2020年12月23日水曜日

中山道六十九次・街道歩き【第16回: 長久保→和田峠】(その4)

ここから旧中山道は大門川に架かる落合橋、すぐ先の依田川に架かる和田橋と2つの橋を渡ります。旧街道らしく途中には石塔、石碑が並んでいます。道端の草むらの中に「百万遍供養塔」がひっそりと鎮座しています。

和田橋で依田川を渡ります。このあたりの標高が約680メートル。スタート地点の長久保宿の標高が約750メートルだったので70メートルほど下ってきました。ですがこのあたりがこの2日間のコースで最も標高の低い地点、すなわち“底”で、ここからは五街道最高標高1,531メートルの和田峠の頂上(サミット)目指して、ただひたすらの登りになります。和田峠との標高差は約850メートル。胸が躍ります。

実は安藤広重の描いた浮世絵の「長久保宿」は、実はこの落合橋のところを描いたものだそうです。

旧中山道は依田川に沿って伸びています。前述のようにこの依田川は千曲川の支流ですが、和田峠あたりを源流としています。

和田橋の際に青色の「中山道道標」が立っています。この「中山道道標」はこの先もポイント毎に立てられており、大いに助かります。

 その先で先ほど分岐した国道142号線に戻るのですが、すぐに次の青原交差点でその国道142号線から右に入ります。旧中山道は国道142号線を斜めに突っ切って延びていたと思われます。国道142号線との分岐点に中山道の案内板が立っています。

その先に「歴史の道」の碑が立っています。ここには中山道沿いにあった石塔・石仏が集められて安置されています。「水明の里ポケットパーク」というかなり広い芝生の公園が整備されています。その公園に沿って進みます。ちなみに、この「歴史の道」は国の史跡に指定されています。

ここから旧中山道は国道142号線と依田川を挟んだ対岸(西側)を延々と進みます。この道は旧の国道なのですが、バイパスができたおかげで今は車が時々通るだけののどかな道です。

「歴史の道」の名に相応しく、旧街道であった歴史を感じさせる雰囲気の道です。多数の石塔、石碑が並んでいます。

しばらく歩くと茅葺き屋根の小さな家が見えます。近づくと…、ワオ!  なんと茅葺きのバス停です。さすがに国の史跡「歴史の道」にあるバス停です。このバスは長和町営の巡回バス(JRバス関東が運行受託)のバス停で、ここから旧和田村に入ることになります。旧和田村に入ったといっても、和田宿はまだまだ先のようです。

先ほど茅葺屋根のバス停があったのですが、今度は宮造り風の屋根をしたバス停です。その宮造り風の屋根をしたバス停の横()に少し大きめの馬頭観音が立っています。

このあたりは下和田と呼ばれています。茅葺き屋根をトタンで覆った民家が幾つも建ち並んでいます。

このあたりに蚯蚓(みみず)神社と呼ばれる不思議な名前をした神社があるのだそうです。土の中に生きるものの代表として「みみず」を「蚯蚓大権現」として祀っています。ミミズは良質な土壌を生成するため農業には欠かせない大切なものなので、このように祀られたのだそうです。

このあたりの旧中山道は昔の面影を色濃く残しているので、「歴史の道」として国の史跡に指定されています。「歴史の道」の名の通り古い石碑が多いこのあたりに、ユニークな道祖神が建っています。これは「みみず道祖神」です。この「みみず道祖神」は近くにあるその名も蚯蚓(地名は“きゅういん”と呼ぶようです)地区の地元住民の要望で最近造られたもののようですが、「オス・メス2体のミミズの双体道祖神」です。先ほど通ってきた「蚯蚓(みみず)神社」の流れなのでしょう。説明板には、「この蚯蚓地区ではミミズの干物を作り、煎じて解熱剤にしていた」という記述があります。ゲッ、ミミズを煎じて解熱剤に?! この先にもいろいろな石碑が立ち並んでいます。

相馬家門です。相馬家はこのあたりの庄屋を勤めていた家で、往時は大きなお屋敷だったようなのですが、現在は門のみが残されています。

水飲み場です。これは嬉しい。

さすがに長野県です。リンゴの収穫を行っています。鈴なりです。

幾つか立ち並んだ石塔石仏群の一番右に立っているのが「三千僧接待碑」です。この碑は江戸時代中期の安永6(1777)、諸国遍歴の僧侶に対する供養、接待を発願して信定寺別院の慈眼寺に建立された碑で、元々は近くにある慈眼寺の境内にあったものなのですが、中山道を往還する僧侶にあまねく知らせるために、寛政7(1795)、この地に移されたものらしいです。諸国遍歴中の僧の皆さんを無料で接待しますよ…という案内碑のようなもの(接待碑)で、接待した僧の数が一千僧で発願し、後に三千僧に増やしたということが読み取れます (三千僧接待の際には、新たに石碑を立てるのではなく、一千僧の“一”の字の上に二を刻んで“三”にした痕が見た目で歴然としています)

宮造り風の屋根をした「上立場」バス停です。

これは珍しい!! 「福猫像」と呼ばれる招き猫の形をした石塔です。どうも最近になって建てられたもののようです。

旧街道沿いらしく、このあたりは歴史と由緒を感じられる大きな民家が幾つも建ち並んでいます。


その大きな民家に負けないように()、バス停も宮造り風の屋根をした立派な建屋になっています。

微妙なS字カーブが続きます。古い立派な民家もところどころにあり、まさに旧街道って感じです。

ここにも宮造り風の屋根をしたバス停が建っています。

しばらく道なりに歩きます。その途中にも馬頭観音像や中山道碑があります。これはこれは、ちょっと大きな馬頭観音像です。


私は登り坂を歩く際、時々振り返ってこれまで歩いてきた道を眺めるようにしています。こうしたほうが、傾斜がよく分かりますし、反対に京から江戸を目指す旅人がどういう景色を眺めていたのかも分かりますしね。ここまで、S字カーブが続くかなり急な傾斜の坂道をグングンって感じで登ってきました。

石塔石仏群です。このあたりの旧中山道沿いに立っていた石塔石仏群をここにまとめて祀っているのでしょう。ここでも一番目立っているのは馬頭観音像。旧街道沿いにおいては、馬がいかに大切にされていたのかが窺われます。

  

……(その5)に続きます。


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