2018年10月14日日曜日

甲州街道歩き【第8回:上野原→犬目】(その6)

萩野の一里塚を過ぎて、左手眼下にはのどかな集落が見えます。その向こうには雄大な富士山の姿が…。まだ山頂付近も雪は被っていませんが、次回【第9回】で甲州街道を歩くのは10月中旬。その時には山頂は白く雪を被っているかもしれませんね。


道端に長い花穂に濃いピンク色をした小さな花弁をたくさんつけた花が咲いています。夏から秋にかけて道端や花壇などでよく見掛ける花なのですが、私はこれまで名前を知りませんでした。一緒に歩いている方から「ハナトラノオ(花虎の尾)」という名前の花だということを教わりました。調べてみると、ハナトラノオはシソ科ハナトラノオ属の多年草で、北アメリカの原産。日本には大正時代に渡来したのだそうです。花期は8月初めから9月下旬で、花の色にはこのピンク色のほかに白、赤紫などもあるのだそうです。ちなみに、ハナトラノオという変わった名称ですが、花がたくさん並んで咲いて(虎の)尾のような花穂になっている状態のものを昔から「虎の尾」と呼ぶ習慣があるそうで、そこから名付けられたようです。こうやって群がって咲いていると、なかなか綺麗な花です。

街道歩きをしていると、道端や沿道の民家の庭先に咲く草花や木々に目がいくようになります。目線が低いですし、移動する速度も遅いのでそうなるのでしょうが、これこそが本当の旅というものではないかと思えてきます。人間的です。


なんとも甘い香りが漂ってくるので「はて、なんの香りだろう?」って思って妻に聞くと、葛(くず)の花の香りなんだとか。葛はツル()状の植物で木々にそのツルを巻きつけて、ピンク色をした小さな花を咲かせています。咲いている場所まで少し距離があるので撮影した写真では確認しづらいのですが、このあたりの旧甲州街道沿いにはこの時期いっぱい咲いています。

道の左側は急で深い谷になっていて、谷底を清水が流れています。


旧甲州街道の右側(北側)を沿うように中央自動車道が走っています。9月に入って空の青さが増してきた感じがします。それと同時に空が高く感じられます。まだまだ残暑が続いていますが、季節は確実に秋に向かっていますね。



左側(南側)は谷の向こうに甲州の山々が屏風のように立ち並んでいます。あの山並みはこのまま南アルプス(赤石山脈)まで続いているのでしょうね。のどかな山村の風景が続きます。せわしなく自動車が行き交う中央自動車道が間近にあるとは思えないほど、静かです。


前方に富士山が山頂付近だけ顔を覗かせています。富士山の姿が少しでも見えると、なぁ~んか嬉しくなります。


ここで県道と合流し、矢坪橋でその中央自動車道を越えます。


矢坪橋を渡って中央高速道路を横断したところに立派な石碑が立っているのですが、残念ながらなんの石碑なのかは分かりません。頭に“大乗”、末尾に“供養”と刻まれているので、どなたかの供養塔なのでしょう。こういう石碑が立っているのを見ると、中央自動車道沿いと言ってもここが旧街道だったことが分かります。


この石碑の先で県道から右手に分かれる坂道を登っていきます。


その坂の入口に「矢坪坂の古戦場跡」の説明板が立てられています。ここで享禄3(1530)に、相模国の後北条氏、北条氏綱の軍勢が甲斐国に攻め込み、これを甲斐国の甲斐国の郡内領主であった小山田越中守信宥の手勢が迎え撃つという戦さがあったところだそうです。激戦の末、小山田勢は敗れ、多数の死者が出たと伝えられています。現在、戦いを偲ぶ跡はありませんが、付近では時々、矢尻が掘り出されることがあるのだと言われています。付近は南西に切り立った崖と北面に山腹を臨み、道が入り組んでいる要害の地で、現在まで伝えられているような合戦が本当にここであったのかと思えるような狭隘な場所です。



矢坪坂の古戦場跡からは細い坂道を登っていきます。道の右側の側溝を音も立てず清水が流れ、木々が強い陽射しを遮ってくれて、ほっと一息つける涼しさを感じます。


左手眼下にはのどかな集落が見えます。


ヒガンバナが咲いています。もうそういう季節ですね。


武甕槌神社(たけみかづちじんじゃ)の鳥居と参道の階段があります。熱中症を心配して拝殿までの散策は諦めました。武甕槌命は鹿島神宮の祭神で鹿島神の名で知られ、常陸地方出身の中臣氏の氏神である春日大社にも祀られており、本来は雷神として知られています。一説によると、この矢坪の武甕槌神社は軍勢神社とも言い、先ほど通った矢坪坂の古戦場跡での戦いの際に祀られたといわれています。



これはフジ()の実でしょうか。坂道の上が藤棚になっていて、そこにたくさんの実をつけています。藤の花が見頃の時は、この藤棚の下を通るわけで、そりゃあ疲れが癒されるでしょうね。ところで、フジの実って食べられるのでしたっけ?


いよいよかつての難所、「座頭転がし」に向かって少し急な坂道をウネウネと登っていきます。


ここにも名も知れぬ石塔が立っています。こんな細い山道ですが、旧街道の香りがプンプンと漂ってくる感じですね。


かなり高度が上がってきました。左手(南側)眼下に見えるのは中央自動車道の談合坂サービスエリア(SA)です。談合坂サービスエリアは上り線と下り線で約2km離れていて、先ほど私達が昼食を摂った野田尻宿近くにあるのが下り線のサービスエリア、そしてここから見えるのが上り線のサービスエリアです。


さらに緩い坂道を黙々と登っていきます。


「矢坪金比羅神社参道」という道標が立っています。この先に金比羅神社があるのでしょうか? 香川県に関係が深い者としては「金比羅神社」という文字を見ると敏感に反応しちゃいます。


さらに林の中の坂道を黙々と登っていきます。


遠くに見える山々の風景が素敵です。


振り返って、やって来た方向をみると、相当に標高が高くなっているということが分かります。かなり登ってきました。



「座頭転ばし」と呼ばれる場所にやってきました。「座頭転ばし」は「座頭転がし」とも言います。「座頭転がし」は、中山道の碓氷峠にもありました。このあたりは沢が深いため、道は沢頭に沿って迂回していました。道幅は3尺以下の細い道でした。2人の座頭がこの難所で声を掛け合いながら通っていた時に、後ろから来る座頭が迂回せずに、声のする方へ進んだために足を滑らせて谷底に転落したことからその名が付いたとされています。たしかに、ここで転げ落ちたら、おおごとになりそうです。


「この上 天王様」と書かれた案内板が立っています。あっ、これですね。これが天王様のようです。



……(その7)に続きます。

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