10月14日(日)、『甲州街道歩き』の【第9回】、犬目宿〜猿橋宿を歩いてきました。前月同様前日の10月13日(土)に江戸城外濠内濠ウォークを歩いたばかりで2日連続の「歴史探訪ウォーク」になります。前回【第8回】でも書きましたが、同じ「歴史探訪ウォーク」と言っても、かたや皇居の周囲をグルッと取り囲む内濠沿いという東京都心ど真ん中、それももともと日比谷入り江という海だったところを歩くウォーキング、かたや甲斐路に入って河岸段丘の山道を登ったり下ったりしながらのウォーキング、趣きがガラッと変わります。そのギャップもまた一興ってところなのですが、バスを降りると、そのギャップの大きさに正直面喰らいます。まぁ〜、歩き出すとそれもすぐに忘れて、気分も切り替わってしまうのですが…。
今回の街道歩きのスタートポイントは前回【第8回】のゴールだった犬目宿の本陣跡前でした。この日気になっていたのはお天気。秋雨前線が日本列島近海まで北上してきた関係で、前日の13日(土)は関東地方も1日曇り空で、自宅のある埼玉県さいたま市も厚い雲が垂れ込め、夜には雨が降るあいにくのお天気でした。この日も朝自宅を出た時にはまだ少し小雨が残っていました。予報によると秋雨前線はこのあと南下していく(日本列島から離れていく)ようで、これから行く山梨県地方も「雨のち曇り」の予報になっています。1kmメッシュ天気予報のHalexDream!で確認すると、犬目のあたりは午前9時過ぎには雨があがり、その後は曇りのマークが続いています。ヨシッ!! 「晴れ男のレジェンド」はいまだ健在のようです。とは言え、この日歩くのは甲州の山の中。お天気が変わりやすいので、雨具はちゃんとリュックに入れておきました。夜の間降り続いたであろう雨で、アップダウンの激しい山道は相当滑りやすくなっているはずですから、足元もトレッキングシューズを履いてバッチリです。
いつものように入念なストレッチ体操を終えて、街道歩きのスタートです。この日はこの犬目宿を出て、下鳥沢宿、上鳥沢宿を経て、日本三大奇橋の1つ「猿橋」で有名な猿橋宿まで歩きます。犬、鳥(キジ)、猿……、桃太郎伝説のような地名の宿場が続きます。
前回は前に観光バスが停まっていたので写真が撮れませんでしたが、ここが犬目宿の問屋場「大津屋」があったところです。道路(旧甲州街道)を挟んで反対側は本陣でした。天保14年(1842年)の記録によると、犬目宿は戸数56戸、人口255名、本陣2軒、脇本陣0軒、旅籠15軒(大3軒、中3軒、小7軒)の山峡の小さな宿場でした。なので、大津屋の前を出発すると宿場はすぐに終わります。そこで旧甲州街道は桝形になっていて、その桝形を直角に右に折れていきます。
枡形を曲がってすぐに龍澤山寶勝寺という寺院が右手にあります。
犬目宿は標高が510メートルと甲州街道の宿場の中では最も標高の高いところにある宿場で、眺望が大変素晴らしかったところでした。この寶勝寺のこのあたりから見える富士山の風景は葛飾北斎の富岳三十六景の1つ『甲州道中犬目峠』や歌川広重の版画でも有名です。残念ながら今日はあいにくの曇り空で、雲に隠れて富士山の姿は見えません。ウォーキングガイドさんが示してくれた葛飾北斎と歌川広重の版画でイメージすることにしました。
その富士山の景勝地にデーン!と立つこの気になる観音像は犬目慈母観音像。平成16年(2004年)に多くの方の寄進により建立されたものだそうで、新しいものです。頭から足まで1本の石で彫られているのだそうです。その観音像に向かって参加者一同で道中の安全を祈願しました。
寶勝寺から旧甲州街道に戻り、先を進みます。
富士急山梨バスの犬目の折り返し所です。ここに気になるものが祀られています。
陰陽石です。説明は不要ですよね。男女の生殖器の形をした石像です。多産や五穀豊穣の祈願などを目的としたこうした生殖器崇拝は日本全国で見られると聞いたことがありますが、実際に祀られているのを見るのは実は初めてです。これ以上のコメントは避けます。ご興味のある方は、ぜひ旧甲州街道を歩き、この陰陽石のところまで自力でたどり着いてください。さすがにふだんは扉が閉まっていますが、鍵はかかっていないようなので、容易に見ることはできるようです。
「旧甲州街道案内図」が立っていますが、どうもこれは私達とは反対に下諏訪から江戸方向を目指す人向けの案内図のようで、一番左側が犬目、一番右側が上野原です。よく見るとこの案内図を設置したのは上野原町(現在は上野原市)と上野原町観光協会。どおりでね。せっかくの案内図ですが、この案内図ではこれから先の情報を仕入れることができません(笑)
このあたりの旧甲州街道は現在は山梨県道30号大月上野原線になっています。しばらくは山梨県道30号大月上野原線を歩きます。
萩の花が咲いています。“萩”は草カンムリに“秋”。秋ですね。
この花はなんでしょうか?
萩の花に似てはいますし、葛(クズ)の花のようでもありますし…。はて???
ここにも「甲州街道史跡案内図」が立っています。先ほど見かけたものより絵入りなので分かりやすく良くできているのですが、残念ながらこちらも犬目宿から上野原宿方面向けのものです。こちらは上野原町教育委員会が立てたものです。
右側に不動明王らしき石像があり、すぐその先に白馬不動尊の赤い鳥居があります。天平9年(737年)の夏から秋にかけて疱瘡(天然痘)が大流行し、時の天皇が神の啓示を仰ぐと、犬目の白鳥不動尊を祈願せよというお告げがありました。天皇の命により名僧行基が白滝に打たれ祈願すると、諸国の疱瘡が治まったという伝説が伝わっています。山中には神社の本殿(不動院)と白滝があるらしいのですが、ここから歩いて10分ほどのところにあるそうで、参拝はパスしました。
茅葺きの農家のような趣きのある建物が見えます。ここは瀧松苑という蕎麦屋さんで、完全予約制なのだそうです。
このあたりの田圃は稲刈りが終わった直後で、刈り取られた稲が稲架にかけて天日干しされています。刈り取り直後の稲は水分が多いので、こうして天日に干して十分乾燥した頃に脱穀を行います。最近は稲刈りから脱穀までの作業を一貫して行えるコンバインの普及により、こうした光景はなかなか見られなくなりましたが、現在でも、山間地や棚田(圃場整備が行われていない千枚田など)のように大型の農業機械の導入が困難な田圃などでは従来通り鎌やバインダーで刈り取り、稲架にかけて天日干しして乾燥し、ハーベスターで脱穀するという組み合わせで収穫作業が行われています。また、天日干しで乾燥させると藁の栄養分が米粒に移ると言われていて、米の栄養や旨味を増したいと言う目的で天日干しが行われることもあります。
この稲架は小規模ですし、周囲に同様の稲架が見られないことから、どうもこの田圃の稲架は家族で食する自家用米のためのもので、後者の米の栄養や旨味を増したいと言う目的で行われている天日干しではないか…と推察されます。ブルーシートが掛けられてはいますが、昨夜の雨でせっかく干した稲穂も濡れてしまっていて、気の毒です。私が子供の頃はまだ圃場の区画整備も進んでおらず田圃も1枚1枚が狭いままで、コンバインの導入による機械化も進んでいなかったので、秋のこの時期にはこうした光景が日本全国のあちこちで見られました。懐かしい日本の原風景…って感じがします。
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