2020年12月30日水曜日

中山道六十九次・街道歩き【第16回: 長久保→和田峠】(その11)

トイレ休憩を済ませ、再び「男女倉口」バス停のところまで戻ってきました。前述のように、この男女倉口では新和田トンネルへ向かう国道142号線の新道と国道142号線の本道が分岐するのですが、道標には「これより和田峠、急カーブ、急坂路注意」の文字が書かれています。 

旧中山道は男女倉口で右に曲がり、国道142号線本道を少し進んだ先に旧中山道「和田峠登山口」が見えてきます。登山口には「中山道」の標柱が2本と案内板が立っています。

ここが旧中山道、和田峠の登山口で、いよいよ中山道最大の難所と呼ばれ、中山道を含む五街道最高地点である「和田峠」を目指すことになります。この男女倉口の標高が約1,100メートル。標高約820メートルだった和田宿を出発してから約2時間半。この男女倉口まで標高差約280メートルを登ってきました。和田峠の頂上(サミット)の標高が1,531メートルなのでこの男女倉口との標高差は約430メートル。いよいよここからが和田峠越えのクライマックスです。

おやおや、クマ出没注意の看板が立っています。団体さんでないと、なかなか通れませんね。


木々の葉っぱに覆われた薄暗い道に入っていくと、すぐに右に曲がって坂を登っていきます。ここからは旧中山道が昔の面影、趣きのままに残っています。江戸と京都を行き来する旅人が歩いたのも間違いなくこの坂道でした。

和田峠へ向かう「歴史の道」は遊歩道として地元・長和町の方々に整備されていて、予想していたよりもとても歩きやすい山道です。かつては碓氷峠と一二を争う中山道最大の難所だったそうなのですが、今は距離こそ長いものの、歩きやすさという点では碓氷峠ほどの難所ではありません。小さな沢を何度も横切り、緩やかに登っていきます。

細い山道を少し歩くと、使われていないような小屋が見えてきます。休み茶屋跡です。その隣に鉄柵で囲まれた「三十三体観音」があります。この「三十三体観音」はこの山の中腹の荒廃した熊野権現社前に並んでいた石仏で、中山道の退廃とともに毀損、散在していたのですが、昭和48(1973)の発掘調査により29体の観音像を発掘して、この旧中山道沿いの休み茶屋跡に合祀したものです。内訳は千手観音13体、如意輪観音4体、馬頭観音10体、不明2体で、4体が未発見のままです。この観音像は、きっと和田峠を往来する人馬の安全を祈ったものでしょう。

ここから観音坂と呼ばれる比較的広い緩やかな「草道」を登ります。途中、幾つもの沢を渡ります。水が流れている沢もあって、ほんのちょっと危険です。

旧中山道は和田川に沿って伸びているのですが、このあたりまで来ると和田川も源流にかなり近くなっているので、勾配もきつくなり、流れはかなり速くなっています。

やがて林の中に入るのですが、今度は薄暗くかなりきつい登り坂です。川幅のある沢煮には木橋が架かっています。その木橋も相当老朽化して朽ちているところもあるので、板を渡して補強してあります。その板の上を歩いていきます。

おっと、この木橋は川幅があるので、アルミ製の梯子を利用して補強した上に、板を渡しています。ちょっとワイルドな感じですが、このように地元の方々の手によってちゃんと整備・保全されているのが嬉しいですね。

勾配がかなりキツクなってきました。さすがに息が上がります。後ろを振り返るとその勾配のキツさがよく分かります。このあたりは峠越えというよりも“山登り”って感じですね。

しばらく林の中を歩くと国道142号線に合流します。合流した先に茅葺屋根の建物が見えます。(国道142号線は旧中山道に沿って伸びていて、見上げるとところどころで木々の間に自動車が走っているのが見えます。)

ここが旅人に粥、牛馬に麦を施した永代人馬施行所(和田峠接待茶屋)です。この接待茶屋は江戸呉服町の豪商「加勢屋(かせや)与兵衛」(中村有隣)という人物が金千両を江戸幕府に寄進し、幕府はそれを尾張藩に預け、その利息年間100両を二分して50両ずつを坂本宿と和田宿に下付し、文政11(1828)に設置・運営された施行所(接待茶屋)の一つです。和田峠のこの接待茶屋は和田宿に下付された年間50両で運営されていた接待茶屋です。11月から3月の冬の時期には峠を越える旅人に粥と焚き火、牛馬には年中桶一杯の煮麦を施しました。その後、鉄砲水で一度は流失したのですが、嘉永5(1852)に再建され、明治3年まで運営されました。現在の建物は復元されたものです。同じ加勢屋与兵衛が幕府に寄進した千両の利息で運営された施設は碓氷峠にもありました。この碓氷峠の接待茶屋は坂本宿に下付された年間50両で運営されていた接待茶屋です。

建物脇には湧き水が汲めるようになっています。

おやおや、ここにも「ゴミ無し童地蔵」が立っています。ここの「ゴミ無し童地蔵」は新型コロナウイルスの感染防止のためかマスクをしています。私達も当然のこととして今回は全員マスクを着用して街道歩きをしているのですが、山登りになるとマスクをしていると呼吸困難に陥りそうになるので、山登りの区間に入ってからは一人一人の間隔を少し開けた縦一列とした上で、マスクを外して歩くようにしました。

ここに観光バスが待っていて、昼食会場まで連れて行ってくれました。

 観光バスで国道142号線を走ること約10分。連れて行かれた先は……、見覚えのあるところです。中山道六十九次・街道歩きの【第17回】でスタートポイントとなった、すなわち今回【第16回】のゴールでもある和田峠頂上付近にあるドライブイン『和田峠茶屋』。なぁ〜んだってところです。しかし、この山の中で洗面設備も完備していて屋内で団体さんが昼食を摂れるところ(雨天の場合)って、なかなかありませんからね。『和田峠茶屋』がこうして営業をしていただけていることに感謝しないといけません。

昼食はボリュームたっぷりのお弁当に、『和田峠茶屋』名物の「きのこ汁」。ここまで登ってくる途中に「キノコ山 入山禁止」という立看板が立っているのを見かけましたが、このあたりは天然のキノコがたくさん採れるのでしょうね。天気もいいので、戸外でいただきました。素朴な味わいが美味しかったです。和田峠を越えた往時の旅人達も、ここで名物の「きのこ汁」に舌鼓を打ったのでしょうか。せっかくなので、『和田峠茶屋』の売店で乾燥シイタケと乾燥キクラゲをお土産に購入しました。軽いし。

  

……(その12)に続きます。


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