2022年4月30日土曜日

鉄分補給シリーズ(その1):伊予鉄道高浜線②

 公開予定日2022/07/08

 [晴れ時々ちょっと横道]第94回 鉄分補給シリーズ(その1):伊予鉄道高浜線②


【三津駅】

続いて三津駅です。三津駅は古町駅・松山市駅とともに明治21(1888)1028日の伊予鉄道開業時に設置された駅で、四国で最初に開設された鉄道駅の1つです。開業当時はこの三津駅が伊予鉄道の終点でした。文豪・夏目漱石が明治28(1895)に愛媛県尋常中学校(旧制松山中学、現在の松山東高校)に英語教師として赴任してきた時、最初に松山の地に降り立ったのが三津浜港。そして、この三津駅(当時の名称は三津停車場)から小説『坊っちゃん』の中で「マッチ箱のような汽車」と表現した伊予鉄道の列車に乗って松山市駅(当時の駅名は外側駅)に向かいました。

三津駅の現在の駅舎は3代目で、平成21(2009)に竣工したものです。昭和初期に建築とされた2代目駅舎はアール・ヌーヴォー風のエントランスや半木骨造りと呼ばれる独特の建築様式が利用者や周辺住民に親しまれ、存続を希望する声が大きかったので、3代目駅舎はその2代目駅舎の雰囲気を色濃く残す建物となっています。

現在の三津浜駅は島式プラットホーム12線の構造になっていますが、その島式のプラットホームの幅がやけに広いことに気がつきます。さすがに伊予鉄道開業時に終端駅だった名残りでしょうね。かつては貨物積み込み用に何本かの側線もあったのではないか…と、容易に想像できます。

この三津駅は、松山市における重要港湾の1つである三津浜港の最寄り駅です。瀬戸内海交通の重要拠点とされる松山港には現在は松山観光港、高浜港、三津浜港、堀江港、松山外港、今出港という6つの港があるのですが、そのうち最も古くから整備されていた港湾が三津浜港でした。三津浜港の歴史は古く、室町時代に対岸に城(港山城)を築いて水軍の拠点(軍港)とした河野氏の頃まで遡り、皇族行幸の際に船を泊めたため御津(みつ)と呼ばれるようになりました。江戸時代には松山藩の参勤交代における外港としても使用され、舟奉行・町奉行が設置されていました。明治39年(1906年)、高浜港が開港し、定期航路の大部分が高浜港に移動してからは、三津はむしろ商業の町として発展することになりました。このように、この三津駅から三津浜港にかけての一帯は、江戸時代から昭和の時代にかけて松山の海の玄関口、そして商業の中心地として栄えた地域で、当時の古い町並みが今も残されています。ちなみに、三津浜港は現在も山口県の柳井港へ向かう防予フェリーのほか、忽那諸島の島々を結ぶ中島汽船のカーフェリーの発着する港となっています。

三津駅から三津浜港にかけての一帯は江戸時代から昭和にかけて松山の海の玄関口として栄えた地域で、当時の古い町並みの雰囲気が今も残されています。

三津浜港近くにある石崎汽船旧本社です。大正14(1925)築の鉄筋コンクリート2階建ての建物で、設計したのは愛媛県庁本館や萬翠荘(旧久松伯爵本邸)も手掛けた木子七郎。正面が左右対称形をしており、バルコニーやレリーフなど洋風の意匠が施された当時としては超ハイカラな建物です。国の登録有形文化財に指定されています。

三津浜港です。忽那諸島の島々を結ぶ中島汽船のカーフェリーが出航を待っています。

この三津浜地区に非常に興味深い乗り物があります。それが「三津の渡し」です。「三津の渡し」(別名:須崎の渡し)は松山市の三津浜港内で運航されている渡し舟で、約500年の歴史を誇っています。正式名称は「松山市道高浜2号線」。航路は松山市の“市道”になっており、松山市都市整備部道路課が運営しています。全長約9メートル、定員10名余りの小型動力船が三津浜の西性寺前と港山地区との間の約80メートルの距離を結んでいます。運航時間は7時から19時で、年中無休。運行区間は公道であるため、運賃は無料です。ふだんは通勤・通学などの市民の足として利用されているのですが、対岸までの短い距離を往復する姿はどことなく風情があり、最近ではテレビの旅番組や雑誌等で取り上げられることも多く、観光スポットとして注目されるようになってきています。その起源は室町時代にまで遡り、港山側にあった港山城への物資輸送のために利用したのが始まりとされています。江戸時代の俳人・小林一茶も句会に参加するために乗船したと言われています。また、松山を舞台とした映画『がんばっていきまっしょい』においては、田中麗奈さん演じる主人公の女子高校生が通学に利用するシーンが登場します。


「三津の渡し」(別名:須崎の渡し)です。航路は約80メートル。1分ほどの乗船で、すぐに対岸に着きます。

お好み焼きといえば関西風や広島風のお好み焼きが有名ですが、松山にも「松山市民のソウルフード」と呼ばれることもある独自のお好み焼きがあります。それが三津浜焼きです。昭和の中頃まで松山の海の玄関となっていた港町・三津浜には約30軒のお好み焼き屋さんが軒を並べ、昭和の時代からの庶民派ご当地グルメ・三津浜焼きを提供しています。

三津浜焼きは、広島県からやってきた漁師が伝えたといわれるお好み焼きがアレンジされて、独特のスタイルになったものなのですが、広島のお好み焼きとの違いが幾つかあり、それが独特の味となっています。実は広島のお好み焼きと三津浜焼きは似て非なる食べ物なのです。三津浜焼きが広島のお好み焼きと違うのは、まず、三津浜焼きでは台となる中華そばやうどんをソースで味付けしてから生地に乗せる点です。一方、多くの広島のお好み焼きでは、キャベツなどの具材が下で、味付けされていない麺がその上に乗ります。次に、一般的にお好み焼きで肉というと豚肉がほとんどではないかと思われますが、三津浜焼きでは牛肉を使うのが一般的です。また、三津浜焼きでは、焼くための油には牛脂を使います。牛脂を使うことで、山盛りのキャベツに甘みとコクをプラスしてくれます。焼いている周囲には、ジュワーっと焼ける牛脂の香ばしい匂いが漂います。さらに、三津浜焼きでは、具材の中に必ず紅白の“ちくわ”を入れます。この“ちくわ”も三津浜焼きになくてはならないものです。“ちくわ”は鉄板の上で焼かれる時に程よい弾力とダシを出し、三津浜焼きをいっそう美味しくさせる役目を担っています

私はこの三津浜焼きが大好きで、松山に帰省した折には三津浜焼きを食べるためだけの目的で、三津浜を訪れたりしています。


三津浜と言えば松山市民のソウルフード「三津浜焼き」ですね。関西風や広島風に対抗して、この「松山風お好み焼き」も全国に広めねばなりませんね。


【大手町駅】

次に取り上げるのは大手町駅のダイヤモンドクロスです。この大手町駅のダイヤモンドクロス、鉄道ファンの間では、伊予鉄道と言えばダイヤモンドクロスという声が返ってくるくらいに全国的に有名なところです。

ダイヤモンドクロスとは異なる路線の線路がほぼ直角に“+の字形”に平面交差する地点のことで、ただでさえ大変珍しいスポットなのですが、伊予鉄道では国内で唯一の激レアな光景が見られます。なんと電車の前に「遮断機」が下り、一般の自動車や歩行者とともに、「電車が電車の踏切待ちをする」という衝撃的な光景が繰り広げられるのです。その劇レアな衝撃的な光景が見られるのが高浜線大手町駅前の踏切です。この踏切では高浜線の郊外電車とJR松山駅方面に向かう市内線の路面電車が平面交差(ダイヤモンドクロス)していることから見られる光景です。しかも、高浜線の郊外電車は、日中も15分おきに大手町駅を通過するため、こうした電車同士の踏切待ちの光景が、ここでは日常茶飯事のこととして見ることができます。そして、この大手町駅のダイヤモンドクロス、高浜線の線路も市内電車の線路もどちらも複線なので、電車がダイヤモンドクロスを通過する際に発するダダダダダダダン ダダダダダダダンという連続音がとにかくたまりません!!

大手町駅前のダイヤモンドクロスです。踏切の遮断機が下りた手前で、市内線の路面電車が高浜線の郊外電車が通過していくのを待っています。写真ではお伝えできないのが残念なのですが、電車がダイヤモンドクロスを通過する際に発するダダダダダダダン ダダダダダダダンという連続音がとにかくたまりません‼️


【古町駅】

伊予鉄道高浜線の大手町駅前のダイヤモンドクロスは全国的に有名ですが、実は松山市駅から高浜線へ向かうと大手町駅の次の古町駅の構内にもダイヤモンドクロスがあります。大手町駅前のダイヤモンドクロスほど直角には横断していませんが、JR松山駅方面からやって来た市内線の電車が松山市駅方面からやって来た郊外電車(高浜線)の線路を平面交差で斜めに横切り、古町駅へと入線して来ます。その時にも特有のダダダダンダダダダンという連続音を発します。時には市内線の電車が駅構内に入る手前でいったん停車し、高浜線の電車が通過するのを待つという光景を見ることもあります。ただ、その場合、市内線の電車はこの区間は道路上を走行する路面電車区間ではないので、遮断機は下りません。

古町駅構内にある斜めダイヤモンドクロスです。駅構内に入る手前で、市内線の電車がいったん停止して、高浜線の電車が通過するのを待っています。

古町駅構内のダイヤモンドクロスでは、市内線の電車が高浜線の線路を斜めに横切って行きます。

古町駅は三津駅・松山市駅とともに明治21(1888)1028日の伊予鉄道開業時に設置された駅で、四国で最初に開設された鉄道駅の1つです。開業時の駅名は三津口駅だったのですが、翌明治22(1889)7月に現在の古町駅に改称されました。市内線の電車(環状線:軌道線)と郊外線の電車(高浜線:鉄道線)の併用駅で、ホームは45線。駅構造としては伊予鉄道最大の駅です。5線あるプラットホームのうち、1番線と2番線ホームを市内電車線、3番・4番・5番線ホームを郊外電車線(高浜線)が使用します。かつては各ホームを結ぶ地下道があったように記憶していますが、現在はバリアフリー化のためか各ホームへは遮断機付きの踏切を渡って行ける平面構造になっています。さらに、前述のダイヤモンドクロスのところで触れましたが、市内線の線路と郊外線(高浜線)の線路が駅構内で斜めに平面交差する構造になっています。

また、古町駅には古町車両工場(車両基地)を併設しており、市内電車と郊外電車の車庫と工場、検修場があります。斜めダイヤモンドクロスに加えて郊外電車や市内線の路面電車がしばし休んでいる光景がホームから間近に見られることもあり、古町駅は伊予鉄道の数ある駅の中で私の一番好きな駅でもあります。

古町駅に入選してきた横河原行きの電車、こちらは伊予鉄道3000系電車です。この3000系電車は元京王帝都電鉄井の頭線の主力電車だった3000系電車で、伊予鉄道では2009年度より3両編成10本、計30両が導入され、現在は郊外線の車両の約6割を占める主力車両となっています。

古町車庫にて、元京王帝都電鉄京王線の主力電車だった700系電車と、元京王帝都電鉄井の頭線の主力電車だった3000系電車が並んで休んでいます。同じ京王帝都電鉄と言っても京王線の線路の幅(軌間)1,372mm、いっぽうで井の頭線の線路の幅は1,067mm。東京では絶対にあり得なかった同一線路上での名車同士の共演が、この四国松山の地で実現しています。ちなみに、伊予鉄道の軌間は1,067mmです。

古町駅には市内電車の車庫も併設されています。通常の路面電車に加えて、「坊っちゃん列車」も休んでいるのが見えます。


次回(その2)では、松山市駅から東方向に延びる横河原線を取り上げます。

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