2022年6月14日火曜日

鉄分補給シリーズ(その5):中島汽船忽那諸島航路③

 公開予定日2022/11/05

[晴れ時々ちょっと横道]第98回 鉄分補給シリーズ(その5):中島汽船忽那諸島航路③


ウォーキングを終え、大浦港(中島港)へ戻ってきました。大浦港の前に気になる石碑が立っています。近づいてみると歌手・坂本冬美さんが歌った『白いかおりの島へ』の歌碑でした。隣には坂本冬美さん直筆の『中島万歳』と刻まれた石碑も。説明書きによると、『白いかおりの島へ』は旧温泉郡中島町の「ばんざい祭り」のイメージソングとして平成元年に誕生しました。歌ったのはデビューまもない坂本冬美さん。中島の島民の皆さんは坂本冬美さんの歌ったこの歌を故郷の歌として大切にしてきたそうです。坂本冬美さんも中島のことを「第二のふるさと」と公言し、売れっ子歌手として大変忙しい中、五たび無報酬で中島を訪れ、島民と交流しているのだそうです。それがあって、坂本冬美さんがNHK紅白歌合戦に出場した時に、中島と同時中継がされたりもしました。ちなみにこの歌碑は、坂本冬美さんの歌った歌の歌碑としては最初に立てられたものだそうです。また、中島汽船の船内では、出港直後や入港直前の案内放送のバックに、この坂本冬美さんが歌う『白いかおりの島へ』が坂本冬美さんの歌付きで流れます。


坂本冬美さんが歌った『白いかおりの島へ』の歌碑です。


歌碑の隣に建つ『中島万歳』と刻まれた石碑の文字は、坂本冬美さんの直筆によるものです。


大浦港前の地元のスーパーマーケットに飾ってあった写真です。昭和28年から昭和33年にかけて中島の島内を走っていた3輪バス「ヂャイアント号」なのだそうです。バス好きにはたまりません。大変珍しい写真なので、店の方の了解を得て、思わず撮影してきました。


大浦港前の地元のスーパーマーケットに飾ってあった3輪バス「ヂャイアント号」の写真です。バス好きにはたまりません。


冬の季節は陽が暮れるのも早いので、大浦港1410分発の中島汽船東線のフェリーで松山三津浜港に戻ることにしました。次のフェリーは1730分発なので、夜の航海になってしまいますので。フェリーが入港してきました。このフェリーが折り返し1410分発の東線になるフェリーで、右に写っているフェリーは予備船として係留されているフェリーのようです。


大浦港にフェリーが入港してきました。このフェリーが折り返し1410分発の東線・三津浜港行きになります。なんかいい感じの写真が撮れました。

フェリーが着岸しました。何気に好きな風景です。左側の係留されているフェリーは「なかじま(2代目)」。676総トン、全長49.90メートルで、旅客定員488名、乗用車19台又は11mトラック6台という船です。就航したのは1994年です。私が乗る船は右側の「ななしま(2代目)」。765総トン、全長55.13メートル、旅客定員494名、乗用車31台又は12mトラック7台、8mトラック1台。就航したのは2018年ということで、比較的新しい船です。新しい船なので、船内に売店があります。慌てて乗船前に港近くのスーパーマーケットに駆け込む必要はありませんでした。まっ、おかげで3輪バスの写真が見られた訳ではありますが


フェリーが着岸しました。何気に好きな風景です。

中島滞在は僅かに2時間半ほどでしたが、目的とした弟が最初に赴任した中島中学校を訪れることができ、また、弟も眺めたであろう景色を眺めながらのウォーキングもでき、非常に充実した1日になりました。おかげで、すっかりリフレッシュできました。一度来たことで、フェリーや高速船に乗ればすぐに来られるということが分かったので、また中島にやって来ようと思っています。今度は泊まりがけで、レンタサイクルを借りて、いろいろと美しい景色のところを回りたいと思っています。


中島汽船のフェリー「ななしま」です。


定刻に大浦港を出港しました。中島にはまたゆっくり訪れてみたいと思います。

フェリー「ななしま」の船内です。新しい船なので、船内に売店があります。

中島汽船東線のフェリーは、途中、忽那諸島の残りの2島、野忽那島と睦月島に寄港して、松山市の高浜港、そして終点の三津浜港に到着します。


フェリーはしばらく右舷に中島、そして睦月島の海岸線を見ながら航行します。

しばらく右舷に中島の海岸線を見ながら航行し、ほどなく忽那諸島で一番東に位置する野忽那島の野忽那港に入港します。野忽那島は周囲約5.7km、面積は約0.92平方km忽那諸島の中でもとりわけ小さい島で、人口は100人ほど。農業(柑橘類)と水産業(タイ、メバル、タコ等)の島です。


ほどなく忽那諸島で一番東に位置する野忽那島の野忽那港に入港します。

野忽那島は忽那諸島の中でもとりわけ小さい島で、人口は100人ほど。農業(柑橘類)と水産業(タイ、メバル、タコ等)の島です。

すぐに野忽那港を出港しました。野忽那島が遠ざかっていきます。この光景、私は好きです。


すぐに野忽那港を出港しました。

野忽那島が遠ざかっていきます。

右舷に睦月島が見えてきました。釣り船のすぐ横を通り過ぎます。釣果はあがっているでしょうか?


右舷に睦月島が見え、釣り船のすぐ横を通り過ぎます。

左舷を瀬戸内海汽船の広島宇品港行きのフェリーが通り過ぎていきます。左舷、遠くに見えるのは愛媛県の北側に突き出た高縄半島の山々です。高縄半島にも意外と高い山々が連なっています。高縄半島の先端(写真では左側)を回ったところが今治市です。


左舷を瀬戸内海汽船の広島宇品港行きのフェリーが通り過ぎていきます。

忽那諸島最後の島、睦月港(睦月島)に寄港します。睦月島は周囲約13km、面積約3.82平方km。人口は現在280人ほどで、農業(柑橘類)と水産業(タイ、メバル等)の島です。弟は中島中学校のあと、この睦月島にある睦月中学校(中島中学校睦月分校を経て、現在は廃校)に赴任し、その年に開催された沖縄国体に出場しました。当時の睦月中学校は全校生徒20数人の小さな中学校でした。そこでは理科だけでなく、数学や英語、技術家庭科も教えたようです。その後、松山市内の椿中学校、そして湯山中学校と赴任しました。当初は、できればこの睦月島へも今回訪れてみようと欲張って考えていたのですが、さすがに中島でのウォーキングで疲れてしまったので、次の機会に睦月島だけを訪れることにしました。


忽那諸島最後の島、睦月港(睦月島)に寄港します。

睦月港を出港して、松山高浜港に向かいます。右舷にこれまで巡ってきた忽那諸島の島々が遠くに見えます。反対の左舷には四国本島。松山市の北条あたりでしょうか。


睦月港を出港して、松山・高浜港に向かいます。

右舷にこれまで巡ってきた忽那諸島の島々が遠くに見えます。


反対の左舷には四国本島。松山市の北条あたりでしょうか。


興居島を右舷に見ながら進みます。由良港でしょうか。


興居島を右舷に見ながら進みます。

由良港(興居島)でしょうか。


ほどなく左舷に松山観光港が見えてきます。石崎汽船の松山〜小倉航路の大型フェリーが停泊しています。その右には瀬戸内海汽船の松山〜広島航路のフェリーと高速船も停泊しています。現在の松山の海の玄関港です。


ほどなく左舷に松山観光港が見えてきます。


松山観光港の横を通り過ぎると、すぐに高浜港に入港します。高浜港では、興居島の泊港行きの興居島フェリーが出港の時間を待っているようです。高浜港に入港しました。桟橋の向こうに伊予鉄の高浜駅が見えます。私はこの高浜港では下船して、伊予鉄の電車で帰ればよかったのですが、あえて終点の三津浜港まで乗っていくことにしました。三津浜焼きの誘惑には勝てません。


高浜港に入港しました。高浜港では、興居島の泊港行きの興居島フェリーが出港の時間を待っているようです。

高浜港を出港すると、左舷すぐ近くにターナー島が見えてきます。ターナー島の正式名称は四十島。夏目漱石先生の小説『坊っちゃん』に登場する島で、ターナー島とは、主人公「坊っちゃん」と一緒に船釣りに出た教頭「赤シャツ」がターナーの絵の様だと言い、「野だいこ」こと「野だ」が「ターナー島」と呼びましょうと応じたことに由来します。


高浜港を出港すると、左舷すぐ近くにターナー島(正式名称:四十島)が見えてきます。

ターナー島をグルッと回った先で、石鎚山が見えてきました。白く雪化粧した西日本最高峰の石鎚山はことのほか綺麗です。


ターナー島をグルッと回った先で、石鎚山が見えてきました。


三津浜港で下船しました。忽那諸島の島々をグルッと巡る船旅、大いに満喫できました。また別の季節に忽那諸島めぐりをやってみたいですね。特に中島汽船の船内放送のバックに流れている坂本冬美さんが歌う『白いかおりの島へ』の歌詞に出てくる、柑橘の花が咲き誇り、島中がその花の甘い香りに包まれる季節に…。皆さんもちょっとした船旅を楽しみたいのなら、この忽那諸島の島々をめぐるフェリーの船旅はお勧めです。豪華クルーズ船の船旅とは一味も二味も違った船旅の楽しさを、安価で味わえます。


終点・三津浜港が近づいてきました。フェリーはここでグルッと大きく向きを変え、バックで入港していきます。

三津浜港に着岸します。


三津浜港で下船しました。忽那諸島の島々をグルッと巡る船旅、大いに満喫できました。


鉄分補給シリーズ(その5):中島汽船忽那諸島航路④は、明後日(6月16日)に掲載します。



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