公開日2019/3/07
[晴れ時々ちょっと横道]番外編:
嗚呼!、丸亀城
四国うどん県香川、特に丸亀に所縁(ゆかり)の深い皆様、大変長らくお待たせいたしました。私の次のペーパークラフト作品は、私が中学高校時代を過ごした“うどん県(香川県)”丸亀市のシンボル『丸亀城』です。
中学高校時代、見慣れた丸亀城のペーパークラフト(縮尺1/300)です。それにしても、現存12天守の1つとは言え、よくもまぁ〜、こんなマイナーな城をキット化していただいたものです。ありがたい!! |
丸亀城は丸亀市街地の南部に位置する亀山(標高66メートル)を利用し、亀山の廻りを内濠で囲んだ輪郭式(本丸を取り囲むように二の丸、三の丸が造られている方式)の平山城です。丸亀城の特徴は、なんと言っても日本一との呼び声も高い美しい“石垣”。亀山の周囲を取り囲むように4重に重ねられた高石垣の姿は「壮観‼️」のひと言です。
「石垣の城」として知られ、石垣は緩やかであるが荒々しい印象を受ける野面積みと端整な表情を見せる算木積みを組み合わせた造りの土台から、次第に勾配が急になり、本丸のある頂き付近の上部ではほぼ垂直になる独特の石垣の“反り”は「扇の勾配」と呼ばれ、美しさと防御性を兼ね備えたものになっています。山麓から山頂まで4重に重ねられた石垣の高さは合わせると約60メートルにもなり、“総高”としては文句なしに日本一高く、三の丸の石垣だけでも一番高い部分は約22メートルの高さがあります。
ちょうどJR予讃線の丸亀駅付近から眺めると、こういう感じに見えますよね。石垣ばかりではあまりにも殺風景なので、模型ではオプションで付いていた樹木を植えてみました。それらしくなったでしょ。これからのシーズン、城山は満開のサクラで覆いつくされ、それはそれは美しくなります。もう間もなくですね。 |
築城は、慶長2年(1597年)に戦国武将の生駒親正がその子一正とともに5年の歳月をかけて完成させたといわれています。元和元年(1615年)、一国一城令により丸亀城は一旦は廃城となったのですが、寛永18年(1641年)、山﨑家治が5万3千石で西讃岐の領主となり丸亀城に入封。丸亀城を再建しました。現在の石垣は、この山﨑家治が入封した時に造られたものが多いと言われています。万治元年(1658年)、山﨑氏が3代で無嗣断絶して改易となった後、山﨑氏に代わり播磨国龍野藩より京極高和が藩主となり入封。その後、7代212年間、明治維新を迎えるまで京極氏の居城となりました。
この丸亀城のペーパークラフトはペーパークラフトの企画・設計・販売を行うファセット社(岐阜県各務原市)の「日本名城シリーズ」の中の『丸亀城』を購入し、組み立てたものです。縮尺は1/300。表紙には丸亀市と丸亀市観光協会の企画・協力と書かれていますから、丸亀市オフィシャルのペーパークラフトキットのようです。丸亀城の実測図面を設計参考資料として用いたとのことですから、かなりリアルな模型です。キットは三の丸より上を再現しているので、石垣は3重で、勾配がかなり急になった上の部分だけです。しかも、大手門のある北側半分のみ(東側も切り取られています)。
実際の丸亀城の姿は以下をご覧ください。
また、キットは丸亀城の現在の姿を再現しているので、高く立派な石垣の上の本丸に独立式層塔型3重3階(高さ約15メートル)の可愛らしい天守がチョコンと1つ載っているだけです。この建物、唐破風や千鳥破風が施され、漆喰が塗られているので、たとえ小さくても間違いなく天守です。完成した模型のサイズは横36.0cm×奥行き27.3cm×高さ19.3㎝。体積としてはこれまで私が作ってきたペーパークラフトの中では、とにかく一番デカイ‼️ これは“城のペーパークラフト”と言うよりも“城山のペーパークラフト”ですね。主役はあくまでも石垣で、天守は立派で美しい“石垣で覆われた城山”の1つの“アクセント”に過ぎないって感じさえします。
全国『現存12天守』の1つ、丸亀城の天守です。『現存12天守』の中では最も小規模なものですが、周囲には櫓や城門があった跡の石垣が幾つも残っていて、かつてはそれなりに立派な城郭であったことが偲ばれます。 |
丸亀城の現在の3層3階の天守(正しくは“御三階櫓”と呼ばれています)が完成したのは万治3年(1660年)のこと。山﨑氏が3代で無嗣断絶して改易となった後、代わって万治元年(1658年)に播磨国龍野城より6万石で入封した京極高和が築いたものです。丸亀城の天守が小さく可愛らしいのは、このタイミングが大きく関係しているようです。
江戸城の天守(寛永天守)が明暦3年(1657年)の「明暦の大火」で焼失して以降、江戸城では天守閣が再建されず、時の第4代将軍 徳川家綱が万治2年(1659年)に「今後は本丸にある(3重3階の)富士見櫓を江戸城の天守とみなす」…と発したことから、これ以降諸藩では再建も含め天守の建造を控えるようになり、事実上の天守であっても、徳川将軍家に遠慮して(謀反の疑いをかけられないように)、「御三階櫓」と称するなど、富士見櫓を越えないように高さ制限を自主的に設けるようになりました。『現存12天守』では弘前城(文化8年(1811年)に竣工)、備中松山城 (天和3年(1683年)に竣工)、丸亀城(万治3年(1660年)に竣工)、松山城(安政元年(1854年)に竣工)、宇和島城(寛文11年(1671年)に改修竣工)の5つの城の天守がそれにあたり、禄高のわりには天守がイマイチ小さいという特徴を持っているのは、そのせいです。『現存12天守』のうち国宝に指定されている松本城、彦根城、犬山城、姫路城、松江城の5つの城は全て「明暦の大火」以前の慶長年間に建てられた天守が残る城であり、それ以外の丸岡城と高知城の2つの城の天守も万治2年(1659年)より前に建てられたものなので、その限りではありません。 そして、丸亀城の天守は現存12天守の中では最も小規模なものです。
(近年になってコンクリート製で復元された城の天守は、どうしても一番大きかった時代のもので復元する傾向にあり、それらと比較してもあまり参考にはなりません。また、現存12天守は刻まれた歴史の長さがあるので、たとえ小さくても威厳があります。)
それにしても見事な石垣です。実測図面を設計参考資料として用いているということなので、決して誇張ではなく、リアルに「扇の勾配」と呼ばれる丸亀城の石垣を再現しています。この石垣の微妙な曲面を上手く作り出すのが、この丸亀城のペーパークラフト製作のポイントでした。 |
石垣で覆われた城山(亀山)の頂上にチョコンと可愛らしい天守が載っているだけなので、もうほとんど“城山の模型”ですね。なので、天守の可愛らしさに反して、模型全体はデカイ!! 背景用に用意した空色のプラ板ではまにあわないくらいにデカイ‼️ さて、どこに飾ろう…って思うほどです。 |
現在はその天守だけが表面を石垣で覆われた亀山の頂きにある本丸にポツンと1つ建っているだけですが、かつては本丸、二の丸、三の丸に多くの櫓や城門が建っていました。ペーパークラフトを作っていると、それら櫓や城門の土台となっていた石垣が数多く残っていることに気づきます。明治維新後の明治10年(1877年)より現存している建物以外のこれら櫓・城壁等は明治政府が発布した廃城令によりすべて解体されました。松山城の天守閣内に城郭模型作家の岐部博さんが製作した現存12天守を持つ城のジオラマ模型が展示されているのですが、これらは江戸時代の姿を古図面等を参考に復元したものです。この岐部博さんが製作した丸亀城のジオラマ模型によると、現存する天守以外にも多くの櫓や城門が本丸、二の丸、三の丸に建っていたことが分かります。そうでしょ、そうでしょ、これならば誰が見ても立派な城です。
松山城の天守閣内に展示されている城郭模型作家・岐部博さんが製作した復元丸亀城のジオラマ模型です。江戸時代の姿を古図面等を参考に復元したもので、現存する天守以外にも多くの櫓や城門が本丸、二の丸、三の丸に建っていたことが分かります。 |
前述のように私が組み立てたファセット社の『丸亀城』のペーパークラフトキットは現在の丸亀城の姿を再現しているので、城のペーパークラフトと言っても建物は可愛らしい本丸を1つ作るだけで、あとはひたすら石垣で覆われた城山を作るだけです。キットはA4版11枚の展開図で構成されているのですが、建物(本丸)は僅かに1枚だけで、残りの10枚は石垣と土台の部分です。まぁ〜石垣の美しさで知られる城ですからねぇ〜。なので、ただひたすら石垣(で覆われた城山)を組み上げていく作業になります。ですが、この石垣、美しいだけあって構造が思いのほか複雑で、なかなかに根気のいる作業でした。
部品の総数は100弱。A4版18枚、部品の総数200弱だった松山城ほどではないにしても、なかなかの大作です。例によって夜な夜なちょっとずつ作っていったので、延べ製作日数は8日間。総製作時間は30時間弱といったところでしょうか。根気の要る作業でした。ただ、作っているうちに「なるほどなぁ〜」と思うことが多く、いろいろと気づかされることがありました。こりゃあ難攻不落の城だわ。美しいのには訳があるってことですね。
ファセット社のHPには次のような文言が書かれています。
「製作の対象年齢は中学生以上と設定していますが、細かな作業が苦手な方、集中力のない方には困難です。ご自身の技量や性格を考慮の上で挑戦してください。」
なので、かなりの上級編ということのようです。「製作には慣れの要素も大きいので2つ、3つと築城していくことで技量は格段に上がります」とも書かれているので、ご自分でも製作してみようと思われた方は、初心者向けのモノを幾つか作られてからチャレンジすることをお勧めします。
模型は丸亀城の北半分だけで、昨年の10月に大きく崩落した南西部分はバッサリ大崩壊、いや省略されています。このように、石垣が全て崩壊したわけではなく、模型のように北半分(大手門側)は日本一と言われる見事な石垣がまったくの無傷で、築城当時の姿のままで残っていますので、皆さん、是非観光で訪れてみてください。 |
ちなみに、丸亀城の石垣は昨年平成30年(2018年)10月に、平成30年7月豪雨や台風24号の影響などにより、南西部に位置する帯曲輪石垣と三の丸坤櫓跡石垣の一部が大きく崩落してしまいました。このペーパークラフトは丸亀城の北半分を模型化したものなので、残念ながらその崩落した南西部分は再現されていません。
私の母校、香川県立丸亀高校はその丸亀城の南西部、崩落した帯曲輪石垣と三の丸坤櫓跡石垣のすぐ目の前にあります。なので、高校時代、教室の窓からは美しい丸亀城の石垣の姿が常に見えていました。高校時代に見慣れたあの石垣が1日も早く、再び美しい姿を見せてくれる日が来ることを願ってやみません。
皆さんも「ふるさと納税」などでご協力いただければ嬉しいです。ちなみに、丸亀市では「ふるさと納税」の返礼品として、名物の讃岐うどんや骨付鳥をご用意しています。私は平成30年7月豪雨で甚大な被害を出した愛媛県南予の某自治体と丸亀市に対して、少額ではありますが「ふるさと納税」で復興に向けたご協力をさせていただいています。
なんとっ‼️、『丸亀城主証』です。丸亀城の石垣修復のために“ふるさと納税”をした人は、もれなくこれが貰えるようです。 |
【追記】
松山城、丸亀城と作ってきて、城郭作りがペーパークラフトの王道だってことがよく分かりました。これはハマる人が多いのが分かります。単に実物を眺めるだけでは分からないいろいろなことも作っているうちに分かりますし、とにかく面白いです。さぁて、次は何を作ろう?? この丸亀城に加えて、松山城、宇和島城、高知城と、四国には『現存12天守』のうち1/3の4つの城があります。そのほか、もともとの天守は残っていませんが、日本三大水城のうちの2つ(高松城、今治城)もあり、城好きの方々にとっては聖地のようなところです。少なくとも、同じくファセット社から販売されている「日本名城シリーズ」のうち、四国にある現存12天守の残り2つ、宇和島城と高知城は今後の製作予定リストに入れておきました。そして、いつかは現存12天守の中の頂点に立ち、複雑な連立式天守の構造から日本の城郭建築の最高傑作と言われる「国宝 姫路城」の建造にも挑戦したいと思っています。
ですが、このところ「戦艦三笠」「坊っちゃん列車」、「松山城」、そして「丸亀城」と上級者向けの大作の製作ばかりが続いたので、しばらく根気の要る大作の製作はお休みにして、目先を変えて比較的簡単なものを次々と製作しようかな…と思っています。最近ハマっている別の私の趣味、「旧街道歩き」と「家庭菜園」も春から再開しますし。意欲が戻って来たら、再び大作の建造に挑戦します。