2020年8月23日日曜日

『坂の上の雲』3部作(その2)

 

公開日2019/2/07

[晴れ時々ちょっと横道]第53回:

『坂の上の雲』3部作(その2)


私が昨年夏から始めた新しい趣味、ペーパークラフトの次の作品は伊予鉄道の看板列車『坊っちゃん列車』です。正しくは伊予鉄道甲11号機関車とハ124輪客車と言います。これは戦艦三笠に次ぐ「坂の上の雲」シリーズの第2弾でもあります。

このペーパークラフトのキットは松山空港の売店で購入しました。発売元を見ると「伊予鉄道株式会社」。すなわち、伊予鉄道オフィシャルのペーパークラフトキットのようです。小説「坊っちゃん」の登場人物である坊っちゃんやマドンナをはじめ、野だいこや赤シャッツ、さらには正岡子規や夏目漱石などのオールキャストのキャラクターが付いていて、「坊っちゃん列車」の前に勢揃いして飾ることができます。

松山空港の売店で購入した時には観光土産のコーナーで販売されていたこともあり、すぐに完成するような初心者向けの比較的簡単なキットを想像していたのですが、作り始めてみるとなかなかどうして。機関車や客車の内部までも造り込まなくてはならないような、ちょっと本格的なキットでした。展開図は機関車と客車を合わせてA4版で9枚。円筒加工等の曲面の加工部分も多く、難易度はいささか高いのですが、説明図がしっかりしているので、それに従えば初心者でもなんとかなります。これで540(税込)は絶対にお買い得です。

平日の夜にちょこちょこ少しずつ作っていったので、製作日数は延べ7日間。完成までにかかった時間は20時間弱ってところでしょうか。細かい部品も多く、気分にムラっ気があることから、意外と時間がかかりました。それでも、前作『戦艦三笠』を作って以降、公私ともにちょっと忙しい日々が続き、ペーパークラフト製作に少しブランクが空いていたので、その再開第1弾としては難易度的に勘を取り戻す上でちょうどいいレベルのキットではありました。

完成してみると坊っちゃん列車の特徴をよく捉えたリアルさが感じられます。しかも、 なんとも可愛らしい。デフォルメによる可愛らしさと言うよりも、「坊っちゃん列車」という素材そのものが可愛らしいですものね。機関車や客車の内部まで作り込んでいるため、ペーパークラフトとしてはちょっと重量感もあり、いい感じです。連結器は特徴的なセンターバッファー方式で、リンクで連結されています。このペーパークラフトでは、マニアックにも、ここまで再現しています。

四国の松山市近郊を走る伊予鉄道は、明治20(1887)に創立された、民営鉄道としては日本で2番目に古い歴史を持つ老舗の鉄道会社です (ちなみに、一番古いのは伊予鉄道の2年前の明治18(1885)に設立された阪堺鉄道を母体とする南海電鉄です)。松山市の外港である三津港と松山市中心部を結ぶ三津街道の道路事情が劣悪だったため、これを改善しようと鉄道の建設を決意したのが創業者の小林信近氏で、小林氏はイギリス人技師から教えを受け、少ない資本でも建設できる鉄道として軌間762mmの軽便鉄道を採用。明治20(1887)に伊予鉄道を設立し、日本で初めての軽便鉄道、および中国四国地方で初めての鉄道として、松山市駅〜三津駅間を翌明治21(1888)に開業させました。

この伊予鉄道開業時に導入された蒸気機関車がこの伊予鉄道甲11号機関車です。明治21(1888)、ドイツのクラウス社製で、実車は全長4,760mm、全幅1,650mm、全高2,810mm、運転整備重量7.80トン。動輪径685mm、車軸配置0-4-0(先輪0・動輪左右2対の4・従輪0)のいわゆるB(2軸動輪)の単式2気筒ウェルタンク式蒸気機関車です。軌間762mmの軽便鉄道用に作られた動輪周馬力40PS(公称:代表的な蒸気機関車であるD51形蒸気機関車の最大出力は1,400 PS)という現代の軽自動車以下の馬力しか出せない小型機関車ながら、昭和6(1931)に現在の1,067mmに軌間が改軌された以降も足回りの大改造を施されて使われ、昭和29(1954)までの67年間にわたり松山平野を走り続けました。また、その蒸気機関車の後ろに連結されている客車は、これも開業当時にドイツから輸入されたハ124輪客車です。実車の定員は乗客18+乗員1(うち座席定員12)、客室面積4.73平方メートル、全長5,010mm、全幅2,130mm、全高2,845mm、自重3.2トン。軽便鉄道の車両ということで、機関車も客車も現代の鉄道の基準から言うと、かなりの小型です。

文豪・夏目漱石の小説『坊っちゃん』の中に、この伊予鉄道の列車が登場します。『坊っちゃん』は夏目漱石が明治28(1895)から明治29(1896)の間に松山中学の英語教師として赴任した時の経験をもとにして執筆された小説で、作品の冒頭に「停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。」という一文があり、伊予鉄道の客車列車のことをマッチ箱のような汽車という表現で描いています。このことから、この小型の蒸気機関車で牽引される伊予鉄道の客車列車は、その後、「坊っちゃん列車」の愛称で親しまれてきました。平成13(2001)にはこの作品が書かれた当時の様子を再現する試みとして、ディーゼルエンジンでの駆動ではありますが観光列車「坊っちゃん列車」も市内線(路面電車区間)で運行が開始されました。伊予鉄道のこの発想は凄いです。この現代に再現された「坊っちゃん列車」、今では伊予鉄道の看板列車になって、鉄道マニアだけでなく、松山を訪れる多くの観光客の皆さんに楽しんでいただいているようです。

ちなみに、夏目漱石は東大予備門の同期生で俳句を通じて深い交友関係を持っていた親友の正岡子規の誘いで、正岡子規の母校・松山中学(現在の松山東高校)の英語教師として赴任したのでした。そしてその正岡子規は、私の大好きな司馬遼太郎先生の代表作『坂の上の雲』の3人の主人公のうちの1人で、もう1人の主人公である日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を完膚なきまでに撃ち破った大日本帝国海軍 聨合艦隊の作戦参謀・秋山真之とは、松山中学の同級生であり幼馴染みで親友と言える間柄でした。なので、『坂の上の雲」の3人の主人公である秋山真之も、その兄の秋山好古も、正岡子規も松山に帰省した折には、間違いなくこの「坊っちゃん列車」に乗ったはずです。

高浜線の梅津寺駅前にある梅津寺公園には伊予鉄道の甲1形機関車の実車が静態保存されています。残念ながら、この機関車はペーパークラフトのモデルになった1号機関車ではなく、道後公園等に保存されていた同形の3号機関車に、昭和40(1965)、軌間を1,067mmから762mmに戻すなどの大改修を施したものですが、それでも3号機関車は明治24(1891)製。この伊予鉄道甲13号機関車は我が国に現存する最古の軽便鉄道の機関車として、昭和42(1967)に日本国有鉄道(現在のJR)から鉄道記念物に指定され、さらに愛媛県の県指定民俗資料にも指定されています。(梅津寺公園に展示されている客車は復元されたレプリカです。)

さらに、松山市駅の隣にある伊予鉄グループ本社ビル1(スターバックスコーヒー店の奥)に「坊っちゃん列車ミュージアム」があります。そこに伊予鉄道甲11号機関車の原寸大模型(レプリカ)が展示されています。歴史を感じさせる「1888年、ドイツのクラウス社製」を示す銅製の輝くエンブレムが誇らしげに付けられています。渋い!!

松山市駅から徒歩数分の正宗寺の境内にある正岡子規が17歳まで暮らした家を復元した「子規堂」には、坊っちゃん列車に使用されたハ124輪客車とされる客車が、夏目漱石の胸像とともに静態保存されています。「ハ1」と標記があるこの客車、車内には「この客車は現在たゞ一つ残っているその当時のものである(1888年独逸製)」と記載されていますが、その来歴には謎の部分があり、一説には現在梅津寺公園に静態保存されている1号機関車(ベースは3号機関車)とともに、かつて道後公園に保存されていたものではないかとされています。子規堂のハ12軸客車が伊予鉄道から寄贈されたのも梅津寺公園に静態保存されている甲13号機関車と同じ昭和40(1965)のことですから、もしかしたら開業当時に使われていた本物なのかもしれません。いずれにしても貴重な松山の歴史遺産です。

ちなみに、高浜線、横河原線、森松線(昭和40年に廃止)は昭和6(1931)に現在の1,067mmに軌間を改軌 (高浜線は改軌と同時に電化)。郡中線も昭和12(1937)1,067mmに軌間を改軌しました。郡中線が電化されたのは昭和25(1950)、横河原線が電化されたのは昭和42(1967)のことです。なので、昭和31年生まれの私が子供の頃は、まだ横河原線などは電化されておらず、蒸気機関車こそありませんでしたが、その後継の小型のディーゼル機関車が牽引する客車列車が現役で活躍していました。

「坊っちゃん列車」を作ったことで、再びペーパークラフトの創作意欲が湧いてきました。いよいよ次は展開図がなんとなんとのA4版用紙18枚という、上級編・大作のペーパークラフトに挑戦することとします。果たして根気が続き、完成まで漕ぎ着けることができるのかどうか……A4版用紙18枚ということなので、部品の点数もこれまで以上に多く、完成までに相当の時間だけはかかりそうです。何を作るかのヒントは……、いよいよ『戦艦三笠』、『坊っちゃん列車』に次ぐ「坂の上の雲」シリーズの第3弾、完結編です。

 

 

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