2019年8月18日日曜日

甲州街道歩き【第15回:蔦木→茅野】(その7)

旧甲州街道は神戸(ごうど)の集落に入っていきます。神戸と書いてこうべと読むのは兵庫県の県庁所在地の神戸市だけで、その他はかんべごうど、あるいはじんこと読みます。で、神戸とは、古代から中世において特定の神社の祭祀を維持するために神社に付属して設けられた集落のことを指します。なので兵庫県の神戸市は生田神宮の神戸、そしてここの神戸は諏訪大社上宮の神戸に由来します。
一面のキャベツ畑が広がっています。このあたりはキャベツをはじめとした高原野菜の産地です。私も昨年秋から今年の春にかけて我が家の家庭菜園でキャベツの栽培を行ったのですが、なかなか結球してくれず思いのほか苦戦しました。葉物野菜の栽培は難しいとは聞いていましたが、その通りでした。しかし、ここのキャベツはどれも見事に結球を始めています。さすがにプロの農家さんの手にかかると違いますね。葉物野菜はプロの農家さんにお任せするほうがよく、素人が趣味で栽培するのはやめておきます。
神戸の集落の中を進みます。「金山大権現」が祀られています。金山大権現の祭神は金山彦命(かなやまひこのみこと)で、山の神です。武田信玄が開発した金鶏金山と関係があると考えられています。そこから転じて鍛冶屋を家業とするお宅を中心に、このあたりでは信仰が篤いのだそうです。時々この「金山大権現」を見かけます。
金山大権現の横には一里塚かと見紛うような立派な松が植えられています。
神戸の集落をさらに先に進みます。
左手に夥しい数の石塔石仏群が祀られているところがあります。おそらくこのあたりの旧甲州街道沿いにバラバラに祀られていた各種の石塔石仏群を道路整備をする際に1箇所に集めて祀ったものだと思われます。真ん中奥に大きな石碑があり、「真那以址碑」と刻まれているのが読めるのですが、本当は何と読み、何の跡なのかはよく分かりません。
ここから下り坂の勾配が急になります。前方眼下に御射山神戸(みさやまごうど)の集落が見えてきました。
急な坂道をドンドン下っていきます。
「富蔵山」と刻まれた石碑が立っています。前述のように富蔵山とは安曇野にある修験道の寺院の富蔵山岩殿寺のこと。おそらくその岩殿寺で修行を積んだ僧がここに立てたのでしょう。
坂を下りきり、国道20号線と合流するところで、旧甲州街道は鋭角にUターンします。ここは御射山神戸の集落の南の枡形跡です。江戸時代も今と同様に鋭角にUの字を描いて曲がっていました。
御射山神戸の集落を進みます。
「小川平吉先生誕生之地」碑が立っています。小川平吉は明治2(1870)、ここ御射山神戸村(現在の長野県諏訪郡富士見町)に生まれた政治家で、衆議院議員、国勢院総裁、司法大臣、鉄道大臣等を歴任した方です。小川平吉はかなりの国粋主義者だったようで、日露戦争前の議会では主戦運動の先鋒となり、明治38(1905)9月の日露戦争講和条約締結の時には「戦いに勝ちながら屈辱的講和をなすとは何事だ」と日比谷焼打事件を引き起こし、日韓併合にも積極的に動き、第一次世界大戦後、左傾思想が盛んになると、治安維持法の制定にテコ入れをし自分でも日刊紙『日本』を創刊して左傾思想に対抗したような人だったようです。演説の上手さはピカイチだったようです。碑に並んで立つ「博愛」と刻まれた石碑を揮毫したのは、中華民国の国父と讃えられる、かの孫文です。交友関係の広さを感じます。
この小川平吉先生誕生之地碑の前まで来た時、すっかり雨(霧雨)があがったので、全員、雨具(レインコート)を脱ぎました。レインコートを着ているとやたら蒸すので、雨の心配がなくなったら速やかに脱ぐのが街道歩きの基本です。

屋号や家紋の入った土蔵を持つ民家が目立ちます。
これは……、冠木門(かぶきもん)を持つ家です。冠木門は笠木(かさぎ)を柱の上方に渡した屋根のない門のことで、江戸時代には武家の屋敷でしか建てるのを許されなかったような建築様式です。相当の家柄のお宅とお見受けします。
うわっ! 敷地もかなり広く、ずぅ〜と奥に土蔵が建っています。
御射山神戸の交差点です。「Misayamagodo」という英語表記が書かれていますが、「みさやまごうど」とはなかなか読めませんよね。
御射山とは、鎌倉時代、諏訪大社で行われていた御射山祭りに始まります。諏訪大社はもともと風除けの神様として信仰され、その神への生贄に鹿などを射止めて奉納したのが御射山祭りの起源です。ここから北へ約20kmいったビーナスラインの八島ヶ原湿原と霧が峰の中間あたりに旧御射山遺跡があり、すり鉢状になった丘の斜面には、ローマのコロシアムのような観客席があります。ここに鎌倉幕府の武将達が集まり、流鏑馬のような競技をしていたものと思われます。そのようなことから、この風習が全国に伝わり、ミサヤマと呼ばれる地名や神社が各地に残るようになり、ここもその1つということのようです。

これは旧街道らしい見事なS字カーブです。ここは御射山神戸集落の北の枡形と呼ばれています。
「国道20号線 東京から184km」の道路標識です。この数字を見ると、随分遠くまで歩いてきたなって思います。
次の神戸八幡交差点のところに常夜燈と鳥居があり、鳥居の奥に小さな神社が立っています。御射山神戸集落の鎮守社である神戸八幡です。社殿の左には樹齢約400年という大ケヤキ()が聳えています。ケヤキ全体は写りきれないので、写真は根元部分だけです。一見なんでも無い地元の鎮守社ですが、創建以来1200年の歴史があるのだそうです。そういうところに、かえって凄さを感じます。
ちなみに、この神戸八幡交差点を右に入るとJR中央本線の「すずらんの里」駅があります。この駅は近隣に事業所を持つセイコーエプソン株式会社が、事業所へのアクセス確保と、鉄道の有効利用を目的に設置を希望し、設置費用およそ2億円を負担して昭和60(1985)10月にできた駅です。「すずらんの里」という洒落た駅名は近くにある入笠高原の別名「すずらん高原」を由来として付けられたものですが、当時の国鉄としてはあまりに斬新すぎる駅名だとして、当時はあれこれ物議を醸したのだそうです。今ならどおってことのない駅名なのですが…。

御射山神戸の集落を抜けて、次の金沢宿に進みます。進行方向左手の民家の庭にオレンジ色をした見たことのない不思議な花がいっぱい咲いています。これは何という花なのでしょう。気になります。


……(その8)に続きます。

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