2019年3月13日水曜日

江戸城外濠内濠ウォーク【第9回:江戸城西の丸・二の丸】(その3)

再び中門を通って、宮殿東庭、宮殿(長和殿)の前を通ります。


右手に先ほど前を通ってきた冨士見櫓の美しい姿が見えます。バックの高層ビル群との対比が、なんとも味わい深いものがあります。


次に向かった先は宮殿の豊明殿(ほうめいでん)です。ここは天皇誕生日の宴会やその他の皇室主催の儀式の際の饗宴場となる建物です。国賓を招いて行われる宮中晩餐会などの主会場にもなります。また、毎年、春と秋に行われる叙勲では、勲章と勲記が伝達された受賞者は、伝達された勲章を着用し、配偶者を同伴し、長和殿も春秋の間ないしはこの豊明殿において、天皇陛下に拝謁します (大綬章を受章される方だけは、正殿松の間において、天皇陛下から勲章を親授され、また、内閣総理大臣から勲記を伝達され、その後、親授された勲章を着用のうえ配偶者を同伴し、正殿松の間において、天皇陛下に拝謁します)


豊明殿の外観は、和風入母屋造で中庭に向かって南面しています。豊明殿の室内面積は915平方メートルで、一棟一室の広い部屋となっています。宮殿のホールでは最大のスケールを誇り、立食の形式では、最大600名の席を設置することが可能になっています。


内閣の組閣が行われるとき、奥の「松の間」で総理大臣は親任式、各大臣は認定式が終わりますと、玄関前の赤いジュウタンで記念撮影を行います。テレビや新聞などで報道されているのがここです。長和殿のところで、長和殿の左側にある大きな玄関、「宮殿の表玄関南車寄せ」が各国の大統領や大使など外国の国賓など主賓の方が利用される玄関ということを書きましたが、この豊明殿の玄関(車寄せ)は総理大臣をはじめ主に日本人のお客様が使用される玄関で「北車寄せ」と言います。

豊明殿2階から伸びる渡り廊下は宮内庁庁舎に繋がっています。


豊明殿の奥に天皇陛下が日常の政務を行う御座所や儀式の場である「正殿(せいでん)」の屋根がちょっとだけ見えています。


豊明殿からは「山下通り」と呼ばれる坂道を下っていきます。正しくは「紅葉山下通り」と言います。この山下通りは、春は桜、秋はモミジの紅葉でとても綺麗な通りです。写真の左側奥が「紅葉山」で江戸時代からほとんど人の手が加わっていない場所で、天皇皇后両陛下が蚕を飼育されておられるところでもあります。


さらにこの紅葉山のあたり一帯には御霊屋と初代の徳川家康をはじめ歴代将軍(6代将軍家宣まで)の墓がありました。


宮内庁庁舎の裏側です。


山下通りを下ったところにあるのが、江戸城内濠の1つで、江戸城本丸と西の丸を隔てる「蓮池濠」です。蓮池濠の濠の長さは約400メートル、深さが約80cmで、比較的浅い濠です。毎年78月の夏には、蓮の花がご覧になれます。花の見ごろは早い時期は7月の始め頃から見られ、8月の中頃までが見ごろとなり、人の顔くらいの大きさの花を見ることが出来ます。ちなみにレンコン(蓮根)は収穫されることはなく、肥料のためにそのまま残すのだそうです。



ちなみに、山下通りを下ったところにも御門があったようで、石垣が残っています。


蓮池濠の対岸は、高さが江戸城の石垣の中では最も高い約20メートルにもなる長大な石垣となっています。その高く堅牢な石垣の上には「富士見多聞(ふじみたもん)」があります。「多聞(多門とも書きます)」とは長屋状の建物構造をした櫓のことで、かつて江戸城本丸には15棟の多聞櫓がありましたが、富士見多聞はその中の唯一の現存遺構です。富士見多聞は富士見櫓から続く多聞という意味です。この富士見多聞の中には鉄砲や弓矢が納められていました。戦時においては、ここから蓮池濠を隔てた敵を狙い撃てるようになっていました。


前述のように、蓮池濠の石垣は江戸城の石垣の中では最も高い約20メートルにもなる高さがあります。この高い石垣の向こう側は江戸城本丸。このあたりは、ちょうど、あの松の大廊下跡になります。このあたりには、かつて「数寄屋多聞」と「数寄屋櫓」が築かれていました。本丸を守るためにこれほどまでに高い石垣が築かれたのでしょう。蓮池濠の深さが約80cmと浅かったということも関係あろうかと思います。


宮内庁庁舎の横を通ります。この宮内庁庁舎は昭和43(1968)に現在の宮殿が落成されるまで「仮宮殿」として使用されていた建物だけあって、立派な建物です。


12月半ばですが、まだ綺麗に紅葉したモミジが残っています。こちらはジュウガツザクラ(十月桜)。小さな白い花が満開です。


富士見櫓のところまで戻ってきました。見れば見るほど端正の取れた美しい三重櫓です。明暦3(1657)の明暦の大火で江戸城の天守(寛永天守)が焼失した後に、第4代将軍徳川家綱が「これからはこの富士見櫓を江戸城の天守とみなす」としたことも分かる気がします。かつてこの富士見櫓の前には「蓮池御門」と呼ばれる立派な門がありました。明治43(1910)、ここにあった蓮池御門は名古屋城に移築され、西の丸大手門(正門)として使用されました。なお、この名古屋城の正門に移築された蓮池御門は第2次世界大戦の空襲で焼失してしまったため、現在の名古屋城正門は天守閣と同じく. 昭和34(1959)に再建されています。


かつてはここにも「新門」と呼ばれる御門が築かれ、江戸城本丸への裏口のように使われていました。この御門を入ったところから江戸城本丸への最後の門である御書院御門(中雀御門)に繋がっていました。


内桜田御門(桔梗御門)に戻り、「皇居一般参観」の参観コースは終了です。内桜田御門(桔梗御門)のところで参観者の認識票の付いたストラップを返還し、門外に出ます。1時間ほどの参観でしたが、貴重な体験になりました。「皇居一般参観」は当日受付もあるようなので、今度は家族を誘って来ようと思っています。



……(その4)に続きます。


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