2019年5月4日土曜日

甲州街道歩き【第12回:笹子峠→石和】(その4)

サミット(頂上)でしばし休憩した後、今度は笹子峠を甲府盆地に向けて下っていくことにしました。下りの峠道はこれまでの登りの峠道と比べると傾斜の緩やかななだらかな道が続きます。
山梨県道212号日影笹子線まで下ってきたところに笹子トンネル(笹子隧道)の甲府側の抗口があります。
その笹子隧道の抗口のところで山梨県道212号日影笹子線を横切ると、「甲州街道峠道」と書かれた案内標識があり、その案内標識が立つ横のガードレールの間から下っていく山道があります。これまで何度も書いているように、クルマが走行する道路は道路の傾斜を緩くするためにS字のヘアピンカーブを何度も繰り返しながら伸びているのですが、旧甲州街道はそのS字のヘアピンカーブを短絡するように、最短コースを急傾斜の山道で伸びています。
その急傾斜の山道を下っていきます。途中何度かS字のヘアピンカーブで下ってくる山梨県道212号日影笹子線と出くわすのですが、舗装されたその道を歩くことなく、ひたすら山道を下っていきます。
「史跡 甘酒茶屋跡」と書かれた案内標柱が立っています。説明書きによると、「江戸時代、笹子峠を往来する人々の憩いの場所として、甘酒などを振る舞うお茶屋さんがあったところです」とのことです。
また山梨県道212号日影笹子線と出くわします。しっかし、この県道のガードレールの向こう側にある獣道のような細い山道が旧甲州街道だなんて、県道をクルマで通る人は誰も気づかないでしょうね。
おやっ!? 山の北側斜面にあるこの谷の奥にだけは、まだ少し雪が残っています。でも、この週末は暖かいので、融けちゃうかな?
また、S字のヘアピンカーブが続く県道を突っ切って短絡するように「甲州街道峠道」は続きます。
小さい沢を丸太橋(板橋)で渡ります。
次の沢は丸太橋がないので、そのまま歩いて渡ります。雨季で沢に水が流れている時は、石伝いに渡るようです。
右手を流れる川は笹子沢川。分水嶺である峠を越えてきたので、水が流れる方向が変わります。この笹子沢川は甲府盆地を流れる日川の源流の1つで、その日川はこの先の山梨県甲州市の石和宿の近くで笛吹川に合流し、甲府盆地の南東を流れて山梨県南巨摩郡富士川町で釜無川と合流。そこからは日本三大急流の1つに数えられる一級河川の「富士川」に名前を変えて、そのまま富士山の西側を南流。途中、早川をはじめ幾つかの大きな支流と合流しながら、静岡県富士市の雁堤南で東海道と交差し、富士市と静岡市清水区との境付近で駿河湾に注ぎます。
ちなみに、笹子峠を登ってくる途中、横を流れていた新田沢川は笹子川の源流の1つで、その笹子川は大月市の大月宿の手前で富士五湖の1つである山中湖を水源とする桂川と合流。桂川となって猿橋あたりで美しい渓谷を形成し、相模湖に流入。そこからは一級河川の相模川と名称を変え、相模湖と津久井湖という2つのダム湖を経て、緩やかに進路を変えながら神奈川県中部を貫き、平塚市と茅ヶ崎市の境付近で相模湾に注ぎます。

富士川水系と相模川水系、笹子峠はこの富士山を囲むように流れる2つの一級河川の分水嶺というわけです。
富士川あの源流の1つらしく、澄みきった綺麗な水が流れています。飲んでみたいという衝動に駆られるのですが、谷底に下りる崖が急で、危険そうなので諦めました。

ここで笹子峠の下りの区間で最大の難所を通ります。それがこれ。丸太橋です。一見ふつうの丸太橋なのですが、問題はその高さ。谷底までは約5メートルと言ったところでしょうか。橋桁となっている4本の丸太の間に隙間があって、そこから下の谷底が見えるので、高所恐怖症の人にとっては足がすくんでしまうような橋です。実は私も高所恐怖症なので、この橋を見た時には「ゲッ!!」っと思ったのですが、この橋を渡らないと先には進めないと思い、渡る順番が来たので、勇気を振り絞って最初の1歩を踏み出しました。
用心しながら11歩足を踏み出すたびに、微妙に揺れる橋に心臓の鼓動がバクバクと早くなります。緊張しながらなんとか渡り切ると、ドッと汗が噴き出してきました。私にとっては登りの難所と言われた急勾配の坂道よりも、この丸太橋が笹子峠最大の、と言うことは、甲州街道最大の難所となりました。江戸時代もここには同じような丸太橋が架けられていたそうで、甲州街道を行き交う人々は、私と同様、心臓をバクバクさせながらこの笹子沢川に架かる橋を渡ったのでしょうね。

難所の丸太橋を渡りきった後は、杉や広葉樹の林の中の整備された遊歩道の緩斜面を下っていきます。かなり高度も下がってきました。
おそらくこの冬の間に雪の重みで折れたと思われる倒木や枯葉に覆われていますが、ここに馬頭観音(馬頭観世音菩薩)が祀られています。同じく、おそらく雪の重みで折れたと思われる案内標柱には、「江戸時代、笹子峠道を往来しながら荷物を運ぶ馬の安泰を祈願しました」と書かれています。一説には、馬頭観音は、不幸なことにその往来の途中に命を落とした馬を埋葬したところに立てられたとも言われています。いずれにせよ、往時はこの細く険しい峠道を、荷を背負った馬や牛が往来していたってことなのですね。現代では想像しがたいことなのですが、ここに馬頭観音が祀られているということは、そういうことなんでしょう。
「自害沢天明水→」という案内表示板が立っています。「自害沢」とはなんとも物騒な地名です。小山田信茂離反の知らせを受けて、絶望感の中でこの笹子峠の峠道を引き返す途中の武田勝頼の家臣が、ここで自害したのでしょうか。帰ってからこの笹子峠にある「自害沢」という地名の由来を調べてみたのですが、よく分かりませんでした。「自害沢」というなんとも物騒な地名の後ろに付く「天明水」という3文字。「天明水」とは透き通った綺麗で美味しい水が湧き出しているという意味です。きっとこの先で清水が湧き出しているところがあるのでしょうね。
このあたりから綺麗に整備された遊歩道になっています。
笹子沢川にも砂防ダムがあります。「笹子沢荒廃砂防ダム」と書かれています。かなりの落差のある規模の大きな砂防ダムです。さすがに日本三大急流の1つに数えられる一級河川の「富士川」の源流の1つです。
九十九折(つづらおり)になった遊歩道をグングン下っていきます。遊歩道として歩きやすく整備はされていますが、この遊歩道は旧甲州街道をそのまま使っているそうで、往時もこんな雰囲気のところだったのでしょうね。
おや!、街道横の斜面(法面:のりめん)が崩れてしまっています。冬の間の雪で崩れてしまったのでしょうか。法面が石垣になっているのは、江戸時代から何度も崩れたところだってことなんでしょうね。
広葉樹の樹々の向こうに次の砂防ダムが見えます。この砂防ダムも相当の落差があるダムで、水が滝のように流れ落ちています。人工の滝なのですが、樹々の間から見える様は、なかなかの滝です。


……(その5)に続きます。

0 件のコメント:

コメントを投稿

愛媛新聞オンラインのコラム[晴れ時々ちょっと横道]最終第113回

  公開日 2024/02/07   [晴れ時々ちょっと横道]最終第 113 回   長い間お付き合いいただき、本当にありがとうございました 2014 年 10 月 2 日に「第 1 回:はじめまして、覚醒愛媛県人です」を書かせていただいて 9 年と 5 カ月 。毎月 E...