏供養塚のところで述べた小俣左衛門尉の娘「よし」が身を投げた場所を示す「葦池の碑」が立っています。かつてはこのあたりに葦ヶ池と呼ばれる沼があったようです。
 旧甲州街道に戻ります。旧甲州街道に戻るところにもアルミサッシの窓を使っているなど建物自体は新しそうですが、歴史を感じさせる大きな民家が建っています。
 旧甲州街道はここで国道20号線と合流するのですが、その国道20号線は山肌に沿って伸びています。この緩いカーブに旧街道の匂いがプンプンしてきます。
 この笹子川橋で笹子川を渡るのですが、渡るのはこの国道20号線の橋ではなく、笹子小学校前で左に曲がり並行して架かっている古いほうの旧笹子川橋です。このルートが旧甲州街道です。往時はこの笹子川橋の右手に渡しがありました。
  笹子川橋を渡ったところが阿弥陀海道宿の江戸方(東の出入口)です。天保14(1843)に編纂された「甲州道中宿村大概帳」によると、阿弥陀海道宿は家数は65軒で、人口は272人。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠4軒という小さな宿場でした。前述のように、手前の白野宿とその次の黒野田宿との3宿で人馬の継ぎ立て等の問屋業務を毎月115日は黒野田宿、1622日は阿弥陀海道宿、2330日は白野宿というように分担して務めていました。
 この阿弥陀海道宿というちょっと変わった地名の由来は、この宿内にある阿弥陀堂です。まずはその阿弥陀堂に行ってみました。
 建物は残っておりませんが、ここがその阿弥陀堂の跡です。この阿弥陀堂は、東大寺の「四聖」の1人に数えられている奈良時代の僧・行基が全国行脚の際、笹子峠に跋扈する悪霊を鎮めるために、この地に堂を建てて自ら彫った阿弥陀如来像を祀ったことに由来すると伝えられています。行基はこのあたりの地を「阿弥陀海」と命名し、その阿弥陀堂に通じる道を「阿弥陀海道」と呼んだと言われています。それが宿名になったようですが、このあたりの地名は、元々は芦が窪と呼ばれていたようです。
 ここで言う“海”とは、一般に言われる“海(sea)”のことではなく、仏教用語ののことです。仏教界でとは、衆生(人間)の相を表す場合と、法(阿弥陀仏のはたらき)を表す場合とがあります。衆生(人間)の相を表す場合は、難度海・群生海・衆生海・生死海・無明海・煩悩海などの表現があります。また、法(阿弥陀仏のはたらき)を表す場合は、一乗海・大智願海・功徳大宝海・慈悲海・信心海・誓願海・真如海などの表現があります。このように仏教の世界では、というのは、計り知れない昔からこれまで、凡夫や聖者の修めた様々な自力の善や、五逆・謗法・一闡提などの限りない煩悩の水が転じられて、本願の慈悲と智慧との限りない功徳の海水となるということで、使われている言葉のようです。
 また、“海”には“谷”という意味もありました。その場合は“峡”という字を使い、これで“かい”と読んでいました。ちなみに、山梨県の旧国名である『甲斐』はその「峡(かい)」から出た名で、山と山の谷間を意味しているのだそうです。

ここにあった阿弥陀堂は明治40(1907)に発生した山津波によって倒壊し、現在、阿弥陀如来像は次の黒野田宿にある普明禅院に移され、その寺の本尊になっています。

先ほどから看板が見えていた山梨県を代表する銘酒の1つ「笹一」の蔵元「笹一酒造」に立ち寄りました。下戸の私でも知っているような蔵元なので、江戸時代からの造り酒屋かと思っていたら、大正時代の創業というからまだ新しい造り酒屋のようです。ふだんは酒蔵に立ち寄ってもその後の街道歩きに支障が出るのではないかと心配して、試飲はほとんどしないのですが、この日は特別です。この日のゴールももうまもなく(残り約2.5km)。緩い登り坂が続きますが、千鳥足でも歩ける距離です。そして、ゴールすれば『甲州街道を完歩』ということで、完歩祝いにいっぱい試飲をさせていただきました。もちろん、甲州街道完歩記念に吟醸酒を1本、買って帰りました。ここからはリュックに酒を1本背負って歩きます。
  笹一酒造の前には笹子峠から湧き出る清冽な伏流水が流しっぱなしになっています。一クチ口に含んでみましたが、美味しい水です。なるほど、この水で作れば美味しいお酒も出来るはずです。「御前水」という看板も掲げられています。明治天皇も御行幸の際にこの笹一酒造で使っている湧き水をお飲みになった…と書かれています。
  

……(その8)に続きます。

愛媛新聞オンラインのコラム[晴れ時々ちょっと横道]最終第113回

  公開日 2024/02/07   [晴れ時々ちょっと横道]最終第 113 回   長い間お付き合いいただき、本当にありがとうございました 2014 年 10 月 2 日に「第 1 回:はじめまして、覚醒愛媛県人です」を書かせていただいて 9 年と 5 カ月 。毎月 E...