2019年1月13日日曜日

大人の修学旅行2018 in出雲松江(その7)

本殿の前にあるのが拝殿です。ここにも大注連縄が掲げられています。この拝殿の大注連縄は先ほどの神楽殿の大注連縄よりも少し小さいのですが、それでも長さ約6.5メートルで、重さは約1トンもあります。ちなみに、出雲大社の注連縄は、一般の神社の注連縄とは逆向きなのが特徴です。


本殿、拝殿の入り口には高さ約6メートル、柱の直径約52cmという銅製の鳥居が構えています。この銅鳥居は戦国武将の毛利元就の孫の孫にあたる長州藩第2代藩主・毛利綱広が寛文6(1666)に寄進したもので、柱の銘文には「日神者地神五代之祖天照大神 月神者月読尊也 須佐之男命雲陽大社神也」と刻まれていることから、当時の祭神は大国主大神ではなく、須佐之男命であったことが窺えます。銅鳥居の背後には八雲山、東方に亀山、西方に鶴山が聳え、厳かにたたずむ社殿が神々しく感じられます。

出雲大社の境内は荒垣と呼ばれる垣根で囲まれ、広さは約18万平方メートル。本殿を中心に拝殿、東西十九社、神祜殿(しんこでん:宝物殿)、摂社八社、末社三社が配置されています。このうち東西に配された各々十九社は神無月に出雲に集まる神々の宿泊所です(神無月は出雲地方に限っては“神在月”)。今はまさにその神無月(神在月)なので、八百万の神々はここにお泊りなのでしょう。


銅鳥居をくぐります。私達は本殿に向かって左隣にある神楽殿に最初に参拝し、その神楽殿から本殿に向かったので、正式な参拝路を通っていません。なので、ここからは正式な参拝路を“逆走”で歩いていきます。今後、出雲大社に参拝しようとお考えの方は、そのことにご注意しながら、以下をお読みください。

左手に出雲大社の主祭神である大国主大神の像があります。


 「縁結びの碑(いしぶみ)」です。


「因幡白ウサギ神話』にちなんで、ウサギの像も境内のあちこちにあります。


境内を通る参道は松並木になっていて、樹齢数百年とも言われる松の木が立ち並んでいます。参道は真ん中と左右両側の3つに分かれています。参道の真ん中は神様が通られる道なので、一般の参拝者は左右の参道を歩きます。

  
 野見宿禰神社という幟が幾つも立っています。野見宿禰(のみのすくね)は土師氏の祖として『日本書紀』などに登場する人物で、相撲の始祖とされています。第12代の出雲国造である鵜濡渟(宇迦都久怒)の子で、第11代天皇・垂仁天皇(すいにんてんのう)の命により、当時勇名をはせていた当麻蹴速(たいまのけはや)と角力(相撲)をとるために出雲国より召喚され、蹴速と互いに蹴り合った末にその腰を踏み折って勝ち、蹴速がそれまで持っていた大和国当麻の地(現奈良県葛城市當麻)を与えられるとともに、以後、垂仁天皇に仕えたと伝えられています。また、垂仁天皇の皇后、日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の葬儀の時、それまで行われていた殉死の風習に代わる埴輪の制を提案し、その功により土師臣(はじのおみ)の姓を与えられ、そのために後裔氏族である土師氏は代々天皇の葬儀を司ることとなったと伝えられています。また、第13代の出雲国造、襲髄命(かねすねのみこと)はこの野見宿禰のことであるとされています。

野見宿禰は播磨国の立野(現在の兵庫県たつの市)で病により死亡し、その地で埋葬されたとされていることから、野見宿禰神社はその兵庫県たつの市と、相撲の始祖とされることから東京都墨田区の両国国技館の近隣にある2つの神社が有名ですが、第12代の出雲国造の子で自身も第13代の出雲国造であるとされていることから、この出雲大社の境内にもあるようです。


参道の途中、左手に小さな社(やしろ)があります。これは祓社(はらいのやしろ)と言って、心身を祓い清める4柱の祓井神(はらいどのかみ)が祀られている社です。出雲大社を参拝する時は、まずはここにお参りし、心身を祓い清めるのが正式の参拝方法です。私は参拝帰りなので、どうすればいいのか迷ったのですが、いちおう立ち止まって参道から一度頭を下げてから前を通らせていただくことにしました。



「勢溜の鳥居(せいだまりのとりい)」と呼ばれる出雲大社の二の鳥居です。多くの参拝客はこの勢溜の鳥居から参拝を開始されます。理由は出雲大社前駅で一畑電車を下車したり、はたまた乗ってきたクルマを出雲大社周辺の駐車場に停めると、この鳥居から参拝することになるからです。



鳥居とは神が祀られている神域への入口ともなります。また神道においては参道の中央は神様が通る神聖な道とも云われ、鳥居をくぐる時は参道の中央を通るのをできるだけ避けて左右の参道を通行します。鳥居をくぐる時は神への敬意を払って一礼し、左足から入ります。帰途につく際は最後の鳥居の前で振り返って一礼します。私もこの勢溜の鳥居をくぐった後、振り返って一礼をさせていただきました。

この勢溜の鳥居の柱に気になる文字が刻まれていました。「土佐安藝市赤間 池田竹七郎 昭和455月吉日建立」 この勢溜の鳥居は高知県安芸市に住む池田竹七郎さんという方が寄進したということのようなのですが、高知県安芸市と言えば、私が小学校の高学年期を過ごしたところです。はて、池田竹七郎さんとはどういう方なんでしょう?

この勢溜の鳥居は出雲大社の“二の鳥居”、すなわち第二の鳥居となり、出雲大社では「正門」と言われている鳥居です。“二の鳥居”ということは第一の鳥居、“一の鳥居”があるわけで、それが「宇迦橋大鳥居(うがばしのおおとりい)」と呼ばれる大鳥居で、こちらはこの勢溜の鳥居から参道を下った旧大社駅の近くにあります。こちらはちょっと遠いのでパスさせていただきました。

そうそう、女性シンガーソングライターの竹内まりやさんの生家は出雲大社の勢溜の鳥居前に位置する明治10(1877)創業の老舗旅館『竹野屋旅館』ということは有名なのですが、観光バスの運転手さんに教えてもらったものの、一瞬で近くを通り過ぎてしまったため、写真は撮影できていません。


……(その8)に続きます。

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