大武川橋を渡った先からは三吹(みふき)集落に入ります。進行方向右側には相変わらず七里岩が続いています。
その七里岩越しに八ヶ岳の特徴的な山容が見えるはずなのですが、残念ながらこちらも5合目付近より上は雲の隠れてしまっています。
このあたりも豊かな田園風景が広がっています。「This is the JAPAN!」「これぞ日本!!」とでも呼びたくなるような光景です。このあたりは「武川米」と呼ばれる良質な米の産地です。
振り返ると富士山がその雄大な山容を覗かせています。
甲斐駒ケ岳は引き続き雲に隠れています。
三吹集落に入ります。このあたりから登り勾配の道になります。写真では分かりづらいと思いますが、まず最初にちょっとした急勾配の坂道を登ります。このような登り勾配が、これから先、蔦木宿まで続くわけですね。この先長いので、心持ちギアを落として歩きます。
大きな茅葺き屋根だったと思われる大きな民家があります。
この三吹集落も土塀で囲まれていたり、土蔵を持っていたりする大きな民家が建ち並んでいます。落ち着いた雰囲気の道です。
庚申塔をはじめ、石仏石塔群が集められて祀られています。
この石仏石塔群のところで左手の脇道に入り、かなり急な坂道を登っていきます。ここは曹洞宗の寺院、万休院の参道です。眼下に今も藁葺きの民家の屋根が見えます。聞くと、民家ではなく水車小屋なのだそうです。だよねぇ〜、民家だとちょっと屋根が小さすぎます。
万休院です。万休院の創建は戦国時代の元亀2年(1571年)に、武田二十四将と呼ばれた武田信玄・勝頼期の重臣のうち猛将として知られ「武田四天王」の1人に数えられた馬場信房(馬場信春)の嫡男・馬場民部少輔昌房によって開基された曹洞宗の寺院です。
境内には「舞鶴松」と呼ばれる樹齢約450年の赤松の巨木がありました。枝の上に枝を重ねた樹形が美しく、ツル(鶴)が羽を広げた姿によく似ていることから舞鶴松の名がつきました。樹高約9メートル、根回り約4メートル、幾重にも枝分かれし、左右に広がる総枝回りは約74メートル。全体が約370本もの支柱で支えられていました。アカマツ(赤松)の名木として知られ、昭和9年(1934年)には国の天然記念物にも指定されたのですが、残念ながらマツクイムシの被害で枯れ、平成18年(2006年)11月に伐採されてしまいました。
案内板によると、この樹齢450年と言われる有名な巨木は2代目の松で、現在、寺院の庭園に植えられている松は、樹齢100年とも想定される赤松を3代目舞鶴松として平成20年(2008年)9月に植栽しました。
平成18年(2006年)11月にマツクイムシの被害で枯れ、伐採されてしまった2代目の舞鶴松は幹の部分だけが展示されています。
万休院でしばしの休憩をとり、旧甲州街道歩きを再開しました。万休院から旧甲州街道に下る坂道からは雄大な南アルプスの山々の姿が見えるのですが、正面に見えるはずの甲斐駒ケ岳は相変わらず山頂付近に雲がかかっていて、その全貌を拝むことができません。
……(その7)に続きます。
0 件のコメント:
コメントを投稿