2018年9月11日火曜日

甲州街道歩き【第7回:相模湖→上野原】(その2)


旧街道脇の畑地に竹で作られた秋葉神社の鳥居があります。竹で作られた鳥居を目にするのは初めてです。大いに興味がそそられるのですが、拝殿まではここから2030分は歩かないといけないそうなので、断念しました。秋葉神社は防火の神様を祀った神社で、ここまで歩いてきた道でも、防火を祈願した常夜燈を数多く目にしました。この秋葉神社もその流れを汲んだものと思われます。昔の人にとって、火事はなにより恐れた災害だったようです。


その秋葉神社の竹の鳥居の横に可愛らしいお地蔵さんをはじめとした石塔石仏群が集められて祀られています。中でも目立つのは立派な二十三夜塔です。二十三夜塔は月待塔(つきまちとう)ともいわれ、庚申講と同じく民間信仰のひとつとして、旧暦23日の夜,すなわち二十三夜に月を信仰の対象として「講中」と呼ばれる仲間が集まり、飲食をともにし、お経などを唱えながら月の出を待ち、上ってきた月を拝み、悪霊を追い払うという月待行事を行い、その記念や供養の証しとして建てられたものです。この二十三夜は三夜様とも三夜供養ともいわれ,月待行事のなかでも最も盛んに行われた行事です。地方によっては、二十二夜を女性、二十三夜を男性の集りとする所もあるようです。月待のマチは,神の傍らに待座するという意味らしく,この夜には神の示現があると信じられていました。講は,村の小字,村全体,任意の者などを単位としていたのですが、女性、特に嫁仲間で結成されることが多かったようです。まぁ〜今で言うところの“女子会”ってやつですね。地域の嫁仲間が集まって、亭主や姑、舅に対する愚痴を言い合って、鬱憤を晴らす場だったのではないでしょうか。昔の人達の地域コミュニティのための工夫の1つですね。二十三夜塔は中山道でも見られましたが、この甲州街道のほうが割合として遥かに多いように思えます。中山道沿線に比べて甲州街道沿線のほうが女子会が盛んだったってことなんでしょう。


このあたりに明治初年に廃寺となった補陀洛山福寿院があったのだそうです。ここにも二十三夜塔をはじめとした石塔石仏群が集められて祀られています。


「県立陣馬相模湖自然公園」と書かれた案内柱と、「甲州道中  橋沢」と書かれた道標が立っています。


このオレンジ色の花弁はオニユリでしょうか。


「甲州古道  子の入」と書かれた道標が立っています。この「子の入」という集落が吉野宿の子宿といわれた天奈宿です。


そこの三叉路を左の側道に入ります。道の両側は石垣になっていて、その石垣の上には比較的新しい家が建っています。かつては茅葺きの家が坂道の両側に段となって並んでいたのでしょうね。


今度はヤマユリですね。ヤマユリの日本特産の大型のユリで、本州のみに自生しています。草丈は11.5メートルくらいで、花は白地に黄色の筋が入り、赤褐色の斑点があり、花弁が外に弧を描きながら広がっています。花径は20cm以上にもなり、ユリの中では最も大きい品種の1つで、その華麗な外見から「ユリの王様」とも呼ばれています。オニユリにヤマユリ、ユリの花が大好きな妻は大興奮です。


中央自動車道の上を歩道橋で越えていきます。その橋の名前が「天奈橋」。下をクルマが猛スピードで通り過ぎていきます。


中央自動車道はここで人工的に山の斜面を切り開いた切り通しの下を通っているのでしょう。歩道橋を渡った先も山道になっていて、再びその山道を下っていきます。


「甲州古道  赤坂」と書かれた道標が立っています。右側の畑の中の道のほうに進んでいきます。昔は赤い石が敷かれていた事から、赤坂という地名が付いたのだそうです。現在はその赤石も何もなくなっていますが、こちらが旧甲州街道のようです。ドンドン下っていきます。この坂が赤坂なのですね。


今度はJR中央本線の線路の上を越えます。JR中央本線はこの山の下をトンネルで抜けているようです。


「甲州古道  椚戸」と書かれた道標が立っています。クヌギ()の戸と書いて“くぐと”と呼びます。


高野山真言宗高野山派の寺院、御嶽山観福寺です。山号は、大和国吉野の大峰山(御嶽山)に因んでいることから、吉野の地名と発祥が同じであり、千年以上といわれる極めて古い由緒のある寺院なのだそうです。


「甲州古道  桜野」と書かれた道標が立っています。


桜野の集落を過ぎたあたりに「甲州古道  矢部」と書かれた道標が立っていて、そこから右下に石段が下りています。その細い道が旧甲州街道で、その石段を下りていきます。石段を下りた先も下りの坂道が続いていて、そこをさらに下っていきます。このあたりは旧甲州街道の雰囲気を濃厚に漂わせているところですね。


下川橋を渡ります。“下の川の橋”ということは谷底のようなところに架けられた橋ということでしょうか。ここから登り坂になります。



その坂を登りきったところに先ほどと同じく「甲州古道  椚戸」と書かれた道標が立っています。なるほど、この谷のような地形となったところの両側にクヌギ()の木でできた戸があったのでしょうね。あるいは、クヌギ()の木が門のように立っていたってことなのでしょうか?


道の傍らに石塔群が並んで祀られています。ここからは平らになった集落を歩きます。


今度は中央自動車道相模湖インターチェンジの導入路に架かる歩道橋(小舟橋)を渡ります。左眼下に相模湖を見ながら、緩い坂を下っていきます。


下り坂の途中に「吉野宿  高札場」の跡を示す標柱が立っています。このあたりが吉野宿の江戸方(東の出入り口)でした。その横には赤い涎掛けをした六地蔵が祀られています。


その高札場のところをさらに下った先で国道20号線と合流し、右折します。


……(その3)に続きます。




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