2022年6月18日土曜日

鉄分補給シリーズ(その6):伊予鉄南予バス面河・石鎚土小屋線①

 公開予定日2022/12/01

 

[晴れ時々ちょっと横道]第99回 鉄分補給シリーズ(その6):伊予鉄南予バス面河・石鎚土小屋線


このところ佐田岬半島やら忽那諸島やら海に関する旅が続いたので、次は山です。愛媛県はどちらも国立公園に指定されている瀬戸内海や宇和海といったメチャメチャ美しい海に囲まれているのですが、美しい風景は海だけじゃあないんです。美しい山の風景だってたくさんあります。むしろ、山のほうが多いかもしれません。愛媛県も四国本島側は平地が少なく、ほとんどが山です。なんと言っても、西日本最高峰の石鎚山(1,982メートル)は愛媛県にありますから。

ということで、向かった先は西日本最高峰・石鎚山の登山口の1つである石鎚土小屋と面河渓。今回も私自身の鉄分補給と、コロナ禍で乗客数が激減して大変ご苦労をなさっているJR四国バスさんと伊予鉄南予バスさん応援のため、路線バスを利用しての日帰り旅です。

650JR松山駅発のJR四国バスの久万高原(くまこうげん)行きに乗車しました。JR松山駅で乗車した乗客は私を含め男性ばかり5名。うち2名はおそらく私と同じく伊予鉄南予バスの終点の石鎚土小屋まで乗り継いで、石鎚山や瓶ヶ森の登山をしようという登山客で、登山靴を履いてリュックを背負った登山姿、残りの2人も登山装備ではありませんが、トレッキングをする格好での乗車です。久万高原のどこかの山歩きをなさるのでしょうね。一眼レフのカメラを携行しているので、写真撮影かも。一番の軽装備は私。いちおうウォーキング用の小さなリュックを背負ってウォーキングシューズを履いてはいますが、まぁ〜、路線バスに乗車するのが一番の目的なので、お気楽なものです。


JR松山駅前で出発の時間を待つJR四国バス久万高原線の路線バスです。

このJR四国バスが運行する久万高原線ですが、かつては国道33号線経由で愛媛県の県都・松山市と高知県の県都・高知とを最速3時間9分で結ぶ松山高知急行線(愛称:なんごく号)の一部でした。この松山高知急行線は、昭和62(1987)に国鉄(日本国有鉄道)が民営化され、四国島内の国鉄がJR四国として発足した当時、鉄道も含めたJR四国全体で唯一の黒字路線であったことから、「栄光の松山高知急行線」とも呼ばれた一大幹線路線でした。

しかし、四国島内でも松山自動車道や高知自動車道といった高速道路の整備が進み、松山市〜高知市間の移動も高速道路利用の方が快適で、時間的にも早くなったことから、平成13(2001)、松山高知急行線は廃止され、高速道路経由の「なんごくエクスプレス」に生まれ変わりました。その際、JR松山駅と落出(旧上浮穴郡柳谷村)間の愛媛県内の区間のみは旅客需要もそれなりに多かったことから一般路線バスによる運行になり、久万高原線と路線名称も変更になりました。平成29(2017)、久万高原〜落出間が廃止され、廃止区間を久万高原町営バスが代替運行されるようになり、現在に至っています。そのかつて「栄光の松山高知急行線」と呼ばれたバス路線に久々に乗れるということで、さすがにちょっと興奮してしまいます。

 

この日の行程図です。JR松山駅から路線バスを乗り継いで、標高1,492メートルの石鎚土小屋まで登っていきます。(国土地理院ウェブサイトの地図を加工して作成)

バスはJR松山駅を出発すると大街道交番前交差点を右折して、伊予鉄立花駅前を通り、天山交差点から国道33号線に入ります。ここからは国道33号線をひたすら進むのですが、森松のあたりだけ愛媛県道194号久谷森松停車場線に入り、森松本町バス停に停車します。この愛媛県道194号久谷森松停車場線1982年に重信大橋が完成し、新道が開通するまでは国道33号線の一部だったところです。ちなみに、森松本町バス停は伊予鉄バス森松営業所(旧伊予鉄道森松駅)のすぐ近く(ほぼ同一場所)にあり、同じバス停でも運行するバス会社により名称が異なるという競合バス区間でよく見られるあるあるを呈しています。


森松本町バス停に停車します。この森松本町は伊予鉄バスの森松営業所前の愛媛県道194号久谷森松停車場線(旧国道33号線)上にあり、JR四国バスは伊予鉄バス森松営業所のバスプールには入りません。

一級河川・重信川を重信橋で渡ると、伊予郡砥部(とべ)町に入ります。


重信橋で重信川を渡ります。重信川を渡った先は伊予郡砥部町です。

世の中の最底辺のインフラは地形気象とさまざまな機会に公言している私の中では、砥部町と言えば中央構造線、「砥部衝上断層(しょうじょうだんそう)」ですね。私は愛媛県の地形や景色を決定づけているものは日本列島最大の断層帯(世界的に見ても最大級規模の断層帯)である「中央構造線」だと思っています。佐田岬半島がそうですし、私がイチオシの伊予市双海町の風景も、中央構造線の活動により形成された断層崖によるものです。また西日本最高峰の石鎚山をはじめとした屏風のように連なる四国山地の山々も、中央構造線に沿って延びています。その中央構造線の断層面が露出する極めて珍しいところが、砥部町にあります。それが「砥部衝上断層」です。


中央構造線の断層面が露出する砥部衝上断層です。この写真は別の日に撮影したものです。

砥部衝上断層 は、1,200万年~1,400万年前の地殻変動によって6,500万年前の古い地層(和泉層群)が、4,000万年前の新しい地層の上に乗り上げたものとされています(1,200万年前には断層線に沿ってマグマが貫入しています)。通常、断層線の上には土砂が堆積していることから、断層線そのものは見えないのですが、この砥部町では、砥部町を流れる砥部川(一級河川・重信川の支流)の浸食によって断層線(砥部衝上断層)が洗い出され、その河岸に断層が露出し、観察できるようになっています。この砥部衝上断層は中央構造線上の逆断層の露頭として「日本の地質百選」にも選定されており、もちろん国の天然記念物にも指定されています。きっと『ブラタモリ』のタモリさんなら大興奮されることでしょうね。

そして、一般的には砥部町と言えば陶磁器「砥部焼」ですね。200年以上の歴史がある砥部焼は全国的に有名です。実はこの砥部焼にも中央構造線が深く関係しています。中央構造線の南側には、石英、長石、カオリンといった磁器作りに不可欠な成分を含む陶石鉱床が分布しており、中央構造線の近くには砥部をはじめ、陶磁器の生産地や温泉が数多くあります。全国的に超有名な佐賀県の伊万里と有田は中央構造線そのものとは違いますが、中央構造線から分岐した松山・伊万里構造線という中央構造線の支線とも言える断層帯のすぐ近くに位置しています。

さらには、砥部という地名にも中央構造線が関係しています。砥部は古来より良質の砥石「伊予砥」が採れるところとして知られています。砥石の利用は古く、磨製石器の製作に利用された時まで遡り、新石器時代以降、あらゆる年代の遺跡から出土し、最も初期の道具の1つであるともいわれています。砥石は地底奥深くにあることで地圧により非常に硬く固められた良質な砥石の原料となる堆積物の地層が、造山活動により採掘可能な深さにまで隆起してくることで掘り出すことができます。砥部町の場合、その造山活動と言うのはもちろん中央構造線の断層活動です。中央構造線の断層面が露呈する砥部衝上断層がある砥部町は、縄文時代より前の新石器時代より、良質な砥石を産出するところとして知られていました。そして、その良質な砥石を採掘する技術を持った人達のことを、大和朝廷では「砥部」と呼んでいました。この砥部が多く住むところ、これが砥部町という地名の由来とされています。

現在の砥部町は、松山市と高知市とを結ぶ国道33号線が縦貫する交通の便の良さと、変化に富んだ緑豊かな自然により、松山市のベッドタウンとして宅地開発が進んでいます。また、敷地面積、内容ともに西日本有数の動物園である愛媛県立とべ動物園、サッカーJリーグの愛媛FCのホームゲームが開催されるニンジニアスタジアム(愛媛県総合運動公園陸上競技場)などの大きなレクリエーション施設が集中しているところになっています。

愛媛県道194号久谷森松停車場線は重信橋を渡り終えると、すぐに重信大橋を渡ってきた国道33号線と合流します。国道の中央分離帯に大きな砥部焼の壺が並んでいます。砥部町には「陶街道(とうかいどう)五十三次』と言って、砥部町内の砥部焼にちなむ地点を53箇所選定し、それらを街道における宿場町のごとく繋ぎ合わせて、一つの観光資源として広く集客を図ろうとする取組みが行われています。もちろん、東海道五十三次にヒントを得て、語呂あわせしたものです。


国道33号線の中央分離帯には大きな砥部焼の壺が並んで置かれています。さすがに陶磁器「砥部焼」で有名な砥部町です。

バスは砥部町の中心部を過ぎたあたりから、目の前に迫る山をかなりキツい勾配の坂でグングン登っていきます。ここは中央構造線の活動により形成された断層崖で、かなりの急斜面です。そこを右へ左ヘカーブが何度も続く九十九折(つづらおり)の坂道でドンドン登っていきます。坂を一気に登り詰める形になるので、進行方向左側の車窓には松山平野(道後平野)や松山市の中心市街地を眼下に見ることができます。かなり登ってきました。


国道33号線のこの先の地点の現在気温の表示が出ています。確認すると、この時点の松山市中心部の気温が23℃でしたから、標高が相当高いところに行くということが、この気温の数字からも読み取れます。

バスは砥部町の中心部を過ぎたあたりから、目の前に迫る山をかなりキツい勾配の坂でグングン登っていきます。国道33号線は登坂車線が続きます。

進行方向左側の車窓には松山平野(道後平野)や松山市の中心市街地を眼下に見ることができます。かなり登ってきました。

愛媛県の県都松山市と高知県の県都高知市を結ぶ国道33号線はこの先の三坂峠が最高地点です。石鎚山(1,982メートル)を最高峰として四国山地西部に高く屏風のように東西に連なる石鎚山脈、その石鎚山脈のうち石鎚山、ニノ森(1,930メートル)、堂ヶ森(1,689メートル)、石墨山(1,457メートル)と連なる石鎚山より西側の山脈の一番西に位置する皿ヶ嶺(1,271メートル)、三坂峠はこの皿を伏せたような山容をした皿ヶ嶺のすぐ西側の鞍部にある峠で、峠の標高は720メートル。三坂峠は松山市と久万高原町との境界にある峠で、分水嶺にもなっていて、北側の御坂川(重信川水系)は瀬戸内海に、南側の久万川(仁淀川水系)は太平洋に流れます。


三坂峠の手前で国道33号線(新道)は国道440号線(旧国道33号線)と分岐し、右に曲がります。三坂峠は国道440号線(旧国道33号線)をさらに登っていった先にあります。

三坂峠は古くから松山と高知とを結ぶ主要陸路である土佐街道の交通の難所とされてきたところで、明治27(1894)に大規模な改修工事が完成し、なんとか自動車が通行できる道路となり、のちにこの道路が国道33号線に指定されました。その後も改修工事が繰り返され、昭和41(1966)には自動車が対面で通行可能な2車線の道路に整備されたのですが、あまりに急峻な地形に作られた道路であり、なおも幅員の狭いところや一部でヘアピンカーブの連続した8%もある急勾配の坂道が続くことなどから、相変わらず交通の難所である状況は続きました。


第二三坂トンネル(長さ1,300メートル)を潜ります。

その状況が抜本的に解消したのは難所である三坂峠のすぐ下を第一三坂トンネル(長さ3,097メートル)第二三坂トンネル(長さ1,300メートル)という連続する2本の長いトンネルで貫く三坂道路が開通した平成24(2012)のことです。三坂道路開通後、国道33号線はこの三坂道路を経由するルートに変更され、従来の三坂峠を越える砥部町大平〜久万高原町東明神の約9.2kmの区間は国道33号線の指定を外されて、国道440号線となっています。同時に、JR四国バスの久万高原線も三坂道路経由に路線変更が行われています。バスは三坂道路を進みます。


次に第一三坂トンネル(長さ3,097メートル)を潜ります。登坂車線が見えるように、この区間もかなりの登り坂です。

第一三坂トンネルを抜けたところから上浮穴郡久万高原町に入ります。久万高原町は平成16(2004)に上浮穴郡久万町、面河村、美川村、柳谷村の13村が合併して誕生した町です。人口は約7千人。面積は580平方kmで県内市町村で最大の自治体です。主たる産業は農林業と観光。特に農業では、高原の気候と、県都・松山市への近さを生かした野菜等の農業が主に行われています。トマト、とうもろこし、ピーマンなどのほか、果樹としてリンゴ等も栽培されています。面河渓、石鎚山、御三戸、四国カルスト、皿ヶ嶺など風光明媚なところが多く、春の新緑や夏の涼、秋の紅葉を求めての山岳観光は昭和の時代から有名です。


第一三坂トンネルを抜けたところから上浮穴郡久万高原町に入ります。三坂峠を越えてきた国道440号線と再び合流する交差点が前方に見えています。

三坂峠を越えてきた国道440号線と合流する東明神のバス停でJR松山駅から乗車してきた2名のトレッキング客が下車しました。下車する際に三坂峠までの距離を運転手に確認していたので、おそらく三坂峠から眼下に見える松山平野(道後平野)の写真を撮影しに来たものと思われます。この日はよく晴れているので、きっといい写真が撮影できるはずです。


東明神のバス停JR松山駅から乗車してきた2名のトレッキング客が下車しました。三坂峠から眼下に見える松山平野(道後平野)の写真を撮影しに来たものと思われます。この東明神バス停がある道路は、改修前の国道33号線なんでしょうね。

三坂峠(三坂トンネル)を過ぎ久万高原町に入ると、国道33号線は緩やかな下り勾配に変わります。険しい山は車窓から姿を消し、自治体名称どおりに久万高原の風景となります。松山市中心部から三坂峠までの距離は約22km。砥部町の中心部を過ぎたあたりから中央構造線の活動により形成された断層崖をカーブが続く急勾配の坂道でドンドン登ってきたわけですが、その急勾配の坂道の距離は10kmちょっと。それが三坂峠を越えると後はずっと緩やかな下り坂に変わり、仁淀川(愛媛県側の名称は久万川)に沿って約100kmの距離を緩やかな下り坂で下って行くと高知県高知市です。この約22km(いや約10km)と約100kmの差が四国の地形の特徴です。分水嶺は瀬戸内海側にずっと寄ったところを通っているわけです。


国道33号線の最高地点である三坂峠を越えたので、ここから高知市に向かって長く緩やかな下り勾配が続きます。反対車線側に登坂車線が設けられていることで、ここが下り坂であることがお判りいただけるかと思います。車窓はなだらかな高原の風景に変わりました。

白装束を着て歩いているお遍路さんの姿が見えます。久万高原町にも四国霊場八十八ヶ所の第44番札所・大寶寺と第45番札所の岩谷寺という2つの札所があります。特に第45番札所の岩谷寺は半端なく険しい山の中にある寺院で、このあたりは急勾配の遍路道が続く巡礼路としては一番キツい区間となります。やはり四国の風景にはお遍路さんの姿がよく似合います。


白装束を着て歩いているお遍路さんの姿が見えます。久万高原町にも四国霊場八十八ヶ所の第44番札所・大寶寺と第45番札所の岩谷寺という2つの札所があります。

802分、久万中学校前バス停で下車しました。JR四国バスの久万高原線は、この2つ先の久万高原営業所が終点なのですが、ここで下車したのには訳があって、この久万中学校前バス停は伊予鉄南予バスの久万営業所前と同じ位置にあるのです。同じ場所にあるバス停でも運行するバス会社が異なるとバス停の名称が異なるという路線バスの“あるある”です。


久万高原町の中心部に入っていきます。高知県との県境は目の前に見える山のさらに向こうにありますが、ここから国道33号線は三坂峠付近の皿ヶ峰を源とする久万川と、石鎚山を源とする面河川に沿ってダラダラと下っていくだけなので、難所といわれるような峠はありません。ちなみに、面河川は高知県内に入ると仁淀川と名称が変わります。

久万中学校前バス停で下車しました。この久万中学校前バス停は伊予鉄南予バスの久万営業所のすぐ前の国道33号線上にあります。

伊予鉄南予バスの久万営業所には810分発の伊予鉄南予バスの石鎚土小屋行きのバスが発車の時間を待っていました。石鎚土小屋行きのバスの使用車種は1998年式の日野レインボーRJサイクルバスです。佐田岬灯台を目指した際に乗車した伊予鉄バスの八幡浜・三崎特急線で乗車した日野メルファ同様、車体前面に可倒式のサイクルラックが付いていて、自転車を2台運べるようになっています。


伊予鉄南予バスの久万営業所には810分発の伊予鉄南予バスの石鎚土小屋行きのバスが発車の時間を待っていました。車種は異なりますが、佐田岬灯台を目指した際に乗車した伊予鉄バスの八幡浜・三崎特急線で乗車したバスと同じくサイクルバスです。

夏季の土日祝日の面河方面行き面河線のバスは、この石鎚土小屋行きが午前と午後の12往復のみ。この午前のバスに乗るためにJR松山駅を朝650分という早い時間に出ました。私のほかにJR松山駅からJR四国バスの久万高原線に乗車してきた2名の登山客の男性も乗車しました。

この日の伊予鉄南予バスも最前列のシートは三密回避のために使用禁止。既にカカシ(案山子)君が座っています。


伊予鉄南予バスの最前列のシートは三密回避のために使用禁止。既にカカシ(案山子)君が座っています。


定刻の810分に石鎚土小屋行きのバスは伊予鉄南予バス久万営業所を出発しました。終点の土小屋の標高は1,492メートル。驚くことに、石鎚山はその地点まで路線バスで行くことができます。四国山地の山々は北側の瀬戸内海に面した側は中央構造線の活動で形成された断層崖で、切り立ったように断崖絶壁を含む急峻な斜面なのですが、反対の南側、すなわち太平洋側は比較的なだらかな山々で形成されており、その山々の間を縫うように愛媛県道12号西条久万線が延びています。バスは出発してすぐに国道33号線を左折し、その愛媛県道12号西条久万線に入ります。


伊予鉄南予バス久万営業所を出発したバスは、すぐに国道33号線を左折し、その愛媛県道12号西条久万線に入ります。ここから先は、一気に1,000メートル以上もの標高を登っていく山岳路線です。カカシ君は毎日この車窓を眺めているのですね。

愛媛県道12号西条久万線は西条市と久万高原町を結ぶ県道で、昭和45(1970)に石鎚スカイラインとして開通し、途中の面河渓のスカイライン入口から石鎚山の登山口の1つである土小屋までが有料道路区間となっていました。平成7(1995)に石鎚スカイラインが全線で無料開放され、現在の名称となりました。全長が約75kmと愛媛県の県道の中で最も長い道路なのですが、西日本最高峰の石鎚山を跨ぐように県道が整備されているため、山頂付近の一部に通行不能(未整備)区間が存在しています。久万高原町側からの終点は土小屋で、標高が1,492メートル(“伊予の国と読みます)。これは愛媛県の県道で最も標高の高いところになっています。全線が石鎚山脈の急峻な地形を縫うようにして急勾配の登り坂が続く山岳道路で、かつては降雨のたびに崩壊箇所が続出するような大変な悪路でした。現在は相当改修されていますが、それでも面河渓〜土小屋間の旧有料道路(石鎚スカイライン)区間は年間を通して夜間通行止めになっており、毎年12月上旬から3月下旬までは冬季封鎖期間となっています。そういう大変な山岳道路を路線バスで走るなんて経験は、滅多にできることではありません。


伊予鉄南予バス面河・石鎚土小屋線のバスは愛媛県道12号西条久万線(石鎚スカイライン)をひたすら登っていきます。(国土地理院ウェブサイトの地図を加工して作成)

前述のように、現在は面河方面へ行く路線バスは伊予鉄南予バスが運行する久万営業所〜面河間の面河線のバスが平日の5往復と、夏季の土日祝日に久万営業所〜石鎚土小屋まで延長して運転される12往復のみですが、かつて、面河渓が愛媛県内随一の景勝地であった頃には、伊予鉄バスが松山市駅〜面河間の直通バスを1日複数便走らせていたほか、国鉄バス(現在のJR四国バス)も松山駅〜面河間の直通バスを1日複数便走らせていました。さらに石鎚スカイラインが昭和45(1970)に土小屋まで開通すると、土小屋ルートによる石鎚山登山ブームが起き、伊予鉄バスが松山市駅〜面河〜土小屋間の直通バスを1日複数便走らせていました。子供の頃、松山市内で見かけて、どんなところなのか気になって仕方がなかったバスの終点「石鎚土小屋」にこれから向かうわけですから、ワクワクしてきます。

久万営業所の次のバス停が大宝寺口。四国霊場八十八ヶ所の第44番札所・大寶寺の最寄りバス停ですが、道路から離れた場所にあるので、その姿は確認できませんでした。ちなみに1つ前の第43番札所の明石寺は西予市宇和町にあり、そこからの距離は約80km、峠越えの難所が続き、歩けば20時間をゆうに超す「遍路ころがし」の霊場と呼ばれています。大寶寺は第44番札所ということで四国霊場八十八ヶ所のちょうど半分に当たり、「中札所」と言われています。

石鎚山に源を発する面河川が県道の横を流れています。面河川を流れる水は非常に澄んでいて、その色はエメラルドグリーンの神秘的な色をしています。まさに清流と呼ぶべき綺麗な流れです。水質日本一に輝く清流・仁淀川は河口のある高知県の河川のイメージが強いのですが、実は源流はこの面河川です。愛媛県内区間の名称が面河川、高知県に入ってから名称が仁淀川に変わります。三坂峠付近を源とする久万川は御三戸で面河川に合流するのですが、その久万川と面河川の合流点にある奇岩「御三戸嶽」は、聳え立つ姿が軍艦のように見えるので「軍艦岩」とも呼ばれています。


石鎚山に源を発する面河川が県道の横を流れています。面河川を流れる水は非常に澄んでいて、その色はエメラルドグリーンの神秘的な色をしています。まさに清流と呼ぶべき綺麗な流れです。

バスはところどころ古い集落の中に入って行くのですが、そこでは車幅がギリギリいっぱいという細い道路もあります。面河渓の観光ブームで昭和30年代に県道が整備される以前の旧道でしょうね。人々が暮らす集落は、基本的に旧道に沿って点在しているわけですから。


バスはところどころで車幅がギリギリいっぱいという細い道路を通り、古い集落の中に入っていきます。

岩谷寺バス停です。ここは四国霊場八十八ヶ所の第45番札所・岩谷寺の最寄りバス停です。岩谷寺はここから参道を30分近く歩いて登った先にあります。参道の途中にはおびただしい数の石仏が重なるように置かれています。標高700メートルにある境内には山に向かって右が金剛界峰、左が胎蔵峰と呼ばれる天を突く礫岩峰に挟まれ、堂宇は巨岩の中腹に埋め込まれるように佇み、神仙境を思わせる典型的な山岳霊場だと言われています。昔から修験者が修行の場としていたようで、さまざまな伝承が残されているのだそうです。


岩谷寺バス停です。ここは四国霊場八十八ヶ所の第45番札所・岩谷寺の最寄りバス停です。岩谷寺はここから参道を30分近く歩いて登った先にあります。

仕七川で国道494号線と合流し、しばらく愛媛県道12号西条久万線と国道494号線は重複します。この国道494号線は松山市を起点に、黒森峠(標高985メートル)で四国山地(石鎚山脈)を越えて、高知県仁淀川町、佐川町を経て須崎市に至る延長114kmの一般国道ですが、他の道路と重複しない実延長区間の多くは狭隘な山道で、しかも整備があまり進んでいない、いわゆる「酷道」となっています。


バスはいったん愛媛県道12号西条久万線から離れ、久万高原町役場面河支所(旧面河村役場)や面河郵便局もある渋草学校前バス停で折り返し、ふたたび愛媛県道12号西条久万線に戻ります。

渋草学校前バス停です。この渋草学校前バス停付近が旧面河村の中心部だったようです。

愛媛県道12号西条久万線は通仙橋で面河川を渡ったところにある通仙橋交差点で国道494号線と分岐するのですが、ここでいったん左折。黒森峠方面に分岐する国道494号線をしばらく走り、久万高原町役場面河支所(旧面河村役場)や面河郵便局もある渋草学校前で折り返し、再び来た道を通り通仙橋に戻ってきます。この渋草学校前バス停付近が旧面河村の中心部だったようです。

通仙橋から再び愛媛県道12号西条久万線を進みます。


面河川沿いのほんの少し開けたところに集落が幾つかあります。いかにも山間の山村って感じですが、比較的新しい家も建っています。

久万営業所を出発してから約1時間、912分に面河渓の入口にある面河バス停に到着しました。面河線のバスは平日はこの面河バス停が終点で、ここで折り返します。石鎚土小屋まで行くのは夏季の土日祝日のみで、それも午前と午後の12往復のみです。

ここまでほとんどノンストップで順調に走ってきたので、トイレ休憩も兼ねて3分ほど時間調整の停車を行いました。乗客3名が戻って来たのを確認して出発。私は2時間後にはこの面河バス停に戻ってきます。


久万営業所を出発してから約1時間、912分に面河渓の入口にある面河バス停に到着しました。県道上には面河渓及び石鎚国定公園の入口を示す大きな鳥居が立っています。

面河バス停です。面河線のバスは平日はこの面河バス停が終点で、ここで折り返します。石鎚土小屋まで行くのは夏季の土日祝日のみで、それも午前と午後の12往復のみです。

石鎚スカイラインが有料道路だった頃、ここが面河側の有料道路の入り口でした。現在は無料開放されていますが、現在もゲートが設けられていて、年間を通して夜間通行止め。また、毎年12月上旬から3月下旬までは冬季封鎖期間となっており、ゲートが閉じられます。

ここから先、終点の土小屋まで、途中のバス停はありません。


ここから先はかつて有料道路だった石鎚スカイラインの区間。終点の石鎚土小屋まで途中にバス停も信号機もなく、ノンストップでひたすら山道を登っていきます。

バスは石鎚山脈の急峻な地形を縫うようにして急勾配の登り坂が続く山岳道路を、ディーゼルエンジンの音をフルに轟かせて、ただひたすら登っていきます。道の両側にはずっと高い樹々が生い茂っているのですが、突然、その樹々の間から石鎚山の最高峰、天狗岳(1,982メートル)の頂上の姿が間近に飛び込んできました。これには「おおっ!」っと声が出るほど感動しちゃいました。石鎚山は見る角度によって見える形が大きく変わるのですが、ここからは鋭く尖った山の形をしています。


唐突に樹々の間から西日本最高峰の石鎚山、その石鎚山の中でも最高峰の天狗岳(1,982メートル)の頂上の姿が間近に飛び込んできました。これには感動しました。

石鎚山天狗岳の向こうに見えるのは瓶ヶ森でしょうか。石鎚山系の山々が間近に見えます。


950分、面河バス停を出てから35分、久万営業所を出発してから1時間40、この日の旅の起点となったJR松山駅からはちょうど3時間で終点の石鎚土小屋バス停に到着しました。前述のように、子供の頃、松山市内で見かけて、どんなところなのか気になって仕方がなかった路線バスの終点「石鎚土小屋」についに到着しました。こういうところだったのですね。感動です。乗って来たこのバスが1025分発の久万営業所行きとなって折り返すので、それに乗って途中の面河まで行く予定にしています。なので、それまでの約30分間、しばしこの土小屋バス停の周辺を散策することにしました。


久万営業所を出発してから1時間40分、伊予鉄南予バス面河・石鎚土小屋線の終点、石鎚土小屋バス停に到着しました。

終点の土小屋の標高は1,492メートル。語呂合わせで「いよのくに(伊予の国)」と言うのだそうです。


終点の土小屋の標高は1,492メートル。松山からここまで路線バスを乗り継いでやって来れることに驚きです。


鉄分補給シリーズ(その6):伊予鉄南予バス面河・石鎚土小屋線は、明後日(620)に掲載します。


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