左手を流れるのは依田川です。これは和田宿エリアに電力を供給する水力発電所です。
狭い道幅の家並みは旧中山道当時の雰囲気を思い起こさせます。味わいがあります。
依田川に沿って進みます。
しばらくこの旧道を歩くのですが、坂道を登り、再び国道142号線に合流します。ここからが怖い。大型トラックが道一杯に通り過ぎていくのですが、歩道がありません。現在の難所です。
後ろを振り返ると、随分と勾配が急なことが分かります。遠くに見えるのは浅間山です。
ここからは国道142号線を1時間ほど歩きます。ひたすら“忍耐の道”って感じです。横を発電所の水路が流れ、緩い登り坂になっています。
「ゴミ無し童地蔵」だそうです。あまりにゴミの不法投棄が多かったので、お地蔵さんを立てたのでしょうか?
国道沿いにはドライブインが何ヶ所かあるのですが、ドライブイン「杉の屋」のある付近は当時「牛宿」と呼ばれ、牛専門の宿があったところだったといわれています。
牛宿のバス停横にある双体道祖神です。この道祖神は寛政年間に立てられたものです。かつてこのあたりには中馬の宿が数軒ありました。
パーライトの工場があります。このパーライト工場では和田峠などで産出される黒曜石を原料として、断熱材を作っています。パーライトとは黒曜石や真珠岩などのガラス質の火山岩を1,000℃ぐらいに焼いて膨張させた球形の小さな砂利のことで、重量が普通の砂の10~20%ほどで、セメントと混合してパーライトモルタルを作ります。このパーライトモルタルは軽量であるうえに断熱性、吸音性にすぐれ、断熱材、軽量骨材、軽量プラスターなど建築用材として用いられます。また保水性があり、養分を含まないので、園芸用の育苗用にも使用されます。
「キノコ山 入山禁止」という立看板が立っています。天然のキノコがいっぱい採れるということなんでしょうが、キノコは食用に適さない毒キノコとの見分けが難しいので、素人が採取するのはまず無理ですね。
約2kmほど国道142号線を黙々と歩きます。歩道がないので細長い縦1列になって路側を進みます。隣を大型トラックが何台も高速で通り過ぎていきます。
道路脇に一面ビッシリとコケ(苔)に覆われた石があります。ちょっと面白かったので写真を撮影しました。
道路の左側を千曲川の支流である依田川が流れています。かなり上流なので、水は透き通った清流です。
廃墟のようになった大きな牧場の跡があります。牛舎だったところですね。
茅葺きの「扉峠口」バス停があります。なかなか絵になる風景です。
このバス停のあるところから長野県道67号松本和田線が分岐します。分岐点に立つバス停の名称が「扉峠口」になっている通り、長野県道67号松本和田線はここからその扉峠を経て松本市に至る道路です。「扉峠口」などとあっさり書かれていますが、ここからは勾配のキツい急カーブが続く細い道を随分と登っていかないといけません。扉峠の標高は1,660メートル。美ヶ原高原のほぼ南端に位置し、立ち木もなく丈の短いササ原に覆われた稜線からの展望が素晴らしいところです。峠にあるドライブイン(和風れすとらん扉)前の駐車場は茶臼山(2,006メートル)や三峰山(1,887メートル)の登山口になっていて、緩やかな登山道は初心者向きで、美ヶ原高原の四季折々の花が楽しめることで、多くのハイカーに知られています。
長野県茅野市から蓼科高原、八ヶ岳山麓、白樺湖、車山高原、日本百名山の1つ霧ヶ峰、そして美ヶ原高原といった高原の観光地を繋ぐ日本の代表的な観光山岳道路の一つ「ビーナスライン」。ビーナスラインは国道152号線、長野県道192号茅野停車場八子ヶ峰公園線、長野県道40号諏訪白樺湖小諸線、長野県道194号霧ヶ峰東餅屋線、長野県道460号美ヶ原公園東餅屋線の5本の道路の集合体で、“東餅屋”の名称から分かるように、このうちの長野県道194号霧ヶ峰東餅屋線、長野県道460号美ヶ原公園東餅屋線はこの先の和田峠付近でこの国道142号線(中山道)と交差します。そして、和田峠以西の長野県道460号美ヶ原公園東餅屋線は扉峠付近でこの長野県道67号松本和田線と重複します。長野県道460号美ヶ原公園東餅屋線もアップダウンのあるワインディングロードで、ヘアピンカーブが連続するつづら折りの道路ではありますが、いちおう観光山岳道路「ビーナスライン」として整備されているので、長野県道67号松本和田線よりかは走りやすく、和田方面から扉峠に向かうには一般的になっているようです。
この長野県道67号松本和田線、「冬季通行止め」という表示も出ていますが、11月下旬から4月下旬までの冬季は積雪のため閉鎖されるようです。今日が11月23日なので、今年も間もなく通行止めになるようです。
ここからほんのちょっとの区間は歩道があるので、そこを歩きます。横を大型トラックが猛スピードで通り過ぎる歩道のない国道142号線をずっと歩いてきたので、ちょっとホッとします。道の右手を小川が滝のようになって流れています。源流に近いので水は透き通った清流で、こういう幾つもの小川の水が集まっていって、依田川、そして千曲川、信濃川になっていくのですね。
ところどころ旧道が残っています。こういうところを歩くのが旧街道歩きの楽しさの1つです。
一之橋を渡ります。依田川の本流はここから進行方向右手に先ほど分岐した長野県道67号松本和田線に沿って源流へと遡ります。ここから旧中山道は依田川の支流である和田川に沿って、和田峠を目指して伸びていきます。
おや!? もしかしてこれは…。天然のワサビ(山葵)でしょうか?
面白い形をした石灯籠が立っています。旧街道沿いで石灯籠が立っているところは、大抵は道の分岐点(追分)。ここから「唐沢集落」へ向かって右へ入る道と、反対側(左)に山へ入る細い道があり、この細い道が「古中山道入り口」です。このあたりは天保2年(1831年)に街道の付け替えが行われ、唐沢に立場茶屋ができる以前に使われていた古中山道の区間で、私達はある理由があって、その古中山道のほうを進みます。ちなみに、旧中山道が通る唐沢集落にはかつて5軒の立場茶屋があり、本陣を務めた羽田家には今も「本陣」の表札が掲げられているそうです。
この山の中へ入っていく細い道が古中山道です。
一方、「唐沢口」バス停のところから右手に少し下っていく舗装された道が唐沢集落に向かう天保2年(1831年)に整備された旧中山道です。
この道標が立っているところの標高が約1,000メートル。和田峠の標高が約820メートルなので、ここまで180メートル登ってきたことになります。ここから和田峠の頂上付近にある東餅屋まで残り5.3km。この5.3kmで約530メートルを一気に登っていくことになります。1km進むと100メートル登るということは、平均100パーミル。ここからが登りの本番です!!
……(その10)に続きます。
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