2020年2月18日火曜日

甲州街道歩き【第11回:真木→笹子峠】(その2)

「第七甲州街道踏切」という名称の踏切でJR中央本線を渡ります。
  おやっ! 中央本線の線路の先に野猿が2匹、こちらを向いて座っています。写真で分かるでしょうか? 
 この「第七甲州街道踏切」を渡ったあたりが下初狩宿の江戸方(東の出入口)で、ここから下初狩宿に入っていきます。そこに「聖護院道興の歌碑」が建っています。刻まれている歌は
「今はとて かすみを分けて かえるさに おぼつかなしや はつかりの里」
道興は関白近衛房嗣の子で仏門に入り大僧正となり、本山派修験宗(天台系)の総本山聖護院の門跡を勤めました。諸国を行脚し、各地の霊場、名所を訪ね、その様子を『廻国雑記』に記しています。それによると、この歌は文明19(1487)、この地を通過した際に、帰雁が鳴くのを地名に因んで詠んだ歌なのだそうです。碑が建立されたのが文化3(1806)、揮毫は『甲斐国史』の編者、森島基進で、歌碑を建立したのもその森島基進なのだそうです。
  下初狩宿の中を進みます。下初狩宿は次の中初狩宿との2宿で人馬の継ぎ立て等の1つの宿場の任を担う「合宿(あいしゅく)」でした。月の前半15日を中初狩宿、後半15日をこの下初雁宿が勤めました。天保14(1843)に編纂された「甲州道中宿村大概帳」によると、下初狩宿は家数は156軒で、人口は616人。本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠12軒と甲州街道では比較的大きな宿場町でした。前述のように、東国廻国中の聖護院道興が帰雁を詠んだ地であり、十返舎一九も「諸国道中金之草鞋」の「身延道中之記」に狂歌を添えたりしたところなのだそうです。ちなみに、「初狩」の地名は、鎌倉の右大将が富士野の狩りをする時に、この場所から狩りを始めたことに因んでいると、「甲駿道中之記」に書かれているのだそうです。
 また、この下初狩宿は「樅の木は残った」や「赤ひげ診療譚」といった下級武士や市井の民の哀歌を多く描いた作品で知られる小説家の山本周五郎先生(本名:清水三十六)の誕生之地としても知られています。生家はこのあたりにあったそうなのですが、周五郎4歳の時の明治40(1907)に山津波により流失し、今は何も残っていません。
 宿内で国道20号線と合流します。
  「山本周五郎生誕之地」の碑が立っています。石碑は立っていますが、実際の生家の跡は、先ほどの場所です。ちなみに、奥の家は下初狩宿の2軒あった旧本陣のうちの1軒、奥脇家本陣の建物です。慶応年間(1865年~1868)の建築で、木造2階建、切妻、平入、桟瓦葺きで、間口が広く本陣としての威容は今も残っています。建物の左手には本陣門も残っています。道路の反対側から眺めたので、本陣門はよく見えません。このあたりは建物の敷地と道路とはかなりの段差があります。国道20号線を通す際にかなり嵩上げしたのでしょうか。
  旧街道らしく出桁・切妻造りの町家建築の建物をところどころで見かけます。なにかの商家だったお宅でしょうか。古い蔵なども現存していて、裕福な宿場であったことを想起させます。
 こちらは下初狩宿の2軒あった旧本陣のうちのもう1軒、天野家本陣跡です。
 常夜燈と二十三夜塔が立っています。このあたりが下初狩宿の諏訪方(西の出入口)でした。
 JR初狩駅前という道路標識が見えます。ちょっと早いですが、このJR初狩駅前交差点脇のコンビニの駐車場に停めた観光バスの車内で、お昼のお弁当をいただきました。
 お弁当をいただいた後、出発までに時間があったので、JR初狩駅まで足を伸ばしてみました。この初狩駅、今は各駅停車しか停車せず、乗降客も少ない田舎の無人駅に過ぎないのですが、駅構内は意外と思えるほど広いです。実は、ここまで来る途中にあった「丸山の一里塚」があったといわれる権現山(丸山)の採石工場は、JR東日本の首都圏路線の軌道のバラスト(砕石)を製造する「砕石工場」で、かつては東洋一の規模といわれたほど大規模な砕石工場でした。ここで採れる砕石(バラスト)は甲州砕石と呼ばれ、硬度が高いことから鉄道の軌道の基礎として敷く砕石(バラスト)としては良質なことで知られ、現在も首都圏のほぼ全路線で使われています。その採石工場からこの初狩駅まで専用線が伸びていて、採石工場から出発する砕石(バラスト)輸送列車のために、スイッチバックをするための施設があるので、意外なほど広い構内を持っているようです。そう言えば、第七甲州街道踏切でJR中央本線を渡る手前の左側に一瞬鉄道の線路が見え、「あれっ⁉︎ この線路は何の線路だろう」と思ったのですが、採石工場からの専用線だったのですね。現在でもこの初狩駅はJR東日本の砕石(バラスト)輸送列車の発駅になっています。(ちなみに、スイッチバックとは、険しい斜面を登坂・降坂するため、ある方向から反対方向へと鋭角的に進行方向を転換するジグザグに敷かれた鉄道線路のことです。)
  かつてのJR中央本線には急勾配を登る山岳路線のために、この付近だけでも笹子駅や勝沼ぶどう郷駅(旧勝沼駅)など多数のスイッチバック構造を持つ駅が存在しました。この初狩駅に停まる旅客列車もスイッチバックを行っていたのですが、昭和43(1968)に複線化の工事が行われた際、勾配のある本線上に新しくホームが設けられ、スイッチバックは行われなくなりました。その本線は駅舎から少し離れてスイッチバックのための線路を渡った先にあります。


初狩駅の駅前にも小説家・山本周五郎生誕の地を記念する石碑が立っています。
 初狩駅駅前の案内地図で、このあたりの位置関係を確認し、頭に入れておきます。これ、街道歩きにとっては極めて重要なことです。


……(その3)に続きます。

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