2019年1月8日火曜日

大人の修学旅行2018 in出雲松江(その2)

リムジンバスで米子市内に出ました。ホテルにチェックイン後、米子市内を散策しました。

米子市は、山陰地方鳥取県の西部に位置する都市で、都市圏人口約23万人を擁する米子都市圏の中心都市です。また、広域に及ぶ経済地域として隣接する松江・出雲・安来の各都市圏とともに雲伯(出雲伯耆)地方に中海・宍道湖経済圏を形成しています。米子市は鳥取県に属していますが、鳥取県、島根県という山陰両県の中央に位置する立地から、両県を統括する企業や機関がこの米子市や県境を挟んで隣接する島根県松江市に置かれるケースが多く、意外と賑やかな街です。

また、鉄道ではJR山陰本線と境線・伯備線の分岐点に当たり、道路では国道9号線、180号線、181号線、431号線及び山陰自動車道、米子自動車道が通り、岡山・鳥取・境港・松江と結ばれているほか、近くの境港は江戸時代には千石船の往来で賑わい、明治以後も日本海国内航路の要衝として栄え、山陰地方随一の交通の要衝となっていました。さらに明治29(1896)には貿易港にも指定され、釜山や元山といった朝鮮半島の港との間で大陸貿易も盛んに行われたところです。

このため、江戸時代初期には米子藩の城下町として(米子藩は元和3(1617)に廃藩)、また、商業都市として大いに繁栄し、『山陰の商都』とも呼ばれていました。その街並みは大きな区画整理や戦災、大火などもなく、今もなお残り続けています。

特に米子下町は昭和の名残りが色濃く残り、ノスタルジックに浸れる場所や、江戸時代から残り続ける町家など、時代を超えて風情を感じられる街並みになっています。ANA便利用ということもありますが、実はこれが私が米子に立ち寄った最大の理由です。

山陰歴史館です。建物は昭和5年に建てられたもので、長い間米子市役所として市民に親しまれてきました。



江戸時代のはじめから商業都市として発展してきた米子は水運を利用した町づくりが行われてきました。加茂川は米子の水運を支えていた重要な河川で、川の下流には船で運ぶ荷物を備蓄しておく土蔵が建ち並んでいました。今でも加茂川の川沿いには“なまこ壁”と呼ばれる白と黒の凸凹の模様の付いた白壁の土蔵群や桜並木があり、江戸時代から明治期にかけての懐かしい佇まいがいたるところに残されていて、米子を代表する風景として親しまれています。一見の価値ありです! ちなみに加茂川を下っていくと「中海」に出ます。


この加茂川の川沿いには、やたらとカッパ(河童)の像があります。これは加茂川にカッパが出没していたという伝説によるものです。若い女性がトイレに行くと、厠の下からぬっと出てきて、お尻を撫でて逃げて行ったという、奇妙な話しが幾つも残っているのだそうです。そりゃあいかんだろう!!って言いたくなりますが、今では観光客を迎え入れるためのゆるキャラとしての役割を果たしているようです。


天神橋という橋で加茂川を渡ります。梁または腕木を側柱筋より外に突出させて、軒を深く前面に張り出した「出桁(だしげた)造り」と呼ばれる江戸時代から続く町家(店舗兼住宅)が建っています。酒屋のようです。白壁の土蔵群やこの出桁造りの町家が建ち並んでいる光景を見ると、この町の古い歴史を感じてしまいます。渋い!!


加茂川から北に5分ほど歩くと寺院ばかりが連なる通りに出ます。この寺町通りには、現在でも9軒の寺院が連なっており、情緒たっぷりの雰囲気を醸し出しています。これらの寺院は、江戸時代のはじめに米子城が築城された際、伯耆国の各地から移されたもので、9軒の寺院が横並びに建ち並ぶというのは全国でも珍しいスポットです。古地図にも記載されており、城下を守る防衛ラインとしての役目もあったと言われています。


寺町通りの9軒の寺院のちょうど真ん中、妙興寺には「米子市指定有形文化財 横田内膳墓碑及び遺品」と書かれた標柱と説明板が立てられていました。文化財ともなる横田内膳とはいったい何者だろう…と思って説明板を読むと、横田内膳村詮は米子藩初代藩主・中村伯耆守一忠の家老。慶長5(1600)、伯耆国175千石の太守となった中村伯耆守一忠はわずか12歳でした。横田内膳はこの少年大名を補佐して米子城の築城や城下町造りに腕を振るいました。しかし、内膳の手腕を妬む側臣の讒言を信じた15歳の主君によって、慶長81114日に城内で暗殺されました。享年52歳でした。この時、内膳の子・主馬助は柳生五郎右衛門などの一統を連れて飯山に陣取り、城方は広瀬城主・堀尾忠晴に助勢を頼むなど、世にいう「中村騒動」に発展したが、内膳方の敗北に終わった…ということのようです。中村騒動という出来事も、横田内膳という人物も私は知りませんでしたが、米子城の築城や城下町造りに腕を振ったということなので、米子市を語る上においては重要な人物なのでしょう。


このあたりは出桁造りの町家(店舗兼住宅)が建ち並んでいて、昭和の香りがするノスタルジックな街並みが続きます


「岡本一銭屋」です。大きな一銭銅貨が目印の駄菓子屋さんです。趣きのある木造三階建ての町家は明治元年(1868)に建てられたもので、なんと築150年です。昭和レトロと言いますか、私が子供の頃に街でよく見かけた駄菓子屋さんに、今も変わらず子供達が訪れています。その風景が街並みにマッチし、郷愁がそそられます。


先日1010日にNHK総合テレビの人気番組『鶴瓶の家族に乾杯』で笑福亭鶴瓶さんが突然アポなしで訪れたのだそうです。店主のお婆ちゃんがその時の様子をしっかり話してくれました。


創業享和元年(1801)というお茶屋さんです。米子にはこういう古い歴史を誇る商家が幾つもあります。


この加茂川周辺の下町には、江戸時代からの建物がいくつか残っており、趣きのあるスポットとなっています。



この日の宿泊はANAクラウンプラザホテル米子。この日は北海道の札幌から羽田空港トランジット(乗り換え)で山陰の米子まで空路移動してきて、米子の街の散策まで行ったので、夕食はおとなしくホテルの1階にある日本料理店「雲海」で「秋の味覚懐石」をいただきました。メバルの煮付けにチカの天婦羅ですか。チカとはワカサギによく似た魚ですが、キュウリウオ目キュウリウオ科に分類される魚で、全長は約20cmほどにまで育ち、ワカサギより大型です。汽水域に棲息する魚ということで、中海で獲れるのでしょう。どれも美味しかったです。ひと息つけました。



……(その3)に続きます。




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