2019年11月24日日曜日

甲州街道歩き【第16回:茅野→下諏訪宿ゴール】(その8)

記念撮影後は諏訪大社下社秋宮を訪れました。

諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖の周辺に4箇所のお宮をもつ神社です。諏訪湖を挟んで南に「上社(かみしゃ)」、北に「下社(しもしゃ)」があり、「上社」には「本宮(ほんみや)」と「前宮(まえみや)」、「下社」には「秋宮(あきみや)」と「春宮(はるみや)」の2つずつのお宮があります。諏訪大社は十二支の寅、申の年の7年毎の「御柱祭」と呼ばれる天下の奇祭があることで知られています。信濃国一之宮で神位は正一位。全国各地に5,400社余りある諏訪神社の総本社であり、 国内にある最も古い神社の一つとされています。諏訪大社の歴史は大変古く、古事記の中では出雲を舞台に国譲りに反対して諏訪までやってきて、そこに国を築いたとあり、また日本書紀には持統天皇が勅使を派遣したとも書かれています。
諏訪大社の最大の特徴は、本殿と呼ばれる建物がないことです。下社でも「秋宮」は一位(イチイ)の木を、また、この「春宮」は杉の木を御神木とし、上社は御山・守屋山を御神体として拝しています。古代の神社には社殿がなかったとも言われています。つまり、諏訪大社はそうした古くからの原始信仰の姿を今に伝える神社で、こうした神社の建て方は「諏訪神社造り」ともいわれています。祀られている主祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)の子・建御名方神(たけみなかたのかみ)とその妃である八坂刀売神(やさかとめのかみ)。両方の神を合わせて、「諏訪大明神」と呼ばれています。

諏訪大明神は古くは風・水の守護神で五穀豊穣を祈る神、すなわち、農業の神様です。諏訪大社の下社は春になると、神が山から里に下ってきて農耕を司るということから、その年の農作物の作柄を占う「筒粥(つつがゆ)神事」が毎年114日の夕刻から翌未明にかけて、夜を徹して行われます。下社の「春宮」と「秋宮」ですが、下社の御祭神は21日に春宮に遷され、81日になると秋宮に遷されるので「春宮」、「秋宮」と呼ばれるのだそうです。その下社の御祭神の移動を祝う祭りのことを「遷座祭」と言います。

また、諏訪大明神は古くから軍神(武勇の神)としても広く崇敬され、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際に戦勝祈願をしたとも伝えられています。現在は生命の根源・生活の源を守る神として御神徳は交通安全・縁結び・産業の神と広大無辺で、1年を通して多くの方が参拝に訪れています。

さすがに諏訪大社。手水舎も立派です。諏訪湖の竜神伝説にちなんだ龍の口から水が流れ出ています。手水舎で手水をとり、心身の穢れを清めてから鳥居を潜り、御神前に進みます。
鳥居を入ってまず目に付く正面の大きな木は「根入の杉」と呼ばれ樹令は約八百年の御神木です。前述のように秋宮はイチイの御神木を御神体としているのですが、まずは杉の巨木です。

身長1.7メートル、青銅製では日本一と言われる狛犬を両脇に従えた秋宮の神楽殿は三方切妻造りで、諏訪立川流の宮大工・2代目立川和四郎富昌の手により、天保6(1835)に完成したものです。この秋宮の神楽殿は、国の重要文化財に指定されており、諏訪大社と言う古い歴史を持つ神社に相応しく、圧倒されるほどの存在感のある佇まいです。
目を引く「大きな注連(しめ)縄」は、地元の下諏訪町の氏子有志による「大しめ縄奉献会」の方々が、わざわざ出雲から注連縄職人を呼び寄せて作らせたものだということのようです。出雲大社の注連縄とよく似ており、長さが13メートル、重さは約500kgほどもあるといわれています。出雲大社型の注連縄としては日本一の長さなのだそうです。

神楽殿の奥に、二重楼門造りの弊拝殿と左片拝殿及び右片拝殿から成る拝殿が横に並んで建っています。これらの建物も国の重要文化財に指定されています。この拝殿は江戸時代中期の絵図面では帝屋(御門戸屋)及び回廊と記されており、現在の建物は安永10(1781)春に諏訪立川流の宮大工・初代立川和四郎富棟が棟梁となって落成しました。この秋宮も春宮も社殿の建替が諏訪藩によって計画された時、基本的に同じ絵図面(設計図面)で建てられたものなので、大きさこそ微妙に違っていますが、神楽殿と弊拝殿、左右の片拝殿、御宝殿と続く建物の配置等、その構造は全く同じで、瓜二つと言っていいくらい非常によく似ています。 (ちなみに、幣拝殿と片拝殿のみで本殿を持たない、諏訪大社の建物様式は「諏訪造り」と呼ばれる独持の様式です。)
ただ、この秋宮の建築を請け負ったのが前述のように諏訪立川流の宮大工・初代立川和四郎富棟、いっぽう春宮の建築を請け負ったのが地元の大隅流の宮大工・柴宮(伊藤)長左衛門。この両者、激しいライバル関係にあったようで、春宮を請け負った大隅流の柴宮(伊藤)長左衛門のほうは秋宮より後から着工したにもかかわらず、秋宮より1年早い安永9(1780)に竣工しました。また春宮・秋宮両社の建築は建物に施された細かい彫刻において、宮大工界を二分する両派、両棟梁の技が競われているのだそうです。特に秋宮の建設を請け負った諏訪立川流は彫刻の巧みさ・美しさに特徴があるのだそうで、近寄ってみると、見事の一言です。昔の宮大工の技というものには感嘆させられます。
拝殿奥の神明造りの建物は御宝殿で、新しい方を神殿、古い方を権殿と呼び、寅年と申年毎に左右の遷座祭を行います。諏訪大社の宝殿は上社、下社共に平素二殿並んでいます。室町時代の記録では新築後六年間雨風に晒し清めて御遷座をなし、直ちに旧殿を解体新築という形式だったようですが、いつしかこれが逆になり、祭典の直前に旧殿を建て直して新殿に御遷座するようになったのだそうです。

前述のように、諏訪大社は御本殿をもたない神社としても有名で、この御宝殿の奥には建物がありません。その代わりとして、下社の秋宮では一位の木を御神体としてお祀りしています (春宮では御宝殿の奥の杉の御神木を御神体としてお祀りしています)

御宝殿の四隅には4本の巨大な御柱が建立されています。この御柱は7年毎に行われる御宝殿の造営とともに建て替えられ、この御柱は昨年平成28(2016)に建て替えられたものです。既に3年が経過しているので、風雨に晒されて、少し木の表面に味わいが出てきています。
秋宮の境内には、諏訪湖の竜神伝説にちなんだ龍の口から温泉がこんこんと湧く「御神湯」があります。手をはじめ身の穢れを清めるための手水舎で、「長寿湯」といわれているそうなのですが、ここの下諏訪温泉の源泉の温度は49℃ということなので、ハッキリ言って熱い!です。でも、ご利益がありそうですね。
この日のコースは広い意味での諏訪大社の境内を進みようなコースで、比較的距離も短く、基本、下り坂で、甲州街道完歩のビクトリーロードのような感じでした。この日は16.9km、歩数にして22,939歩、歩きました。

観光バスに乗車して宿泊するホテルに向かう途中で、それまでの青空が一天にわかに掻き曇り、激しい雨になりました。大粒の雨が音を立ててバスのフロントガラスを打ちつけます。天気予報の「曇り時々雨」は当たりました。しかし、私達は一粒の雨に当たることもなく、街道歩きを楽しむことができました。今回も『晴れ男のレジェンド』は健在でした。
宿泊するホテルに着いてからの宴会では全16回の完歩者に「甲州街道45宿 完歩証明書」が授与されました。今回は34名の方が完歩証明書を授与されたのですが、私は前述のように1区間(【第11回】真木笹子間)が所用があって不参加だったので、残念ながら完歩証明書をゲットできませんでした。いつかこの区間を踏破して、完歩証明書をゲットしたいと思っています。
この女性5人組は東海道に引き続いての完歩。もともとは1人参加の方ばかりで、東海道を歩いている間で仲良くなり、お互いに励まし合いながら東海道を完歩。続いて甲州街道も完歩で、現在は中山道を京都三条大橋目指して歩いているのだそうです。素晴らしいですね。
最後は甲州街道完歩最高齢の方がご挨拶。82歳なのだそうです。お元気ですね。私もまだまだ頑張ろう!!と、元気を分けて貰いました。
ですが、ここで残念なお知らせ。これまで中山道、甲州街道と歩いてきたのですが、松山大学の非常勤講師としての講義も始まったので、これからしばらく大好きな「街道歩き」をお休みする…という苦渋の決断を行いました。もちろん、日帰りの単発で峠越えなどの街道歩きは継続するつもりですが、◯◯街道完歩といったシリーズは一時お休みです。完全にリタイアしてから、心置きなく街道歩きを楽しみたいと思っています。なんと言っても、中山道はちょうど中間地点の宮ノ越宿で中断していますので、京都三条大橋までの残りを歩かないといけませんし、街道歩きのメイン「東海道」を残していますから。


……(その9)に続きます。

0 件のコメント:

コメントを投稿

愛媛新聞オンラインのコラム[晴れ時々ちょっと横道]最終第113回

  公開日 2024/02/07   [晴れ時々ちょっと横道]最終第 113 回   長い間お付き合いいただき、本当にありがとうございました 2014 年 10 月 2 日に「第 1 回:はじめまして、覚醒愛媛県人です」を書かせていただいて 9 年と 5 カ月 。毎月 E...