私達が下船した堀川めぐり遊覧船の大手前広場乗船場です。さすがに「水の都・松江」です。多くの観光客が乗下船しています。
この日の昼食はJR松江駅にほど近い『松江 和らく』で懐石料理をいただきました。さすがに著名な茶人でグルメだった不昧公こと松平治郷が第7代藩主を務めた松江です。市内には地元の食材をふんだんに使った懐石料理を楽しめるお店が幾つもあります。この『松江 和らく』もその1つで、シジミやシラウオ、ヨシエビなど宍道湖で獲れる魚介類を中心としたお料理は大変に美味しかったです。
昼食が終わると、楽しかった2日間の『大人の修学旅行2018in出雲松江』もお終い。『大人の修学旅行」のツアー旗が今回の幹事だった地元香川県在住組のウスキから、次回幹事の関西在住組のヨシキとモトムにバトンタッチされ、JR松江駅前で解散ということになりました。
ここからは来た時と同様、各自めいめいのルートで家路につくことになります。出雲縁結び空港から空路帰宅するココさん、マリコさん、イッカク、ショウチャン。松江在住の大学時代の友人に会ってから深夜高速バスで東京に帰るユウテン、自家用車で岡山へ帰るテッチャン、延泊してさらに山陰旅行を楽しむモトム、テルジ、米子空港から東京へ帰るレンシンとはこのJR松江駅前で別れ、私は鉄路岡山へ向かう地元香川県在住組のウスキ、シンショー、ケンポ、ノリコさん、キョウコさん、関西在住組のバンタロー、ヨシキ、オネエと一緒に14時59分松江駅発の岡山駅行き「特急やくも22号」に乗ることにしました。本当はせっかく滅多に来れない山陰地方まで来たので、延泊して、もうちょっと山陰地方の旅を楽しみたかったのですが、翌12月3日(月)には気象ビジネス推進コンソーシアム(WXBC)の大阪セミナーがあり、そこで開会のご挨拶と基調講演を行わないといけないため、後ろ髪を引かれる思いで松江を後にして、大阪に向かうことにしました。
JR松江駅前では次回第11回、九州・由布院での再会を約束してお互いに硬い握手を交わしてそれぞれの帰路につきました。
特急やくも22号では地元香川県在住組と関西在住組は別々の指定席車両を事前に固まって予約していたのですが、私は運良く香川県在住組と同じ車両、それも通路を挟んで隣の席を確保することができました。
隣の席とは言っても、他の乗客の皆さんもいらっしゃるので、大声では騒げませんので、小声での会話。そうこうするうち、皆さん、昨夜の大騒ぎで睡眠不足なのか、エッチラオッチラ船を漕ぎ出しました。私もさすがに眠いです。
15時27分に米子駅を出ると伯耆大山駅から伯備線に入ります。生山(しょうやま)駅に停車。ここから先は中国山地越えの山岳区間で急勾配や急カーブの区間が続きます。特急やくも22号に使用されている車両も振り子式の車体構造を持つ381系直流特急形電車です。前にも書きましたように、伯備線は中国地方の山陽(瀬戸内海側)と山陰(日本海側)を高い山々が折り重なるようにして続く中国山地の中を縫うようにして延びる陰陽連絡線の1つで、地形上の問題から急勾配や急カーブが多く、出力の増大によるスピードアップには限界がありました。そこで当時の国鉄が曲線通過速度を向上させることを目標に開発したのが振り子式のこの381系直流特急形電車で、その性能を遺憾なく発揮し、そうした山岳区間をものともせずに走り続けます。生山駅を発車したのが16時09分。冬至も近く日暮れが早くなっているのと、山間の区間を走行するため車窓の風景を楽しむというわけにはいきません。
16時36分、新見駅に到着。新見駅は中国地方中央部の主要駅の1つで、この伯備線と姫路へ延びる姫新線、さらには広島へと延びる芸備線(線路名称上の起点は備中神代駅)の分岐駅です。ここから先は岡山県です。現存12天守の1つ高梁城(備中松山城)のある備中高梁駅、白壁の町並みが残る美観地区が有名な倉敷駅と停車し、定刻から2分遅れの17時40分に終点の岡山駅に到着しました。瀬戸大橋線の高松行き快速マリンライナーの発車は17時42分なので、それに乗らなくてはならない地元香川県在住組の皆さんは、到着するなり特急やくも22号が到着した2番ホームから快速マリンライナーの出る6番ホームへ脱兎のごとく駆けていきました。
18時03分岡山駅発の九州新幹線さくら562号(鹿児島中央駅始発)に乗って新大阪駅に向かいました。さくら562号は定刻の18時48分、終着の新大阪駅に到着。まずは夕飯…ということで、新大阪駅のコンコース内にあるフードコートでお好み焼きをいただきました。私は大阪にやって来るたびに、決まってお好み焼きをいただくようにしています。この日、注文したのはネギ焼き。このネギ焼き、私のイチオシです。お好み焼きといえば広島のお好み焼きが一番だと思っていますが、粉もん文化の中心地・大阪のお好み焼きも捨てがたいんですよね。大好物です。
お好み焼きで腹ごしらえした後、大阪での私の定宿である梅田の新阪急ホテルアネックスにチェックインしました。
私は大阪にやって来ると必ず訪れる“私の中での聖地”があります。熱烈阪神タイガースファンの私の“聖地”と言っても阪神甲子園球場ではありません。それは『阪急電鉄梅田駅』です。
今から25年前、平成7年(1995年)の「阪神・淡路大震災」が起こる2年前の平成5年(1993年)、この日本の私鉄最大のターミナル駅「阪急梅田駅」の3階メインコンコースに「ラガールビジョン」と呼ばれる旅客案内表示装置が3基設置されていました。フルカラー液晶パネルとプラスチック光ファイバーを組み合わせたフルカラー・フルフラット・大画面ディスプレイで、設計開発したのは不肖私です。まだ、フルカラーLEDが実用化される前のことで、私が中心となって開発したこの「光ファイバースクリーン方式ディスプレイ」は世の中の注目を大いに集めたものです。(下の写真は今から25年前、3基目の神戸線用ラガールビジョンを設置し終えた時の記念写真で、後列右端が私です。)
この「ラガールビジョン」の成功によって私個人も世の中の注目を集めたようなところがあります。加えて、それまで中央省庁の案件ばかり担当していた私が初めて担当した民間のお客様が阪急電鉄様。いきなり関西の老舗企業でした。その阪急電鉄様との各種折衝を通して私の営業センスは鍛えられたようなところが多分にあります。なので、阪急梅田駅は私にとっての最大の“聖地”なのです。今があるのも阪急梅田駅の「ラガールビジョン」の仕事をやらせていただいたからだと感謝しております。
なので、今も私が大阪で定宿にしているのは梅田にある新阪急ホテルアネックスなのです。このホテルの客室の窓からは梅田駅に次々と発着する阪急電車の様子が見えますからね。鉄ちゃんとしては、梅田駅に次々と発着する阪急電車の光景に癒されます。
スマホのラインには参加した皆さんが自宅に帰り着いた旨を知らせるメールが次々と飛び込んで来ます。21時20分には一番遠方の青森から参加のココさんが、羽田空港トランジットで空路青森の自宅に帰り着いたというメールが入りました。青森の気温は2.5℃だそうです。冬ですね。
天気予報を見ると、西日本地方は翌日から天気が崩れて雨になる予報が出ています。『晴れ男のレジェンド』は今回も健在でした。幹事団の皆様、大変お世話になりました。参加した皆さん、皆さんとのひと時が私の元気の源です。ありがとうございました。10泊11日のキャラバン出張(旅?)も前半の5泊が終わり、これから後半の5泊6日に入ります。“エッちゃんモード”から平常運転の“お仕事モード”に切り替え、大阪→福岡→広島→埼玉…と移動して、もう一仕事やってきまぁ〜す。まず最初の仕事は大阪での講演なので、私のネクタイピンは阪急電車にしました。
次回第11回の『大人の修学旅行』の開催地は九州大分の由布院(湯布院)です。由布院と言えばなんと言っても温泉。古くから神の山と崇められ豊後富士といわれ親しまれている名峰・由布岳の雄大な眺望も楽しみですし、食も大分特産豊後牛、お酒は大分特産の麦焼酎とあり、今から楽しみです。
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