公開日2023/05/04
[晴れ時々ちょっと横道]第104回 鉄分補給シリーズ(その8)今治市営せきぜん渡船①
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弁財船のペーパークラフトです。弁財船は中世末期(安土桃山時代)から江戸時代、明治時代の初期にかけて日本での国内海運に広く使われた大型の木造帆船で、かつて物流の大動脈であった瀬戸内海には、無数の弁財船が米や各地の特産品等を満載して行き交っていました。模型にした船は当時一番多く見られたとされる350石(約52.5トン)積みの弁財船です。 |
“海なし県”である埼玉県の住民にとって、瀬戸内海に面した郷里・愛媛に帰って来たら、すぐに塩分補給に行きたくなってしまいます。今回、向かった先は今治港。そこから今治市営の「せきぜん渡船」に乗って岡村島を目指しました。と言うことで、今回も“鉄分”ではなく、“塩分”の補給です(笑)
まずは今治港です。今治港は阪神と九州とを結ぶ瀬戸内海のメイン航路に接しており、海上交通の要衝として重要な役割を果たしてきた港です。かつてはその阪神、九州と結ぶ航路に加え、山陽筋の三原港、尾道港、広島港、呉港(いずれも広島県)や、広島県と愛媛県の間にある芸予諸島の島々向けのフェリーや高速船の航路を多数擁し、頻繁に船の発着する風景が見られたのですが、西瀬戸自動車道(瀬戸内しまなみ海道)の開通により、旅客輸送も貨物輸送も陸路、すなわち瀬戸内しまなみ海道利用に振り変わったことから、国内の定期航路は大きく縮小されてしまっています。現在、残っている今治港発着の定期航路は、芸予汽船の運航する今治港~友浦港(大島)〜木浦港(伯方島)〜岩城港(岩城島)~佐島港(佐島)~弓削港(弓削港)~生名港(生名島)~土生港(因島)航路の1日7往復と、大三島ブルーラインフェリーが運航する今治港〜宗方港(大三島)〜木江港(大崎上島)航路の1日2往復、そして今治市営の「せきぜん渡船」が運航する今治港〜岡村港間の1日8往復のみで、いずれも小型の快速船(旅客船)やフェリーで運航されています。かつてひっきりなしに大小様々なフェリーや高速船が発着していた繁栄を知る者としては、寂しい限りです。
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今治港です。今治港は阪神と九州とを結ぶ瀬戸内海の海上交通の要衝として重要な役割を果たしてきた港です。かつては頻繁に船の発着する風景が見られたのですが、瀬戸内しまなみ海道の開通により、国内の定期航路は大きく縮小されてしまっています。かつてひっきりなしに大小様々なフェリーや高速船が発着していた繁栄を知る者としては、寂しい限りです。 |
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今治港から北の方向を見たところです。西瀬戸自動車道(しまなみ海道)の来島海峡大橋の美しい姿が見えます。岡村島行きの旅客船は来島海峡大橋の下を通っていきます。 |
瀬戸内海の西部、広島県本土(本州)と愛媛県本土(四国)の間に位置する島々のことを「芸予諸島」と呼びます。芸予諸島一帯は多島海・瀬戸内海の中でも特に島が多いエリアで、大小数百の島々から形成されています。有人島は約50島、人口は全島合計で約17万人ほどです。瀬戸内海は幾つかの海域に分けられているのですが、この芸予諸島から東の海域が燧灘(ひうちなだ)で、西の海域が安芸灘と呼ばれます。安芸灘のことを斎灘(いつきなだ)と呼ぶこともあります。
その安芸灘の北部、本州寄りのところを広島県の呉市から愛媛県の大三島(今治市)に向かって順に下蒲刈島、上蒲刈島、豊島、大崎下島、岡村島…と東西に連なる島々があって、ここは特別に安芸灘諸島と呼ばれています。この安芸灘諸島の島々は、現在、本州(広島県呉市)から「安芸灘とびしま海道」(正式名称:安芸灘諸島連絡架橋)と呼ばれる7つの橋で結ばれています。で、この安芸灘諸島の島々のうち下蒲刈島から大崎下島までは広島県呉市で、岡村島だけが愛媛県今治市です。岡村島と中ノ島(無人島)との間に架かる岡村大橋の途中に愛媛県と広島県の県境があります。
岡村島は「安芸灘とびしま海道(安芸灘諸島連絡架橋)」の終点で、本州とは陸続きで繋がっているのですが、四国(愛媛県)とは陸続きでは繋がっておりません (安芸灘とびしま海道と瀬戸内しまなみ海道を利用すればクルマで行けないことはないのですが、その場合、実に17本もの橋を渡る必要があります)。岡村島から 4本の橋により小大下島(こおげしま)、大下島(おおげしま)、柏島を経由して大三島へ繋ぎ、西瀬戸自動車道(愛称:瀬戸内しまなみ海道)に接続する関前諸島架橋構想が存在はするそうなのですが、いつ実現するのかは未定です。「安芸灘とびしま海道」は岡村島の先は、岡村島の北にある大崎上島へ向かう8本目の橋が計画されているのですが、こちらも建設時期は未定です。この大崎上島は広島県豊田郡にあります。
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現在、残っている今治港発着の定期航路の航路図です。現在は、芸予汽船の運航する今治港~友浦港(大島)〜木浦港(伯方島)〜岩城港(岩城島)~佐島港(佐島)~弓削港(弓削港)~生名港(生名島)~土生港(因島)航路の1日7往復と、大三島ブルーラインフェリーが運航する今治港〜宗方港(大三島)〜木江港(大崎上島)航路の1日2往復、そして今治市営の「せきぜん渡船」が運航する今治港〜岡村港間の1日8往復のみで、いずれも小型の快速船(旅客船)やフェリーで運航されています。 |
このため、岡村島と愛媛県今治市の間には今治市営の「せきぜん渡船」がフェリーと小型の旅客船を運航しています。運航本数はフェリー
「第二せきぜん」が今治港〜岡村港間を1日4往復(内3往復は小大下島・大下島に寄港)、旅客船
「とびしま」が今治港〜宗方港(大三島)〜岡村港間を1日4往復です。
私がこの日今治港から乗船したのは、そのうちの今治港9時30分発の旅客船「とびしま」でした。「とびしま」は全長20.4メートル、幅4.15メートル、総トン数19トンの小型の旅客船で、最大旅客人数は40人。乗務員は2人です。2017年1月に就航した比較的新しい船で、見掛けと異なり最大速力は27.0ノット(時速約50km)、通常航海速力17.5ノット(時速32km)と意外なほど速く、来島海峡の速い潮流があるため、エンジンも極めて強力なエンジンを搭載しているようです。そのため、船体も特殊な形をしています。いかにも瀬戸内海の渡船らしい旅客船で、いい感じの船です。
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今治市営せきぜん渡船の旅客船「とびしま」が入港してきました。すぐに折り返しの岡村港行きになって出港します。左側に停泊して出港時刻を待っているのは、芸予汽船の因島土生港行きの高速船です。 |
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「とびしま」の船体は普通の船とはどこか異なる面白い形をしています。客室は後方に固まっています。 |
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9時30分定刻に今治港を出港。港を出ると、高出力のエンジンを全開して、爆音を轟かせて猛スピードで海の上を疾走する感じで進んでいきます。どうも高出力のエンジンは客室のすぐ下に搭載されているようで、その爆音が船好きにはたまりません! |
この日この時間帯の来島海峡は逆潮で、その速度は約10ノット。来島海峡大橋付近では幾つもの小さな渦潮も見えました。通常の船舶なら航行不能なのですが、「とびしま」は高出力のエンジンを全開して、左右にもの凄い波飛沫をあげながら、逆潮をものともせずにグングン進んでいきます。凄い!
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来島海峡大橋が近づいてきました。この日この時間帯の来島海峡は逆潮で、その速度は約10ノット。来島海峡大橋付近では幾つもの小さな渦潮も見えました。 |
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来島海峡大橋の下を潜っていきます。対岸の島は大島で、しまなみ海道は大島の先は伯方島、大三島、生口島、因島、向島と橋で渡って、尾道まで陸路で繋がっています。 |
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大下島(おおげしま)の大下港に寄港しました。 |
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次に小大下島(こおげしま)の小大下港に寄港しました。 |
今治港を出港して約1時間。岡村島の岡村港に到着しました。
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岡村島の岡村港に到着しました。 |
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「とびしま」は次の出港の時間まで、港内の別の場所で待機のようです。メチャメチャ速いはずです。スクリューではなく、ウォータージェット推進です! 船体後部下方に高圧の水流を噴出するノズルが2本見えています。 |
岡村島に上陸しました。岡村島は面積3.17平方kmという小さな島で、令和2年(2021年)11月時点での人口は約280人。急速に過疎化が進んでいます。この岡村島と隣接する大下島(おおげしま)、小大下島(こおげしま)の3島は、安芸灘諸島の中でも特別に“関前諸島”と呼ばれ、今治市に合併する前の自治体名は越智郡関前村でした。関前という地名は、中世においてここは瀬戸内海を近畿に上る主要航路(沖乗り航路)の航路上で、大三島にあった“潮待ちの関”の手前に位置していたことから、「関前」と呼ばれるようになったとされています。この関前諸島の島々は石灰岩の露頭が見られて、明治時代には盛んに石灰の採掘が行われて島の形が変容するほどだったのですが、現在は資源の涸渇により採掘は行われておりません。
岡村島をはじめとした関前諸島の島々は農業と漁業の島で、農業ではレモンを含めた柑橘類が栽培されています。漁業では島内各地にフィッシングポイントがあるくらいで、魚の宝庫であり、特に潮の流れが速い小大下島と大下島の間にある怒魚場(100メートル四方ほどの範囲)で獲れるサバ、アジ、鯛が怒サバ、怒アジ、怒鯛というブランドとして築地市場などでも好評を得ています。また、サワラ(鰆)漁が盛んで、岡村島で獲れる旬の鰆の刺身は絶品とされています。その他、サザエ、ワカメ、ヒジキ、天草、イギス草などが採れます。ちなみに、関前諸島で採れるイギス草(紅藻)を用いて作られる「いぎす豆腐」は、今治市を中心とした瀬戸内海地方に伝わる郷土料理で、愛媛県の越智・今治地方では夏の風物詩としてお盆や法事の際に食されます。
岡村島についてご紹介するには、地元愛媛県では中年男女を中心に絶大な人気を誇り、全国にも熱烈なファンが多数いることで知られる愛媛県西条市在住のアーティスト、レーモンド松屋さんが、平成22年(2010年)に59歳にしてメジャーデビューを果たし、第43回日本有線大賞の「新人賞」と「有線問い合せ賞」をダブル受賞した名曲「安芸灘の風」を聴いていただくのが一番です。この『安芸灘の風』は私もカラオケでよく歌う楽曲なのですが、いわゆる“ご当地ソング”で、舞台となる場所の名所や名物がキーワードとして歌詞の中に幾つも散りばめられています。で、この『安芸灘の風』は「安芸灘とびしま海道イメージソング」で、“安芸灘”という地名から広島県の“ご当地ソング”のように思われるのですが、よく歌詞を聴いていただくと、楽曲の舞台となったメインの場所は、実は安芸灘諸島の島々の中でも唯一愛媛県に属する岡村島だということがお分かりいただけると思います。このことを知らずにカラオケで歌っておられる方も多いのではないでしょうか。
ちなみに、レーモンド松屋さんの熱烈なファンの間では、岡村島は“聖地”のようになっていて、メジャーデビューして世に知られるようになってから10年以上経った今も、全国から訪れるファンが後を絶たないのだそうです。実は私が今回岡村島に行こうと思ったのも、かつてよくカラオケで『安芸灘の風』を歌っていたから。前々からいつか岡村島に行ってみよう!…と思っていました。
https://youtu.be/DoQO4RDiRgQ 『安芸灘の風』ユニバーサル ミュージックジャパン公式YouTube
まずは『安芸灘の風』のプロモーションビデオ(PV)をお聴きいただき、安芸灘諸島、そして岡村島をイメージしていただければ…と思います。1番の歌詞に出てくるのが、モロに岡村島です。著作権法の関係で歌詞そのものは載せられないので、歌詞に出てくるキーワードを歌詞への登場順に写真付きで解説していきます。
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この日は赤線の部分を往復で歩きました。(国土地理院ウェブサイトの地図を加工して作成) |
【青くやわらかなこの海】……岡村島周辺の海は瀬戸内海を東西に走る航路や本州と四国を結ぶ航路が幾つも重なり、瀬戸内海でも特に船舶通航量の多い海域になっています。ここは岡村港。江戸時代には沖乗り航路の船の風待ち潮待ちの港として栄えました。
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岡村港です。江戸時代には沖乗り航路の船の風待ち潮待ちの港として栄えました。 |
【揺籠】……また、岡村島周辺の安芸灘の海底の地形は凹凸が多く、産卵や稚魚の生育に適していることから水産資源に富み、タイやサワラなどを漁獲する延縄漁で知られています。
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向こうに見えるのは大下島、小大下島といった関前諸島の島々と芸予諸島の中心に位置する大三島でしょうか。こうした島々に囲まれているので、沖合と比べ岡村島の周囲の海は穏やかです。 |
【眠る歴史】……岡村島をはじめ安芸灘(斎灘)に面した安芸灘諸島の島々は古くから瀬戸内海の海上交通の要衝にあたり、岡村島にも平安時代に空海や菅原道真らが立ち寄った伝承が残っています。また、戦国時代には村上水軍の城砦が築かれました。瀬戸内海では1日に2回の海面の干満があり、6時間毎に潮流が逆転します。逆潮を避けるために、また潮に乗る(順潮)ために潮待ちの停泊が必要でした。また、江戸時代に入り、大きな木綿帆が使われるようになると、船の帆走能力が一気に高まりました。それによって、多少の逆潮でも風さえよければ航海することが可能となり、潮流の比較的穏やかな沖合を一気に駆け抜ける航路が新しく開発されました。それが“沖乗り航路”です(それまでの瀬戸内海航路は船や帆が小さかったため、本州の陸地沿いを進む“地乗り航路”が主流でした)。それでも当時の海運は、風向きや潮の流れに大きく左右されたため、順風や順潮になるのを待つ必要がありました。岡村島と隣の大崎下島は隣接する島との関係で比較的潮流が緩やかな場所であったことから、江戸時代中期には岡村島の岡村港は隣島の大崎下島の御手洗港などとともに、沖乗り航路のための風待ち、潮待ちの港として整備され、大いに栄えました。さらに夜間の航行も可能とするため、天文5年(1740年)には岡村島の南端にある観音崎に灯明台が築かれました。
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岡村島の集落は、岡村港の周辺の海岸沿いに固まってあります。 |
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姫子島神社です。御祭神は女性の神様で木ノ花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)。木ノ花開耶姫命の父君は隣の大三島にある日本総鎮守・大山祇神社の御祭神である大山祇命(オオヤマズミノミコト)です。古い歴史を感じさせる神社です。 |
【蝶】……岡村島には絶滅危惧種で珍蝶であるクロツバメシジミが生息し、島のシンボル的な存在となっています。
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岡村港の2階にある食堂「ちょうちょ島館」の壁に飾られていた地元の方が描かれたクロツバメシジミ蝶の絵です。 |
【関前】……前述のように、岡村島と隣接する大下島、小大下島の3島は、安芸灘諸島の中でも特別に“関前諸島”と呼ばれ、今治市に合併する前の自治体名は越智郡関前村でした。
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今治市の関前支所。かつての越智郡関前村役場です。 |
【観音崎】……観音崎は岡村島の南端に位置する岬で、前述のように沖乗り航路の夜間航行を可能とするため、天文5年(1740年)には灯明台が築かれました。観音崎は岡村島を代表する景勝地で、展望台からは多島海瀬戸内海の美しい風景が眺められます。瀬戸内海国立公園らしいメチャメチャ美しい光景です。遠くに中島をはじめとした忽那諸島の島々、その向こうに松山市街も見えます。ただこの日はPM2.5のせいか大気が霞んでウッスラとしか分かりませんでした。観音崎には『安芸灘の風』の歌碑が立っています。歌碑には「安芸灘の風発祥地」の文字が刻まれています。確かにこの岡村島が名曲『安芸灘の風』の舞台になったところです。
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観音崎です。沖乗り航路の夜間航行を可能とするため、天文5年(1740年)にここに灯明台が築かれました。 |
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岬の先端に『安芸灘の風』の歌碑が立っています。 |
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岡村島は瀬戸内海国立公園の一部として指定されているところで、観音崎はその景勝地です。 |
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観音崎は岡村島を代表する景勝地で、展望台からは多島海瀬戸内海の美しい風景が眺められます。観音崎から西の方向をみたところです。遠くに中島をはじめとした忽那諸島の島々、その向こうに松山市街もうっすらと見えます。 |
観音崎から岡村島の西岸を北に向かって歩きます。このあたりの海は潮流が速く、そのため水が透き通っていて、メチャメチャ綺麗です。特に砂浜が美しい。狭い海峡を挟んだ対岸は大崎下島(広島県呉市)です。国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている大崎下島の御手洗の街並みが見えます。瀬戸内海国立公園らしいメチャメチャ美しい光景です。
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このあたりの海は潮流が速く、そのため水が透き通っていて、メチャメチャ綺麗です。特に砂浜が美しい。 |
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狭い海峡を挟んだ対岸は大崎下島(広島県呉市)です。国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている大崎下島の御手洗の街並みが見えます。 |
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本州(広島県呉市)と岡村島の間は「安芸灘とびしま海道」(正式名称:安芸灘諸島連絡架橋)と呼ばれる7つの橋で結ばれているのですが、そのうちの3つの橋が大崎下島と岡村島の間に架かっています。 |
【とまちせと】……人待瀬戸(とまちせと)は岡村島の北西端、大崎下島との間にある海峡のことです。安芸灘諸島の島々は本州(広島県呉市)から「安芸灘とびしま海道」と呼ばれる7つの橋で結ばれているのですが、その最後の橋である岡村大橋のすぐ下にある海峡は「人待瀬戸」と呼ばれ、展望台があります。レーモンド松屋さんは、おそらくこの人待瀬戸の風景を見て、名曲「安芸灘の風」をイメージしたのではないか…と推察します。ちなみに、この「人待瀬戸」、正式な地図上の表記は「戸町瀬戸」。実はレーモンド松屋さんの最初のオリジナル歌詞では「戸町瀬戸」になっています。レーモンド松屋さんの『安芸灘の風』のヒットにあやかって「人待瀬戸」と改称したと思ったのですが、古い文献の中にも「人待瀬戸」と表記されているものがあり、もともと「人待瀬戸」だったようです。
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「安芸灘とびしま海道」の岡村大橋です。橋のすぐ下にある海峡は「人待瀬戸(とまちせと:地図上の表記は“戸町瀬戸”)」と呼ばれています。 |
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「人待瀬戸」の地名から縁結びのパワースポットになっていて、多くの人が縁結びの願掛けに訪れているようです。 |
【幾つもの橋】……
“幾つもの橋”というのは「安芸灘とびしま海道(安芸灘諸島連絡架橋) 」の7つの橋のことですね。その「安芸灘とびしま海道」の現時点での最終地点が岡村島です。岡村島は本州(広島県呉市)から「安芸灘とびしま海道」の7つの橋で結ばれているのですが、その最後の橋であるのがこの岡村大橋です。岡村大橋は岡村島と中ノ島という無人島を結んでいます。で、この岡村大橋の中間地点が愛媛県と広島県との県境になっています。人待瀬戸から、岡村大橋、中の瀬戸大橋、平羅橋という連続する3つの橋を使って、大崎下島に渡りました。
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岡村大橋の途中にある愛媛県と広島県との県境です。海の上に記された県境。珍しい光景ではありますね。 |
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岡村大橋の下を小型フェリーが進んでいるのが見えます。大崎下島の小長港と大崎上島の明石港を結ぶフェリーですね。船の前後両端にランプウェイを持ち、操舵室が船体中央にあり、前後どちらの方向にも進むことができる“神中型”と呼ばれるフェリーです。松山市の高浜港と興居島間の航路でも使われていますが、広島県ではよく見掛けるタイプのフェリーです。 |
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次の橋は「中の瀬戸大橋」。この橋は中ノ島と同じく無人島の平羅島(へいらじま)の間を結んでいます。 |
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その次の橋は平羅橋。平羅島と大崎下島の間に架かっている橋で、安芸灘とびしま海道の橋の中で一番小規模の橋です。この海峡は狭く、通航する船舶も漁船など小型船に限られるため、海面との桁下高さを5メートル程度と低く設定されたことにより、鋼橋では波浪による防錆、つまり塩害対策で維持管理費が増大する可能性が出てきたことから、経済性でコンクリート橋が採用されました。 |
【安芸灘の光る風】…平羅橋を渡り終えたところが大崎下島。「安芸灘の風」の2番に登場する島です。“光る風”とは太陽に照らされてキラキラと光る安芸灘の海面の上を吹く風のことなのでしょうが、実は岡村島から安芸灘とびしま海道の方向は南西に向いていて、午前10時を過ぎると太陽が目に入って、逆光でやたら眩しいのです。その眩しい光の中を吹いてくる風という意味もあるのではないか…と私は推察します。この1番の歌詞を読む限り、この歌の主人公の女性は、明らかに岡村島に住む女性ですね。
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大崎下島に渡ってきました。道路標識に見える“蒲刈”とは上蒲刈島、下蒲刈島のこと。「安芸灘とびしま海道」は蒲刈を経て、広島県呉市、すなわち本州に繋がっています。 |
……②に続きます。②は明日5月5日に掲載します。
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