2019年3月14日木曜日

江戸城外濠内濠ウォーク【第9回:江戸城西の丸・二の丸】(その4)

江戸城も西の丸(皇居)を参観したので、残るは「二の丸」のみです。皇居の一般参観を終えて向かった先はその江戸城二の丸です。内桜田御門(桔梗御門)を出て、桔梗濠沿いを大手御門に向かって歩きます。桜田巽櫓、そしてその先に内桜田御門と富士見櫓が小さく見えます。この日はよく晴れて、絵葉書にでも使えそうな綺麗な写真が撮れました。


桔梗濠ではカルガモがのどかに餌を食んでいます。


手荷物チェックを受けて、大手御門を潜ります。


大手御門を入ってすぐ左手からやって来る道路があります。その先に見覚えのある皇宮警察本部庁舎(旧枢密院庁舎)が見えます。そのさらに先に内桜田御門(桔梗御門)があり、内桜田御門(桔梗門)から登城してきた10万石以下の小大名や直参旗本達はこの道路を通って本丸に向かい、大手御門から登城してきた徳川御三家をはじめ禄高10万石以上の大大名達とここで合流して、本丸に登城していました。


「三の丸尚蔵館」のあるあたり一帯が三の丸です。このあたりは前回【第8回】で訪れました。


「大手三ノ御門(下乗門)」の跡、「同心番所」の跡を過ぎ、百人番所の手前のところ右に曲がります。ここをまっすぐ進むと本丸へ向かう「中ノ御門」になります。ここにも「銅門(あかがねもん)」という御門があり、この銅門から先が江戸城二の丸でした。この銅門も枡形門で、先ほど通ってきた大手三ノ御門(下乗門)の西側に隣接していて、大手三ノ御門の枡形内の西側の面の裏が銅門枡形内の東側の面になっていて、この部分の石垣を共有している構造になっています。 共有というよりも、大手三ノ御門の石垣を銅門が借りているという印象さえ受けます。 銅門は左折れの枡形門で、枡形内には高麗門をくぐって右手のほうに番所がありました。高麗門とその石垣、渡櫓門とその石垣は完全に撤去されていて、 更にその跡地には斜めに歩道が整備され、枡形内は芝生や植木で整えられており、往時の面影を偲ぶことはできません。


皇居正門の石橋の照明だった電燈がここに移設されて立てられています。明治の時代を感じさせる豪華な電燈です。


江戸城二の丸は本丸の東側に位置し、第3代将軍徳川家光の命で寛永7(1630)に、備中松山藩第2代藩主で、のち近江小室藩初代藩主となった小堀政一に命じてこの地に遊行のための庭園を造成させました。小堀政一は備中松山藩第2代藩主、近江小室藩初代藩主という大名である一方で、優れた茶人、建築家、作庭家、書家であり、武家官位である遠江守からその方面では小堀遠州の名で知られています。この小堀遠州の手により造成された庭園では、第3代将軍の徳川家光と先代の第2代将軍徳川秀忠との茶会が催されています。築庭当初の江戸城二の丸庭園は白鳥濠と繋がる池の中に能舞台を配するなど遊興性の強い造りで、将軍の別荘のように使用されましたが、創建5年後には取り壊され、第2代将軍徳川秀忠が死去した後の寛永13(1636)にはその跡に世継ぎの竹千代(のちの第4代将軍徳川家綱)のために二の丸御殿が建てられ、その御殿の東側に庭園を配置しました。


この世継ぎの竹千代のために建てられた二の丸御殿も明暦3(1657)の「明暦の大火」で焼失。その後、二の丸は大御所(隠居した前将軍)や将軍生母達の居住場所となり、御殿は何度も焼失と再建を繰り返しますが、最終的には本丸をはじめ江戸城中の建物が焼失した文久3(1863)の大火で焼失。その後、明治維新が起きて徳川幕府そのものがなくなったため、再建はなされず、荒廃したままになっていました。

昭和35(1960)の閣議決定で皇居東地区の旧江戸城本丸、二の丸及び三の丸の一部を皇居付属庭園(東御苑)として整備することとなり、現在の池泉回遊式の庭園は、その閣議決定に伴う昭和43(1968)の皇居東御苑の公開の開始にあたり、第9代将軍徳川家重の時代に作成された庭園の絵図面を参考に造られたものです。特に、池に関しては小堀遠州の作といわれる大名庭園時代の池泉をそのまま活用したと言われています。

このあたりは「二の丸雑木林」と呼ばれています。白鳥濠の東側に広がるこの「二の丸雑木林」は武蔵野の自然を再現した雑木林で、昭和天皇のご発意により、武蔵野の面影を持つ樹林として、昭和57(1982)から昭和60(1985)にかけて整備されたものです。また、この雑木林のある一帯は、江戸時代、二の丸御殿のあったところで、徳川家光の世子竹千代(のちの第4代将軍徳川家綱)の住まいや、前将軍の側室が晩年を過ごした場所でもあります。


このあたりの雑木林は、「昭和天皇の御発案でつくられた雑木林を拡張してはどうか」との今上天皇陛下のお考えから、平成14(2002)に整備されたものです。常緑広葉樹の植えられていた区画を落葉広葉樹の林にしたもので、多様な生き物の棲み家となるよう、隣の雑木林から種子や昆虫の卵の入った表土を運び入れ、野鳥や昆虫の好む樹木を植えて、小さな流れも作りました。新たに拡張されて雑木林では、武蔵野の雑木林を代表するクヌギ、コナラ、アカシデ、カマツカをはじめ、野鳥や昆虫が好むコゴメウヅキやウグイスカグラ、ウメモドキ等の多様な植物が植えられ、すっかり武蔵野の雑木林に戻っています。大都会の喧騒もクルマの音も聞こえず、静かです。この雑木林のすぐそばに千代田区大手町があり、ここが首都東京の正真正銘のど真ん中であることを忘れさせてくれます。また、かつて、二の丸のこの雑木林あたりに御殿があったということも信じられません。



……(その5)に続きます。


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