2019年8月22日木曜日

甲州街道歩き【第15回:蔦木→茅野】(その11)

山際を宮川に沿って進みます。
魚釣りをなさっている方がいます。聞くとアマゴを狙っているのだとか。「釣れますか?」と聞くと、「今日は全然ダメだ」とのこと。頑張ってください。
旧甲州街道はJR中央本線に沿って伸びています。
南無阿弥陀と刻まれた石塔が立っています。
早川橋で宮川を渡ります。
JR中央本線の線路の下をガードで潜り、次に線路脇を進みます。
宮川坂室交差点で長野県道197号払沢茅野線と合流します。この長野県道197号払沢茅野線は国道20号線の旧道で、国道20号線はこのすぐ西側の山の下を坂室トンネルで抜けています。
その宮川坂室交差点のところに石燈籠を含む石塔石仏群が祀られています。この石塔石仏群の上に神社があるようで、上へ登る参道の石段があります。
弓振橋で天竜川の支流の弓振川を渡り、茅野の集落に入っていきます。案内板によると、諏訪大社の神事の後、この川の水で弓を浄めたので弓振川なんだとか。
坂室交差点です。ここから右に入ったところに酒室神社があります。酒室神社は諏訪大社上社の「諏訪明神のみ狩り神事」である御射山祭に獨酒「どぶろく」を作り山の神に供える前夜祭を執りおこなう神聖な場であったと伝えられる神社です。御祭神は酒解子之神(サケトクネノカミ)。この酒解子之神は、私の故郷愛媛県今治市の大三島にある大山祇神社に祀られている大山祇神(オオヤマツミノカミ)の御子神である木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメ)のことらしいです。
なお、酒室神社のある地名が坂室。神社名が先だと推察されますが、同じ読みでも地名が坂室になった経緯については調べきれておりません。

土蔵を持った家があったりして、ここも旧甲州街道沿いの集落らしい趣きを感じます。
中央自動車道の下を潜ります。
キイチゴ(木苺)ですね。子供の頃、食べていました。
ここでまた右側にUターンし、急な坂道を登っていきます。
ここが本当に旧甲州街道か…と思っていると、やっぱりありましたデッカイ石塔石仏群が……。今度はデッカいのがたくさん並んでいます。中に大きな「三山大権現」の碑が立っています。三山とは羽黒山・湯殿山・月山という山形県にある出羽三山のことで、その出羽三山も山岳信仰の修験の場所です。なので、この「三山大権現」のデッカイ石碑はそこへの参拝記念に立てられたものだと推察されます。こうした石塔石仏群が道端に立っているということは、間違いなくこの道が旧甲州街道ということのようです。
この細い道が旧甲州街道です。
坂を下るのにしたがって、徐々に茅野の集落に入っていきます。
ここに江戸の日本橋を出てから50里目の「茅野村の一里塚跡」があります。現在、塚は取り壊され、一里塚の跡を示す碑だけが立っています。ついに江戸の日本橋を出てから50里目ですか50里というと約200kmです。遠くまで歩いてきたものです。今日だけで3つの一里塚跡を通りました。
いったん長野県道197号払沢茅野線に出るのですが、すぐに右の側道のほうに入っていきます。こちらが旧甲州街道です。
味噌の製造販売をやっている丸井伊藤商店の前の駐車場に観光バスが停車しています。この日の昼食は観光バスの車内でお弁当をいただきました。


……(その12)に続きます。

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