2020年2月23日日曜日

甲州街道歩き【第11回:真木→笹子峠】(その7)

萬霊塔から少し歩いた先に稲村神社があるのですが、その稲村神社の前に石塔群が祀られています。ここは「親鸞上人念仏供養塚」と呼ばれている場所です。この塚には次のような伝説が残されているそうです。親鸞上人が甲州萬幅寺参詣の帰途、この地の地頭小俣左衛門尉宅に泊まったおり、「葦ケ池」の毒蛇済度を懇請されました。上人が21日間もの間、毎日小石に6字の名号を墨書し池中に投入すると、霊は東南の空高く消え去ったのだそうです。葦ケ池の毒蛇は実は小俣左衛門尉の娘「よし」の化身でした。「よし」はこの地に修行に訪れた若い僧に恋をしたのですが、その恋は実らず、池に身を投げ大蛇になったのだそうです。その身を投げた場所には現在「葦池の碑」が建てられているのだそうです。
  稲村神社です。この稲村神社の境内には実に面白い道祖神が祀られています。名付けて「合体道祖神」。見た目どおりです。モロじゃん!! 説明は省かせていただきます。この男女合体道祖神は甲州街道ではここだけで見られる珍しいものです。犬目宿にあった「陰陽道祖神」といい、この「合体道祖神」といい、甲斐国の人はおおらかですねぇ〜(笑)
   こちらは二十三夜塔です。
 拝殿の右手境内中央にビックリするくらいの大杉があります。目通り幹周り8メートルの巨木で、根元から3本の太い幹に分かれて伸びています。稲村神社の御神木で、パワースポットになっているのだそうです。皆さん、幹に手を当てて、御神木のパワーを分けてもらっています。スピリチュアルは弱い私ですが、そんな私でも幹に手を当てると、なにか強い生命力のようなものを感じます。
  おおっ! この自動販売機には大月桃太郎伝説の解説が書かれています。桃太郎伝説の本家を主張しています。
  ここでちょっと旧甲州街道を外れて、JR中央本線の線路脇に寄り道。そこに親鸞上人念仏供養塚のところで述べた小俣左衛門尉の娘「よし」が身を投げた場所を示す「葦池の碑」が立っています。かつてはこのあたりに葦ヶ池と呼ばれる沼があったようです。
 旧甲州街道に戻ります。旧甲州街道に戻るところにもアルミサッシの窓を使っているなど建物自体は新しそうですが、歴史を感じさせる大きな民家が建っています。
 旧甲州街道はここで国道20号線と合流するのですが、その国道20号線は山肌に沿って伸びています。この緩いカーブに旧街道の匂いがプンプンしてきます。
 この笹子川橋で笹子川を渡るのですが、渡るのはこの国道20号線の橋ではなく、笹子小学校前で左に曲がり並行して架かっている古いほうの旧笹子川橋です。このルートが旧甲州街道です。往時はこの笹子川橋の右手に渡しがありました。
  笹子川橋を渡ったところが阿弥陀海道宿の江戸方(東の出入口)です。天保14(1843)に編纂された「甲州道中宿村大概帳」によると、阿弥陀海道宿は家数は65軒で、人口は272人。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠4軒という小さな宿場でした。前述のように、手前の白野宿とその次の黒野田宿との3宿で人馬の継ぎ立て等の問屋業務を毎月115日は黒野田宿、1622日は阿弥陀海道宿、2330日は白野宿というように分担して務めていました。
 この阿弥陀海道宿というちょっと変わった地名の由来は、この宿内にある阿弥陀堂です。まずはその阿弥陀堂に行ってみました。
 建物は残っておりませんが、ここがその阿弥陀堂の跡です。この阿弥陀堂は、東大寺の「四聖」の1人に数えられている奈良時代の僧・行基が全国行脚の際、笹子峠に跋扈する悪霊を鎮めるために、この地に堂を建てて自ら彫った阿弥陀如来像を祀ったことに由来すると伝えられています。行基はこのあたりの地を「阿弥陀海」と命名し、その阿弥陀堂に通じる道を「阿弥陀海道」と呼んだと言われています。それが宿名になったようですが、このあたりの地名は、元々は芦が窪と呼ばれていたようです。
 ここで言う“海”とは、一般に言われる“海(sea)”のことではなく、仏教用語ののことです。仏教界でとは、衆生(人間)の相を表す場合と、法(阿弥陀仏のはたらき)を表す場合とがあります。衆生(人間)の相を表す場合は、難度海・群生海・衆生海・生死海・無明海・煩悩海などの表現があります。また、法(阿弥陀仏のはたらき)を表す場合は、一乗海・大智願海・功徳大宝海・慈悲海・信心海・誓願海・真如海などの表現があります。このように仏教の世界では、というのは、計り知れない昔からこれまで、凡夫や聖者の修めた様々な自力の善や、五逆・謗法・一闡提などの限りない煩悩の水が転じられて、本願の慈悲と智慧との限りない功徳の海水となるということで、使われている言葉のようです。
 また、“海”には“谷”という意味もありました。その場合は“峡”という字を使い、これで“かい”と読んでいました。ちなみに、山梨県の旧国名である『甲斐』はその「峡(かい)」から出た名で、山と山の谷間を意味しているのだそうです。

ここにあった阿弥陀堂は明治40(1907)に発生した山津波によって倒壊し、現在、阿弥陀如来像は次の黒野田宿にある普明禅院に移され、その寺の本尊になっています。

先ほどから看板が見えていた山梨県を代表する銘酒の1つ「笹一」の蔵元「笹一酒造」に立ち寄りました。下戸の私でも知っているような蔵元なので、江戸時代からの造り酒屋かと思っていたら、大正時代の創業というからまだ新しい造り酒屋のようです。ふだんは酒蔵に立ち寄ってもその後の街道歩きに支障が出るのではないかと心配して、試飲はほとんどしないのですが、この日は特別です。この日のゴールももうまもなく(残り約2.5km)。緩い登り坂が続きますが、千鳥足でも歩ける距離です。そして、ゴールすれば『甲州街道を完歩』ということで、完歩祝いにいっぱい試飲をさせていただきました。もちろん、甲州街道完歩記念に吟醸酒を1本、買って帰りました。ここからはリュックに酒を1本背負って歩きます。
  笹一酒造の前には笹子峠から湧き出る清冽な伏流水が流しっぱなしになっています。一クチ口に含んでみましたが、美味しい水です。なるほど、この水で作れば美味しいお酒も出来るはずです。「御前水」という看板も掲げられています。明治天皇も御行幸の際にこの笹一酒造で使っている湧き水をお飲みになった…と書かれています。
  

……(その8)に続きます。

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