2020年2月17日月曜日

甲州街道歩き【第11回:真木→笹子峠】(その1)

ついに甲州街道を本当の意味で“完歩”してきました。

127日、甲州街道歩きの【第11回:真木笹子】を歩いてきました。甲州街道歩きは9月に開催された【第16回:茅野下諏訪宿】で全16回のゴールの下諏訪宿にある中山道との合流点(追分)まで到達したのですが、実はその時の私は完歩ではなく準完歩1区間だけ残してのゴールでした。その1区間というのがこの【第11回:真木笹子】の区間でした。ちょうど、前年の『大人の修学旅行2018in出雲・松江』と日程が重なり、そちらを優先したので、この区間だけ歩けずに残っていたのです。

9月の【第16回】の下諏訪宿でのゴール後、完歩された皆さんに『完歩証明書』が授与されるのを見て、悔しくってたまらなかったので、その場でこの日の【第11回】への参加を決めて即予約。キャンセル待ちだったのですが、運良くキャンセルが出て参加できる旨の連絡が届き、参加できることになりました。その【第11回:真木笹子】の区間を歩き、これで私も甲州街道532420(210.8km)を完歩することができました。

【第11回】は上花咲宿の先の真木という集落にある真木諏訪神社横の初月橋の手前を出発して、下初狩宿、中初狩宿、白野宿、阿弥陀海道宿、黒野田宿という5つの小さな宿場を通り、笹子峠へ向かう登山道の入り口にある天野記念公園まで歩きます。このところ信濃路(長野県)を歩いていたので、久々の甲斐路(山梨県)。その甲斐路と言っても甲州街道最大の難所と呼ばれる笹子峠の手前。この前の宿である上花咲宿も街道はどこにでもあるような国道沿いの町並みで、あっという間に通り過ぎてしまったことを思い出します。この日通る予定の下初狩宿、中初狩宿、白野宿、阿弥陀海道宿、黒野田宿という5つの宿場も小さな宿場ばかりなので、甲州街道の中では言ってみれば繋ぎの区間JR中央本線と中央自動車道、国道20号線が笹子川の細い谷間を並んで通るあまり見どころが少ない区間ではあるのですが、完歩するためにはどうしても歩かないといけない区間 (なので、いわゆる繋ぎの区間です)。それでも旧街道歩きに慣れた目にはいろいろな発見もあるでしょうし、甲州街道歩きのエピローグという感じで余韻を楽しみながら歩くことにしました。

この日の関東地方は低気圧が日本列島を南北に挟むような形で西から東へと通過した影響で、沿岸部を中心に雨やみぞれが降り、横浜市では初雪を観測しました。私が参加したのは東京駅丸ノ内口を午前8時に出発するコースです。観光バスが東京駅丸ノ内口を出発した時点で、外は冷たい雨が降っていました。この時の気温は、横浜市で4.5℃、東京の都心で4.9℃と、関東では朝から気温がほとんど上がっていない状態でした。山梨県も前日までの予報では曇りで、ところにより雨か雪という予報でした。
  少しの雨と言っても、冷たい雨の中を10km以上も歩くのは嫌だなぁ〜って思っていたのですが、中央自動車道で八王子を過ぎたあたりでその雨もやみ、心なしか空が明るくなってきました。どうも気圧配置の影響で、北から流れ込んでくる寒気が強過ぎたのか、雨雲は日本列島の南の海上で発生しているようで、関東地方の南のほうはその雨雲の一部がかかっているものの、山沿いまではかかってきていない様子です。今回も『晴れ男のレジェンド』降臨!!…って感じです。
 12月に入り、既に秋の行楽シーズンも終わったのに加え、天気予報も芳しくなかったためか、中央自動車道の交通量はさほどでもなく、観光バスは渋滞に巻き込まれることもなく順調に西を目指します。途中、トイレ休憩に立ち寄った談合坂サービスエリア(SA)も週末の土曜日とは思えないほど閑散としていました。
周囲の山々は、既に紅葉の時期は過ぎ、ほぼ一面茶色の濃淡で彩られています。もはや寒々とした冬景色に近いですね。雨はあがっていますが、山際なので、気温はかなり低いです。34℃といったところでしょうか。防寒用にダウンのコートを羽織っていますが、これから歩くのにそれで大丈夫か?と思えてきます。
この日のスタートポイントは、【第10回】のゴールだった真木諏訪神社横の初月橋の手前。この地には1年と1ヶ月前に来ていて、景色を見ただけで【第10回】のことが思い出されます。よっしゃ! これで繋がる!! ストレッチ体操の後、甲州街道歩きのスタートです。当然のことながら、これまで甲州街道をご一緒に歩いたお馴染みの方々のお顔は1人も見受けられず、お初の方々ばかりなので、ちょっと遠慮気味に後ろを歩きます。中山道や甲州街道歩きで何度もご一緒して顔馴染みになってるウォーキングリーダー(先達)さん達からは、口々に「あれっ⁉︎ 越智さん、完歩したんじゃあなかったの⁉︎」って声を掛けられたのですが、その都度、「いやぁ〜、恥ずかしながら“準完歩”。どうしても完歩証明書が欲しくって、前日に四国の松山から戻ってきて参加しました。この区間を歩き終えたら、正真正銘、“甲州街道完歩”です!」って答えました。
 初月橋を渡ります。実はこの道路(国道20号線)は旧甲州街道ではありません。旧甲州街道はこの初月橋の手前で左に入り、JR中央本線の下を抜けて笹子川沿いに進むのですが、残念ながら現在は途中で道が無くなっているので、ここはこの国道20号線を進みます。初月橋を渡ると大きく左へ曲がり、その先にある源氏橋で笹子川を渡ります。
 その源氏橋を渡りきったところで左から合流する小道があり、これが旧甲州街道。ここから旧甲州街道に入ります。笹子川沿いに稲刈りを終えてすっかり冬モードの田圃が見えます。
 甲州街道はJR中央本線に沿って伸びています。私達が歩く横を、JR東日本の最新鋭特急電車E353系を使った「特急あずさ」が高速で通り過ぎていきます。余談ですが、この「特急あずさ」、昭和52(1977)に発売された男性デュオ「狩人」の楽曲『あずさ2号』(竜真知子さん作詞、都倉俊一さん作曲)が大ヒットしたことで、沿線利用者や鉄道ファン以外でも高い知名度を誇る看板列車です。甲州街道はJR中央本線にほぼ沿って伸びているので、歩いていると、このE353系の「特急あずさ」を頻繁に目にします。
 前方に杉並木が見えてきました。実はこのあたりも旧甲州街道ではなく、旧甲州街道はこの手前の採石工場の建物の脇から細い坂道を登り、左手の小高い山の上を通っていました。この山の名が権現山。権現山は丸山とも呼ばれていて、花咲の一里塚からちょうど1里の距離にあるので、塚はありませんが、「丸山の一里塚」と呼ばれていました。この左手上方にその丸山の一里塚があるらしいのですが、現在は採石工場の敷地になっていて、正確な位置は不明のうえ、近くまで行くこともできません。
   線路脇を少し歩き、左へカーブするとその採石工場が見えてきます。
  これが権現山(丸山)で、この山の先に丸山の一里塚跡があるらしいです。江戸の日本橋を出てから24里目の一里塚です。
 「関係者以外立入禁止」の看板が出ていますが、実はこの採石工場へ入る道路が旧甲州街道です。ここから再び旧甲州街道を歩きます。旧甲州街道の証し、石塔石仏群が道路脇に祀られています。「丸山の石仏石塔群」と呼ばれ、寛延4(1751)や嘉永7(1854)と刻まれた7基の馬頭観音や2基の巡礼塔が祀られています。
  

……(その2)に続きます。

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