2019年1月12日土曜日

大人の修学旅行2018 in出雲松江(その6)

昼食を終え、次に観光バスで向かった先は『出雲大社』でした。『出雲大社』は、今や年間なんと660万人もの参拝客が訪れる伊勢神宮(年間約1,500万人)に次ぐ巡拝の聖地としてスッカリと日本人の生活に馴染んでいる神社で、縁結びの神・福の神としても全国的に有名です。


『出雲大社』は、元々は『杵築大社(きずきのおおやしろ)』と呼ばれていました。出雲大社と改称したのは明治4(1871)のことです。その杵築大社は日本最古の歴史書といわれる『古事記』にその創建が記されているほどの古い神社ですが、『日本書紀』には、第39代の斉明天皇(天智天皇、天武天皇の母)が斉明5(659)に出雲国造に命じて「神之宮」を修造させたという記述があります。修造とは建て直しを含めた大改修ということですから、少なくともそれ以前に創建された神社ということができます。

ちなみに、出雲大社(杵築大社)の修造を命じた第39代斉明天皇と我が家・越智一族との関係はこれ。そういう目で見ると、多くの人とは違った見え方がしてきます。



主祭神は大国様として馴染みの深い『大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)』で、「古事記」に記されている「国譲り神話」には、大国主大神が高天原の天照大神(あまてらすおおみかみ)に国を譲り、その時に造営された天日隅宮(あまのひすみのみや)が出雲大社(杵築大社)の始まりであるといわれています。



神楽殿南側には高さ約47メートルの巨大な国旗掲揚台があり、日本国内で最大の日章旗が掲げられています。この日章旗の大きさは畳75枚分、重さは約50kgに達するという巨大なものです。その巨大な国旗は、悪天候時を除き、通常、毎日、朝掲揚され、夕方に奉降されるのだそうです。この日は風が弱く、巨大な日章旗も垂れ下がったままでしたが、風が強い日にこれがはためいたならば、さぞかし壮観な光景だろうと思われます。


出雲大社の主祭神である大国主大神は、前述の八岐大蛇退治伝説に登場する須佐之男命(すさのおのみこと)の子孫で、多くの兄弟の末っ子として出雲に生まれました。神話の中の「因幡の白ウサギ」の話が有名で、『サメを騙したため全身の皮をむかれた白ウサギが大国主大神の兄たちに助けを求めたところ、海水に浸かり風にあたるとよいと言われた。ウサギが言われた通りにしたところ、塩水が滲みてよけいに酷くなった。兄たちに荷物を持たされ遅れてやってきた大国主大神が痛みで泣いているウサギを可哀想に思い、真水で塩を洗い、ガマの穂にくるまると良いと教えたところ、ウサギの傷は治りました』というお話で、大国主大神の優しい性格が窺える逸話です。

そして大国主大神は多くの女神と結婚し、多くの子供をもうけたことでも知られています。縁結びの神様というのも頷けます。大国主大神は出雲王朝を繁栄させるという偉業を成した王ですが、大きな袋を肩にかけ、頭巾を被り、右手に打出の小槌を持って米俵の上に立つ、あの人懐こいお姿の『大国(だいこく)様』もまた、大国主大神なのです。実は今でもお互いを呼び合う私達クラスメイトの愛称の多くは、高校1年生の時に漢文の先生だった大黒(だいこく)先生という先生が付けたものです。これも何かの縁でしょうか

おおっ! 神楽殿の西隣に建つお屋敷の門には「千家国造家 永職館」という文字が書かれた表札がかかっています。ここは有名な千家家のお屋敷です。千家(せんげ)家は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の子の天穂日命(あめのほひ)を祖として、古代には出雲国(現在の島根県東部地方)を治めていた国造(くにのみやつこ)を務めていた氏族(家柄)で、7世紀半ばの大化の改新以後、律令制の導入により国造制が全国的に廃止された以降は、その氏族の長が代々出雲大社の祭祀と出雲国造の称号を受け継いでいます。現在の当主は千家尊祐氏で、千家尊祐氏は第84代出雲国造、そして出雲大社の宮司を務めていらっしゃいます。千家尊祐氏のご長男、千家国麿氏(出雲大社権宮司)のもとには皇室から高円宮憲仁親王と同妃久子様の次女・典子様が嫁いでおられます。名家中の名家。こうして写真を撮ることなど不敬に当たるのではないかと思われるほどの、大変な家柄のお宅です。


出雲大社には、大きなものがたくさんあります。先ほどの巨大な国旗掲揚台と日本国内で最大の日章旗もそうですが、本殿の大屋根にかかる千木や、大国主大神の銅像、神楽殿の大注連縄(しめなわ)など、なぜこんなに大きなものがここにと思えるほどです。特に、出雲大社の本殿は高さ8(24メートル)と今でも神社建築の中では日本一の規模を誇りますが、平安時代には現在の約2倍の高さである16(48メートル)、さらに古代にはそのまた2倍の32(96メートル)もの高さがあったといわれています。当時の建築技術でそんなに高いものは作れないのでは??と長い間伝説とされていましたが、平成12(2000)に本殿八足門前の出雲大社境内遺跡から当時のものとされる宇豆柱が発見され、かつての本殿の巨大さを証明するものとして注目されました。実際に発掘された宇豆柱を、出雲大社の東隣にある古代出雲歴史博物館で見ることが出来ます。主祭神の大国主大神は、とにかく大きいものを好まれたのでしょうか。雄大な雰囲気漂うここ出雲大社は、「大いなる国の王」の名と、福徳の神でもあるそのおおらかさを表現しているようです。



旧暦10月は日本全国の八百万の神々が出雲に参集されます。神様がお留守になるのでこの月を『神無月』といい、出雲は神様が集まられるので、この地に限っては『神在月(かみありづき)』と呼ぶようになりました。毎年、秋が深まり日本海の波が高くなる頃、旧暦の1010日に神迎祭が行われます。 大社から程近い日本海の海岸「稲佐の浜」に御神火が焚かれ、龍蛇(海蛇)を神々の使者としてお迎えする儀式です。旧暦の1010日と言えば、西暦で言うと今年(2018)1117日にあたります。なので、この日(121)は旧暦で言えば1024日。まだ神無月なので、日本全国の八百万の神々がこの出雲に参集されておられることになります。実はこれも今回の『大人の修学旅行in出雲松江』を12月のこの時期に開催した1つの理由でもありました。

出雲大社で最初に訪れたのは神楽殿。そこに掲げられているのが、前述の大きいものの1つ、長さ13メートル、重さ4.5トンという日本最大規模の巨大な大注連縄です。とにかくデカイ! ! この巨大な大注連縄、今の時代ならクレーンで吊り上げてここに設置できるのですが、そのような重機のなかった昔はいったいどうやって吊り上げたのだろう?と工学部に進んで電気電子情報など様々な分野で活躍してきたエンジニアの男子達でこの大注連縄を見上げながらしばらく議論しちゃっていました。そのくらいデカイです。



その大注連縄の掛かる神楽殿では参加者15名が全員揃っての正式参拝を行いました (神楽殿内は撮影禁止です)。この出雲大社の参拝の作法は他の神社とはちょっとだけ異なります。伊勢神宮をはじめとした一般の神社では「22拍手1礼」が基本となっていますが、この出雲大社では基本的に「24拍手1礼」の作法に則って参拝します。日本では古くから尊いものに対して拍手で敬意を示すという風習があり、拍手の数が多いということはそれだけ尊い神が祀られているということを示す…と伝えられています。

正式参拝を終え、巫女さんから御神酒をいただいて神楽殿を出ました。御神酒が注がれる“かわらけ(土器)”の皿は釉 (うわぐすり) をかけない素焼きの陶器であるため、注がれた御神酒はすぐにかわらけに染み込んでしまうため、早く飲み干さないとなくなってしまいます。「あっ、なくなった!」と言って御神酒のお代わりを巫女さんに所望に行ったメンバーがいましたが、心の大きな出雲大社の神は許してくれたことでしょう。


神楽殿の次は本殿を参拝しました。大国主大神が祀られている「大社造り」の本殿は延享元年(1744)に建立されたもので、国宝に指定されています。大社造りは最も古い神社建築様式とされており、平面が正方形で、切妻屋根の棟木と平行な向きに入り口があることに特徴があります。社殿は田の字に配置された9本の巨大な柱で支えられ、中央には梁まで達する直径110cmの「心御柱(しんのみはしら)」があります。神社建築の中では日本一の規模を誇り、高さは約24メートル、厚い桧皮葺きの屋根の棟の上には長さ7.9メートルの二組の千木が交差しています。千木の上方にあいている小さな穴は、実際は大人1人がくぐり抜けられるほどの大きさで、本殿の大きさを実感できます。本殿に祀られる御神体は西向きで稲佐の浜の方角を向いておられ、本殿の正面から参拝すると、神様の横顔を拝んでいる事になります。


これは八足門(やつあしもん)で、一般の参拝者が入れるのはここまでで、この八足門のところから本殿を参拝することになるのですが、神楽殿で正式参拝を済ませた参拝客だけはこの八足門から入ってすぐの楼門まで進むことができ、その楼門から本殿を参拝することができます。もちろん、神楽殿で正式参拝を済ませた私達は楼門から本殿を参拝させていただきました。(八足門の門内は写真撮影禁止です。)

ちなみに、出雲大社では、現在も皇室の者といえども本殿内までは入れないしきたりを守り続けています。


  

……(その7)に続きます。



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