2020年8月20日木曜日

【番外編】公共交通機関マニアの帰省旅

2019年3月8日

『晴れ時々ちょっと横道:番外編』

公共交通機関マニアの帰省旅


介護付き老人ホームに入居した父も新しい環境に馴染んだようなので、私は予定を繰り上げて一度埼玉の自宅に帰ることにしました。帰りは雲ひとつない快晴で、急いで帰る必要もないので、空路利用でも新幹線利用でもなく、ちょっと意外な「松山→埼玉のルート」を利用することにしました。どういうルートを選んだのかは、以下をお読みください。(メチャメチャ長編です)

 まずは松山の実家最寄りの北久米駅から伊予鉄横河原線の3000系電車で松山市駅に向かいます。乗車したのは元の京王電鉄井の頭線時代を彷彿とさせる旧塗装の車両。最近は車体をブラッドオレンジ色一色にした新塗装への塗り替えが進んでいますが、オレンジ色があまりにも鮮やかすぎて目に痛い!! やはり3000系には井の頭線のような塗装が一番似合います(北久米駅にて)

そのブラッドオレンジ色一色の新塗装3000系の郡中線郡中港行き電車です。本来塗装が必要ない(錆びない)ステンレス車体にまで塗装をする意味が分からん……(松山市駅にて)

松山市駅1009分発の高松駅行き高速バス「坊っちゃんエクスプレス」(JR松山駅前始発)に乗車。高松駅に向かいます。「坊っちゃんエクスプレス」は伊予鉄バス、JR四国バス、四国高速バスの共同運行便で、乗ったのは伊予鉄バス。伊予鉄道のバスもブラッドオレンジ色一色への塗装の変更が進んでいます。柑橘王国愛媛県の電車やバスだからオレンジ色に塗装するのは分かるのですが、名産の温州ミカンも伊予柑ももうちょっと淡いオレンジ色なんだけどなぁ〜…。

隣のバス停には阪急バスの大阪(阪急梅田三番街)行き「オレンジライナーえひめ号」が発車を待っています。大阪行きだけでなく神戸三宮行きや京都行きなど、関西方面へは高速バスが頻発しているので、それらのバスに乗って明石鳴門大橋・淡路島経由で一気に神戸や大阪まで行っても良かったのですが、ここは敢えて高松行き。その訳は……

松山ICで松山自動車道に入ると、進行方向前方に西日本最高峰(標高1,982メートル)の石鎚山の姿が見えてきます。


松山自動車道は日本列島の背骨で、日本列島最大の断層帯である中央構造線の隆起によって形成された四国山地の山裾に沿って東に延びています。なので、愛媛県県内区間は進行方向右側は標高が1,000メートルを超える高い山々が屏風のように連なる四国山地が続きます。

桜三里をトンネルで抜け、高縄半島を横断。すると、進行方向左側には美しい多島海・瀬戸内海の景色が続きます。四国山地の山裾を進むので、トンネルの区間が多いのですが、高速道路としては変化に富んだ美しい風景が続く道路です。

松山自動車道はあまりに中央構造線の近くを通っているため、目の前に屏風のように聳える山々が邪魔なのと幾つものトンネルを次々と抜けるので、道中、石鎚山の姿はなかなか見えません。一瞬だけ見えたのでパチリ!!

進行方向左手に白い煙を吐く高い煙突が何本も見えてきます。伊予三島です。伊予三島は隣の川之江と並んで製紙業が盛んな街です。「エリエール」のブランド名で知られる大王製紙をはじめ、幾つもの製紙工場が並んでいます。そして、この伊予三島は私が生まれた街でもあります。3歳までここに住んでいましたが、まったく記憶に残っておりません (伊予三島市と川之江市は合併して、今は四国中央市となっています)

川之江ジャンクション(JCT)です。この川之江JCTでは愛媛県の県庁所在地・松山市からの「松山道」、香川県の県庁所在地・高松市へ向かう「高松道」、高知県の県庁所在地・高知市へ向かう「高知道」、徳島県の県庁所在地・徳島市へ向かう「徳島道」が合流します。ここから四国4県の県庁所在地に向かう道路が延びているわけで、まさに四国の中心地。「四国中央市」と名乗るのも分かります。高松行きの「坊っちゃんエクスプレス」は、もちろん高松道に入ります。

川之江JCTを過ぎてトンネルを抜けると瀬戸内海が間近に迫ってきて、豊浜町箕浦。ここから香川県に入ります。香川県に入ると中央構造線は南に離れていって(と言うか、香川県が中央構造線よりも北にせり出している)、景色が一変します。同じ四国の瀬戸内海側でも、愛媛県と香川県では景色がまるで違うと私が言っているところです。

それと印象的なのが香川県の山の形です。香川県に入るとTVアニメ『日本昔ばなし』の中で、狸でも出てきそうなポコポコしたおむすび山のような形状をした山が目立つようになります。お椀を伏せたような形状とでも言いますか。昔話の絵本に出てくる「The里山」ですね。総じてこのような山の形をしています。これは、大昔、香川県のほぼ全体が火山だったことに関係します。香川県の山はほとんどが風化や侵食がされやすい花崗岩でできています。そのうちの一部には花崗岩の上に風化や侵食がされにくい安山岩が乗っているところがあります。花崗岩の部分は長い年月で風化・侵食されますが、この安山岩が乗っている部分だけが残って“おむすび山”ができたのです。ちなみに、安山岩がちょっとだけあると、このような山の形になり、帯状に安山岩があると屋島(高松市近郊)のような台地地形になります。安山岩は火山噴火によって作られますので、安山岩があるということは、ここに大昔、火山があったことを意味します。しかし、実際に噴火したのは1000万年以上前のようで、今は活動を完全にやめておりますので、ご安心ください。

遠くに丸亀城の姿が見えます。高松自動車道は城の南側を通っているので、ブルーシートに覆われた大崩壊した石垣が見えます。痛ましい……。一日も早く、あの日本一と言われる美しい石垣が蘇って欲しいものです。

高速丸亀バス停に停車。香川県のポコポコした“おむすび山”の代表格とも言える飯野山が間近に見えます。あまりに綺麗な“おむすび山”の形をしていて成層火山のようなので、別名「讃岐富士」と呼ばれています。

高松中央ICで高松自動車道を降り、中央通り(国道11号線)を北上。終点のJR高松駅高速バスターミナルを目指します。

松山市駅から172.5kmを走り、定刻の1238分ほぼピッタリに終点の高松駅高速バスターミナルに到着しました。快適なバス旅で、大満足です。

JR高松駅です。手前の1番線ホームには徳島駅に向かう高徳線のホームで、普通列車が入線しています。

高松駅高速バスターミナルからは四国各県のほか、淡路島経由の明石鳴門橋ルートで神戸や大阪、京都といった関西地方各地とを結ぶ高速バスが頻発しています。伊予鉄バスの「坊っちゃんエクスプレス」が回送となって出ていった後に、すぐ大阪からのフットバスが到着しました。このフットバス、関西汽船と加藤汽船等が共同出資して設立した高松エクスプレス社が運行している高速バスです。かつて彼等が運航していた高松港〜神戸港・大阪港航路が瀬戸大橋等の本州四国連絡橋が架けられた影響で航路の廃止や縮小に追い込まれたことに伴い共同出資で高速バス事業に参入したものです。現在は加藤汽船の100%子会社になっています。フットバスはいいのですが、くれぐれも安全運転を心掛けていただきたいものです。

JR高松駅です。高松駅は徳島県の徳島市(高徳線)、愛媛県の松山市(予讃線)、高知県の高知市(土讃線)といった四国4県の全県庁所在地を結ぶ特急列車が発着するJR四国の基幹駅で、80年間にわたり四国と本州を結ぶ鉄道連絡船「宇高連絡船」の接続駅でした。その名残りで線路が全て当駅で行き止まりになる頭端式ホームの終着駅構造になっています。現在は瀬戸大橋を渡って岡山県の岡山駅とを結ぶマリンライナーも出ています。

高松駅前のこのあたりは、かつては四国と本州を結ぶ鉄道連絡船「宇高(うこう)連絡船」の桟橋がありました。そこに海水池があります。この海水池は瀬戸内海から直接海水を引き込んでいるため、海と同じように波や潮汐が起きます。この池にいる魚はすべてチヌ(クロダイ)やフグと言った海水魚です。

JR高松駅の前にある高松港旅客ターミナルです。高松港は本州や小豆島、直島諸島などの離島と四国を結ぶ海上交通の要衝で、入港船舶隻数、フェリー旅客数およびフェリー貨物トン数が全国でもトップクラスの日本屈指の旅客港です。特に瀬戸大橋開通後も岡山県の宇野港との間の宇高航路の旅客及びトラック輸送が利用客の大部分を占めます。


1310分発、小豆島の池田港行きの小豆島国際フェリーの「第1こくさい丸」です。

こちらは1305分発、岡山宇野港行きの四国フェリーの「第1しょうどしま丸」です。この岡山県の宇野港と高松港を結ぶ宇高航路には、かつて宇高(うたか)国道フェリーが昼も夜も19分おき(確か)に頻発で運航していましたが、残念なことに201210月より運航を休止していて、現在はこの四国フェリーのみが頑張ってくれています。

高松港の目の前に浮かんでいるのが女木島(めぎじま)と男木島(おぎじま)。このうちの女木島の別称が桃太郎伝説にちなん「鬼ヶ島」。ここがあの鬼ヶ島でした (信じるか信じないかは、あなた次第です!) 高松港と女木島、男木島の間は雌雄島海運(しゆうじまかいうん)の小さなフェリーが結んでいます。

高松港の隣に高松城(別名:玉藻城)があります。高松城は、豊臣秀吉の四国制圧の後の天正15(1587)に讃岐1国の領主となった生駒親正によって築かれた城です。水運を押さえるため海に直面して築かれ、海水を堀に用い、その一部に舟入や船着場を設置した海城です。現在見られる遺構は、江戸初期に徳川光圀の兄で常陸国から12万石で高松藩に移封された松平頼重によって改修されたものです。天守は現存しておらず、月見櫓、丑寅櫓(うしとらやぐら)、水手御門(みずのてごもん)、渡櫓が国の重要文化財に指定されています。


高松市内に路線網を持つ「ことでんバス」です。高松琴平電気鉄道(通称:ことでん)の連結子会社です。なぜ、車体にイルカのマークが描かれているかは、2005年に中・四国地方の鉄道・バスでは初の非接触式ICカードシステムIruCa(イルカ)を導入したことにちなみます。

高松駅前の8番バス乗り場で、1320分発のジャンボフェリーの無料送迎バスに乗り込みました。そう、私が今回、わざわざ高松に寄ったのは高松から神戸まで海路(ジャンボフェリー)を使うためでした。神戸港行きの加藤汽船ジャンボフェリーは高松港からバスで15分ほど行った高松東港から出航します。

高松東港の加藤汽船ジャンボフェリー乗り場です。

高松東港〜神戸港間を結ぶジャンボフェリーは14往復。小豆島坂手港経由で、所要時間は4時間45分。現在、昼間の阪神航路(四国と神戸・大阪を結ぶ長距離航路)の船旅が楽しめるのは、このうちの1400分高松東港発(ないしは1330分神戸港発)の加藤汽船ジャンボフェリーしかありません。それに乗りたいがための1009分松山市駅発の高松行き高速バス「坊っちゃんエクスプレス」でした。89歳になる母からは「さっちがむり(東予弁でわざわざ”)そんなメンドぉな(面倒臭い)方法で帰らんでも」って言われちゃいましたが、「止めてくれるな、おっかさん」です。還暦を過ぎて63歳になっても、2人の孫のジイジになっても、旅好き、公共交通機関マニアの騒ぐ血は、もう誰にも止められません!! それにしても、高松港神戸港間の片道運賃が1,990円。安い!!

乗船するのは加藤汽船のジャンボフェリーで現在就航中の2隻の大型フェリーのうちの1隻「こんぴら2」。ジャンボフェリーの名称のとおり、デカイ船です!!

「こんぴら2」は198912月に竣工した船で、総トン数は3,639トン。全長115.90メートル、幅20.00メートル、馬力24,000PS、航海速力18.5ノット。旅客定員475名。車両積載数はトラック(8t換算)61台。太平洋を航海する「さんふらわあ」等の大型フェリーほどではありませんが、瀬戸内海を航海するフェリーでは大型の部類です。

いよいよ乗船します。いつかこの昼間のジャンボフェリーに乗りたいと思っていました。こんなに早く念願が叶って乗れる日が来るとは。ここ3ヶ月ほど父の介護付き老人ホーム入所に向けて奔走してきたご褒美のようなものですね。天気は快晴。瀬戸内海は波もなく、快適な船旅が楽しめそうです。


乗船すると迷わず最上階のデッキへ。後部甲板には大型コンテナを積んだトレーラーやトラック、乗用車が積まれています。なるほど、このスロープからクルマを乗船させるのですね。

高松東港から高松港方向を見たところです。


1400分、いよいよ出港です。静かに高松東港の桟橋を離れ、一路神戸港を目指します。

高松東港は屋島の付け根のあたりにあります。なので、屋島が大きく見えます。この屋島も火山の名残りで、火山から噴出された安山岩が帯状に堆積してできた台形の島です。平安時代末期の元暦2219(1185322)にこの屋島で源義経率いる源氏軍と平宗盛率いる平家軍の間で「屋島の合戦」と呼ばれる一大合戦が繰り広げられ、源氏軍が勝利し、平家軍は瀬戸内海を西へ逃げていきます (その後、山口県の壇ノ浦での合戦でも平家軍は敗退し、平家は滅亡します)。この屋島の合戦では、源義経配下の那須与一が船上の扇の的を射たことが知られています。

高松東港を出港して、北東に針路を取り、一路神戸港を目指します。

なんじゃこりゃ!? 「こんぴら2」の展望デッキにデェ〜ンと飾られている不思議なオブジェ。“トらやん”だそうです。宇宙服を着て、手にはオリーブの枝を持っています。

四国高松がドンドン小さくなっていきます。

多島海瀬戸内海、島々の風景が綺麗です。遠くに行きで特急「しおかぜ」に乗って渡った瀬戸大橋の姿が見えます。

高松港から船に乗って本州に渡る時、食べるものと言えば、もちろん「讃岐うどん」です。国鉄の宇高連絡船が健在の頃、連絡船デッキで販売されていた「讃岐うどん」が名物でした。「讃岐うどん」と言っても時間経過のためややコシが失われた麺に、イリコかサバぶしの類による庶民的な出汁が相まって、とても上等とは言い難いうどんでしたが、特に四国(高松)に向かう便では香川県民をはじめとする四国の人々に帰郷を実感させる味として親しまれていました。そのため、帰省シーズンには展望デッキの上で潮風にふかれながらこの「讃岐うどん」を食する人が大勢いらっしゃいました。今でも、四国人の間では、宇高連絡船と言えば、このデッキで販売されていた「讃岐うどん」のことが話題に上がります。

やはり瀬戸内海の風景を眺めながらいただく「讃岐うどん」は、ただそれだけで美味し!!

おおっ!! 売店で見つけてしまった、ジャンボフェリーのペーパークラフト。乗船記念にジャンボフェリー「りつりん2」と系列会社の雌雄島海運の「めおん2」、高松エクスプレスの「フットバス」のペーパークラフトを購入しました (今回乗船した「こんぴら2」のペーパークラフトキットはメルカリで購入して、既に組み立て済み)


前方に小豆島の姿が見え、それがドンドン大きくなります。


後方を見ると、高松の市街地の姿は随分と小さくなりました。

加藤汽船のジャンボフェリーは、途中、小豆島の坂手港に寄港します。

総トン数3,639トンの大型フェリーが見事に方向を変えて、坂手港にピタリと入港します。抜群の操船技術です。

おやおや、乗船ブリッジの下でノンビリと釣りを楽しんでいる人がいます。ジャンボフェリー停泊中は竿をあげて、しばしの休憩のようです。この港の埠頭でも釣れるのでしょうね。

クルマの乗船用ブリッジも見事に接続され、クルマが次々と積み込まれます。坂手港から積み込まれるクルマは乗用車ばかりです。観光客でしょうか?

小豆島はオリーブと醤油、素麺(そうめん)、佃煮の生産が盛んで、いずれも日本有数の生産地となっています。特にオリーブは国内栽培の発祥地として広く知られています。また、小説『二十四の瞳』の作者として知られる小説家・壺井栄の故郷としても知られ、『二十四の瞳』は小豆島をロケ地として、何度も映画化やTVドラマ化されています。

坂手港の桟橋に不思議なオブジェが飾られています。近年、高松港周辺や直島、豊島、女木島、男木島、小豆島といったこの周辺の瀬戸内海の島々を舞台に現代美術の国際芸術祭『瀬戸内国際芸術祭』が開催されています。これまで2010年の第1回を皮切りに3年ごとに3回開催され、毎回100万人を超える来場者が日本の内外からこの瀬戸内の島々を訪れます。今年(2019)426()からいよいよ第4回の『瀬戸内国際芸術祭』が開催されるようで、その出展作品なのかもしれません。

https://setouchi-artfest.jp 瀬戸内国際芸術祭公式HP

現代芸術は私の守備範囲を超えていて、よく分かりませんが、この坂手港のオブジェは、なにやら面白そうです。

乗客とクルマの乗船が終わり、小豆島坂手港を出港です。見事な操船技術で、桟橋を離れ、狭いところを急角度で方向転換して、港を出ていきます。よく見ると、船首の右側から横向きに物凄い勢いで水流が出ています。船首の横に方向転換用のスクリューが付いているのでしょうね。なるほどなるほど。



琴勇輝関です。琴勇輝関はこの小豆島の出身(出生地は丸亀市)の現役大相撲力士で、佐渡ヶ嶽部屋所属。現在は東の十両2枚目ですが、これまでの最高位は東の関脇。ジャンボフェリーの加藤汽船が懸賞を出しているようです。

神戸港を1330分に出港したジャンボフェリーの「りつりん2」とすれ違います。ジャンボフェリーは特徴的な船形なので、すぐに分かります。

進行方向右側に淡路島が見えてきます。また、進行方向前方には明石海峡大橋が見えてきました。

このあたりは船舶の交通量が極めて多い海域になっています。

明石海峡大橋が徐々に近づいてきました。

明石海峡大橋は神戸市垂水区東舞子町と淡路島の淡路市岩屋とを結ぶ明石海峡を横断して架けられた吊り橋です。

明石海峡大橋は全長3,911 m、中央支間1,991 mで世界最長の吊り橋です。また、明石海峡大橋は本州と四国を結ぶ3本の本州四国連絡橋(本四架橋)ルートの1つで、「神戸淡路鳴門自動車道」として供用されており、交通量も本四架橋の橋の中では最も多く、四国と近畿、さらには本州の各大都市間を結ぶ大幹線道路になっています。美しい吊り橋です。

明石海峡大橋の下を潜ります。

日が暮れる前に明石海峡大橋の下を潜れてラッキーでした。

日が暮れて、徐々に周囲が暗くなります。進行方向前方には神戸市市街の灯りが見えてきました。

定刻の1845分、静かに神戸港(新港第3突堤)に着岸しました。いやぁ〜、実に楽しい船旅でした。大満足です。

神戸港(新港第3突堤)からは神戸三宮駅行きの連絡バスに乗車して三宮駅に。

三宮駅からは阪神電鉄の直通特急梅田行き9300系電車で大阪梅田駅へ。三宮駅と梅田駅(大阪駅)の間にはJR西日本と阪急電鉄の路線もあるのですが、ここは今年の我等が阪神タイガースの健闘を祈念して、迷わず阪神電車を選択しました。

梅田には20時少し前に到着。松山市駅1010分発の阪急バスの大阪(阪急梅田三番街)行き「オレンジライナーえひめ号」に乗っておれば、1552分に大阪(阪急梅田三番街)に到着していた筈なので、4時間ほど回り道したことになります。大阪駅から新大阪駅に移動すれば、最終の東海道新幹線「のぞみ」東京行きに乗れないことはないのですが、それでは埼玉の自宅に帰り着くのは日付が変わってからになります。どうせ日付が変わるなら、明日の朝に着けばいいやということで、選んだ交通手段は深夜高速バス。2120分、大阪駅JR高速バスターミナル発大宮行きの「ドリームさいたま2号」を前日のうちに予約しておいたので、これを使って埼玉県さいたま市の自宅に帰ることにしました。時刻表どおりだと翌日の812分にJR大宮駅の西口に到着します。私にとって人生初の深夜高速バスの利用です。

大阪駅JR高速バスターミナルからは東京行きをはじめ、各地への高速バスが出ています。私が乗る「ドリームさいたま2号」は西日本JRバスの運行。初の深夜高速バス体験だけにワクワクします。大阪名物のお好み焼きで腹ごしらえしてバスに乗り込みます。ビールをかっくらったので、あとは寝て行くだけです。おやすみなさい。

  

【追記】

西日本JRバスの「ドリームさいたま2号」は、翌朝の午前820分、ほぼ定刻どおりにJR大宮駅西口に到着しました (途中、高速道路を降りてから立川や所沢に停車するため、意外と時間がかかります)。東京駅八重洲北口バスターミナルやバスタ新宿ではないところがポイント。東京駅やバスタ新宿だと着いてから通勤電車に1時間弱揺られて帰らないといけないのですが、大宮駅だと自宅最寄りのJR埼京線与野本町駅まで2駅。しかもこの日はちょうど快速の新木場駅行きが入線してきたので、1駅、所要時間わずかに3分。圧倒的に楽です。「ドリームさいたま号」、この選択は大正解でした。

深夜高速バスは初めて利用したのですが、思っていたよりも楽ですね。最新の高速バスはエンジン音も静かだし、揺れも少ないし、リクライニングがしっかり倒れる3列シートは寝やすいし。最近、人気なわけが分かります。これは使えます。旅行の手段が1つ増えたので、いろいろなところに行く時に使えそうです。選択肢が増えました。自信もついたので、いつかは東京〜松山間の深夜高速バスを使って帰省もしてみたいと思っています。

それにしても、非常に楽しかった松山→埼玉でした。このところの私の最大の懸案事項に一区切りがついた後だけに、しっかりと楽しめました。

愛媛県松山市の実家を出てから埼玉県さいたま市の自宅に帰り着くまで、24時間弱、ほぼ1日を要しました。どこか途中で寄り道して観光をしたわけでもなく、ほとんど移動しっぱなしにも関わらず、こんなに時間を要してしまいました。空路利用や新幹線利用では絶対に味わえない故郷との距離感です。実際、四国の松山は東京からだと約800km。東北地方の青森なんかより遥かに遠いところにあります。この距離感を肌身で実感できるでした。

帰省(の移動)自体をにするっていいですね。さぁ〜次はどういうルートで「ちょっと意外な帰省旅」を楽しみましょうか?

腹案は既にあるので、あとはタイミングだけですね。まっ、楽しめることが分かったので、しばらくは空路利用に戻します。



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