2022年6月22日水曜日

鉄分補給シリーズ(その6):伊予鉄南予バス面河・石鎚土小屋線③

公開予定日2022/12/03

 

[晴れ時々ちょっと横道]第99回 鉄分補給シリーズ(その6):伊予鉄南予バス面河・石鎚土小屋線③ 


面河山岳博物館から面河渓を上流に向かって遊歩道を歩いていきます。深い淵の底が透けて見えるほど透明で、若干エメラルドグリーン色をした水が神秘的な雰囲気を醸し出しています。まさに清流、心洗われる風景です。


面河渓を流れる水は深い淵の底が透けて見えるほど透明で、若干エメラルドグリーン色をした水が神秘的な雰囲気を醸し出しています。まさに清流、心洗われる風景です。

切り立った安山岩の岩壁に沿って遊歩道が伸びています。

かつて石鎚スカイラインの建設に伴う落石により渓谷が埋まるという自然破壊が問題化したことがありました。今は時間が経ってその傷痕も“自然治癒”し、素晴らしい渓谷美が戻っています。

 

面河川で最も幅の狭い峡谷である「関門」です。関門には両側から高さ70メートルもの絶壁がそそり立っていて、文字通りの関門になっています。この関門は幅が狭い渓谷であることから、別名「猿飛岩」とも呼ばれており、大正時代に忍者ブームを起こした立川文庫のヒーロー・猿飛佐助の名前の由来となったといわれています。


面河川で最も幅の狭い峡谷である「関門」です。この関門は幅が狭い渓谷であることから、別名「猿飛岩」とも呼ばれています。

関門には両側から高さ70メートルもの絶壁がそそり立っていて、文字通りの関門になっています。


「名勝 面河渓」の碑が立っています。関門は面河渓の記念撮影の場所になっています。


関門の先に「空船橋」が見えます。空船橋は関門に架かる擬木の橋で、空に浮かぶような神秘的な雰囲気が漂う絶景ポイントです。ただ、遊歩道は落石のため、当面の間、通行止めとなっています。なので、その空船橋には行くことができませんでした。


関門の先に「空船橋」が見えます。空船橋は関門に架かる擬木の橋で、空に浮かぶような神秘的な雰囲気が漂う絶景ポイントです。

遊歩道は落石のため、この先の区間は、当面の間、通行止めとなっています。

いったん面河山岳博物館まで戻り、林道(?)を上流方向に歩いていきます。面河山岳博物館から五色河原まで自動車が通れる道路が伸びています。この道路は面河渓が石鎚山系の一帯が石鎚国定公園に指定され、面河渓観光の盛り上がりがピークに達した昭和30(1955)に開通した道路です。とは言え、クルマ1台がやっと通れるくらいの細い道路で、大型車の通行はできません。途中にこのような安山岩の硬い岩盤を掘削して通した岩肌剥き出しの小さなトンネルが3つあります。


いったん面河山岳博物館まで戻り、林道(?)を上流方向に歩いていきます。途中にこのような安山岩の硬い岩盤を掘削して通した岩肌剥き出しの小さなトンネルが3つあります。


安山岩の板状節理ですね。面河渓では第三紀に三波川変成岩帯を覆う石鎚カルデラを形成した火山活動があり、今も直径7キロメートルにわたって安山岩が分布しています。


先ほどの関門です。ここから見ると、左右両側から安山岩の板状節理が発達した高さ70メートルもの岩壁がそそり立っていて、文字通りの関門になっているのが分かります。


先ほどの関門です。左右両側に聳える安山岩の塊は高さが70メートルとあまりに大きすぎて、その全貌を写真に撮ることができません。

前方から、「ロードレーサー」と呼ばれるロードレース専用の自転車に跨った集団がやってきました。先ほど石鎚土小屋から面河渓までバスで下ってくる途中でも、ロードレーサーに跨って、自動車でも苦労するような急勾配の登り坂を登ってくる集団と幾つかすれ違いました。おそらくこの先にある面河渓の駐車場をスタートして石鎚土小屋を目指しているのでしょうね。


前方から、「ロードレーサー」と呼ばれるロードレース専用の自転車に跨った集団がやってきました。先ほど石鎚土小屋から面河渓までバスで下ってくる途中でも、ロードレーサーに跨って、自動車でも苦労するような急勾配の登り坂を登ってくる集団と幾つかすれ違いました。愛媛のサイクリストは半端じゃあないです。

面河川にかかるアーチ型の「五色橋」を渡った先に駐車場があります。橋から眺める「五色河原」の風景に早くも見入ってしまいます。


面河川にかかるアーチ型の橋、「五色橋」です。この五色橋を渡った先に駐車場があります。橋から眺める「五色河原」の風景に早くも見入ってしまいます。

絶景スポットの「五色河原」です。五色河原という地名は五色河原の中心である五色橋近くを流れる面河川が、紅葉の赤色や川底の藻の緑色、花崗岩の白色、水の青、苔の黒色といった五色に彩られることから付けられた地名です。五色河原の名の通り、周辺を取り巻く自然の色の豊かさが印象的なスポットです。


絶景スポットの「五色河原」です。五色河原という地名は五色河原の中心である五色橋近くを流れる面河川が、紅葉の赤色や川底の藻の緑色、花崗岩の白色、水の青、苔の黒色といった五色に彩られることから付けられた地名です。

五色橋のたもとに「面河国民の森」の石碑が立っています。面河渓の手つかずの自然は「未来に残したい日本の自然100選」や「水源の森百選」にも選ばれていますので、まさに国民の森ですね。

その五色河原から面河川沿いに進んですぐのところに見えるのが、断崖絶壁の「亀腹(かめばら)」です。亀腹は高さは約100メートル、幅は約200メートルというほぼ垂直に立つ巨大な花崗岩の一枚岩でできた壁で、まるで亀の腹の部分のように見えるということから亀腹と名付けられたといわれています。春には一帯にアケボノツツジが鮮やかな花色を見せてくれる、面河渓谷を代表する絶景の一つです。


断崖絶壁の「亀腹(かめばら)」です。亀腹は高さは約100メートル、幅は約200メートルというほぼ垂直に立つ巨大な花崗岩の一枚岩でできた壁で、まるで亀の腹の部分のように見えるということから亀腹と名付けられたといわれています。右端にヒトが何人か小さく写っているのですが、そのヒトとの対比で亀腹の大きさをイメージしてみてください。

その亀腹の面河川を挟んだ対岸にある渓泉亭・面河茶屋で、昼食をいただきました。いただいたのはアマゴの塩焼き(甘露煮もあり)、刺身こんにゃく、郷土料理のだんご汁などがセットになった面河定食。目前に奇岩・亀腹がそびえ立つ絶景を眺めながらの食事は格別でした。


亀腹の面河川を挟んだ対岸にある渓泉亭・面河茶屋です。

渓泉亭・面河茶屋でいただいたのは、アマゴの塩焼き(甘露煮もあり)、刺身こんにゃく、郷土料理のだんご汁などがセットになった面河定食です。

この渓泉亭・面河茶屋の店内にはここを訪れた人達が撮影した四季折々の面河渓の風景を撮影した写真が飾られています。面河渓は愛媛県随一の紅葉の名所として知られており、面河渓=秋のイメージが強いのですが、他の季節の面河渓の風景も素晴らしいものがあります。特に素晴らしいのは冬。雪や氷の中の面河渓の風景は幻想的です。渓泉亭・面河茶屋の方の話によると、冬季、石鎚スカイラインは閉鎖されるけど、渓泉亭・面河茶屋まではスノータイヤを履いていれば、ほぼチェーンなしでも自動車で来られるのだとか。さらに、意外だったのは、雨の日に撮影した写真も多くあること。雨の日にだけ現れる渓泉亭・面河茶屋の対岸にある亀腹の岩肌を流れ落ちる滝の風景も幻想的です。わざわざ雨の日に面河渓を訪れる面河通の人もいらっしゃるのだそうです。

また、渓泉亭・面河茶屋の前には登山届を出すポストが置かれています。ここから上流の向かって伸びる遊歩道は、石鎚山への登山ルートの1つで、この渓泉亭・面河茶屋はその登山口にもなっています。


渓泉亭・面河茶屋の前には登山届を出すポストが置かれています。ここから上流の向かって伸びる遊歩道は、石鎚山への登山ルートの1つで、この渓泉亭・面河茶屋はその登山口にもなっています。ポストの左横には長い棒が何本か立てかけられています。自然木のトレッキングポール(登山用の杖)ですね。ご自由にどうぞ…ということのようです。おやっ! ここにもカカシ(案山子)君がいます。

昼食も摂ったので、渓泉亭・面河茶屋をあとにして、遊歩道をさらに上流に向かって歩いていきます。鶴ヶ瀬橋を渡り、対岸の遊歩道を小鳥のさえずりを耳に、木漏れ日を浴びながら歩きます。このあたりが「蓬莱峡(ほうらいけい)」です。白くしぶきをあげる水が、澄んだ青い淵へ流れ落ちています。蓬莱渓は、時に小さな滝を作りながら流れる涼やかな風景が大変に美しい場所です。水流で角が取れた白い岩の中で、川が一層深みを増し青く見える一方で、少し向こうに視線を向けると、対照的に直線的な模様を刻む褐色の岩肌がそそり立っています。まさに渓谷美です。


鶴ヶ瀬橋を渡ります。

蓬莱峡です。白くしぶきをあげる水が、澄んだ青い淵へ流れ落ちています。

この面河川は、日本一の清流であることで有名な仁淀川の源流であることは前述のとおりです。その仁淀川の水は「仁淀ブルー」と呼ばれる緑がかった神秘的な青色(エメラルドグリーン)をしていることで有名です。今回、面河渓に行ってみて、その仁淀ブルーの正体が分かった感じがします。仁淀川の源流である面河川が流れる一帯の地質は中央構造線の南側に中央構造線に沿って細長く分布する三波川変成岩帯に属します。この三波川変成岩帯を代表する岩石は緑泥片岩。緑色をした岩石で、同じく三波川変成岩帯に属する佐田岬半島でよく見かけました。面河渓でもその緑泥片岩をよく見かけます。加えて、三波川変成岩帯では軟玉の翡翠、ネフライトもよく出てきます。おそらくこれら緑色をした岩石の成分が溶け出して神秘的な青色を生み出しているのでしょうね。

このあたりが「紅葉河原(もみじがわら)」です。ここは両岸にカエデ類の木々が茂り、秋には文字通り紅葉に彩られる面河渓を代表する絶景名所の1つです。新緑を映すような鮮やかなエメラルドグリーンの水は、川底まではっきりと見通せる透明度で豊かに流れています。


紅葉河原です。ここは両岸にカエデ類の木々が茂り、秋には文字通り紅葉に彩られる面河渓を代表する絶景名所の1つです。

遊歩道を小鳥のさえずりを耳に、木漏れ日を浴びながら歩きます。このあたり一帯はカエデを中心とした広葉樹林帯です。

新緑を映すような鮮やかなエメラルドグリーンの水は、川底まではっきりと見通せる透明度で豊かに流れています。

渓谷を流れる水の音をお届けできないのが残念です。心を洗われるような素晴らしい水音です。


「下熊渕(しもくまふち)」です。小瀧のような流れと深いエメラルドグリーンが印象的な渕です。残念ながら、樹々の葉に遮られて、写真ではうまくその美しさが撮れていません。


下熊渕です。樹々が邪魔で写真ではよく分かりませんが、小瀧のような流れと深いエメラルドグリーンが印象的な渕です。

「石鎚登山口」への方向を示す標識が立っています。ここを左に分かれる道が石鎚山への登山道で、この登山道は石鎚山の山頂までここから4時間以上もかけて登る上級者向けの登山コースです。登山道は険しい石段から始まるのですが、その石段を見上げると「石鎚神社」の鳥居が立っています。霊峰石鎚山の頂上にある石鎚神社頂上社の一の鳥居ってところなんでしょうね。


「石鎚登山口」への方向を示す標識が立っています。ここを左に分かれる道が石鎚山への登山道で、この登山道は石鎚山の山頂までここから4時間以上もかけて登る上級者向けの登山コースです。

登山道は険しい石段から始まるのですが、その石段を見上げると「石鎚神社」の鳥居が立っています。霊峰石鎚山の頂上にある石鎚神社頂上社の一の鳥居ってところなんでしょうね。


遊歩道はこの「熊渕橋」を渡ったところにある休憩所が終点です。熊渕橋から眺める上流は「水呑み獅子」と呼ばれる場所で、小さな滝が続いています。「水呑み獅子」は岩が獅子の頭のような形をしていることからついた名称だそうですが、どの岩が獅子の頭のようにも見えるのか、よく分かりません。


遊歩道はこの「熊渕橋」を渡ったところにある休憩所が終点です。

熊渕橋から眺める上流は「水呑み獅子」と呼ばれる場所で、小さな滝が続いています。

熊渕橋の下流方向は「上熊渕(かみくまふち)」と呼ばれるところで、もの凄い透明度の渕を見下ろすことができます。どんなに絵の具を混ぜてもこの色は出せないだろうと思わせるほどの渕の色で、眺めていると吸い込まれてしまいそうになります。


熊渕橋の下流方向は上熊渕と呼ばれるところで、もの凄い透明度の渕を見下ろすことができます。アマゴと思われる体長20cmほどの魚が泳いでいるのが見えます。

熊渕橋を渡った休憩所の前に注意書きの看板が立てられています。奥面河奉行の名で、「ここから先は、一人の者、子供連れの者、手持ち荷物を持つ者、登山靴を着用しない者、その他装備が十分でない者は通行を禁ず」という内容です。また「雨天のときは如何なる場合も通行を禁ず」とも書かれています。この先は「虎ヶ滝」へ向かう道なのですが、岩や倒れた多くの木々で足元が悪く、足を踏み外せば滝のある渓谷へ落ちてしまうという危険な道なのだそうです。一人だし、十分な装備をしていないので、ここで引き返すことにしました。


熊渕橋を渡った休憩所の前に注意書きの看板が立てられています。奥面河奉行の名で、「ここから先は、一人の者、子供連れの者、手持ち荷物を持つ者、登山靴を着用しない者、その他装備が十分でない者は通行を禁ず」という内容です。一人だし、十分な装備をしていないので、ここで引き返すことにしました。

途中、亀腹展望台に向かう道があったので、せっかくなのでそこに立ち寄ることにしました。渓泉亭・面河茶屋の向かいにある亀腹の上にある展望台ということで、距離も短いだろうとたかを括っていたのですが、これが大間違い。さすがに高さ100メートルの安山岩の一枚岩の上に登るというので、大きく迂回することに加えて、かなり急な勾配を登っていきます。遊歩道というよりも登山道ですね、ここは。面河渓を舐めてはいけないってことですね。


亀腹展望台に向かう遊歩道を登ります。

亀腹の上だけに断崖絶壁になっています。注意して進みます。

途中で何度も気持ちが折れそうになりながらも、なんとか亀腹展望台に到達しました。ただ、この亀腹展望台からは残念ながら樹々が生い茂っていて石鎚山の姿は見えませんでした。樹々の間から辛うじて見えたのはこの山、ニノ森です。ニノ森は石鎚山脈の堂ヶ森より石鎚山に至る縦走ルートの途中にある山で、1,930メートル。愛媛県では石鎚山に次ぐ第2の高峰で山名もこれに由来します。四国でも第4位、西日本でも第5位の高峰です。なかなか美しい山容です。秋には山頂から南側にあるこの面河渓まで紅葉前線が下ってくるそうです。


亀腹展望台から見た愛媛県では石鎚山に次ぐ第2の高峰、ニノ森(1,930メートル)です。美しい山容です。

亀腹展望台への遊歩道(登山道?)は五色橋のところに出てきます。さすがに歩き疲れたので、渓泉亭・面河茶屋に立ち寄ってソフトクリームを食べてひと休みしてから、松山に帰ることにしました。


亀腹展望台への遊歩道を五色橋まで下ってきました。

面河渓の入口にある面河バス停に、1715分発の久万営業所行きのバスが石鎚土小屋から下ってきました。これに乗車します。バスには乗客がお1人乗っておられます。朝、石鎚土小屋まで行くバスでもご一緒した男性です。石鎚山か瓶ヶ森を登ってこられたのでしょうね。


面河渓の入口にある面河バス停に、1715分発の久万営業所行きのバスが石鎚土小屋から下ってきました。これに乗車します。

バスは面河川に沿って、緩やかに下っていきます。車窓は新緑が美しく、いつまで眺めていても見飽きません。

定刻の1810分に久万営業所に到着。JR四国バスの久万高原駅まで歩いて移動し、1840分、JR松山駅行きのJR四国バス久万高原線のバスで松山に帰ることにしました。JR四国バスの久万高原バス停は自動車駅になっています。自動車駅は、旧国鉄のバス路線におけるバス停留所のうち、鉄道駅と同等の業務を執り行う施設のことです。かつて運行されていたJR四国バス(旧国鉄)の松山高知急行線の「なんごく号」もここに停車し、休憩時間を取っていました。現在、久万高原駅は久万高原町の所有になっています。


JR四国バスの久万高原駅です。久万高原線のJR松山駅行きのバスの前に、落出行きの久万高原町営バス久万落出線のバスも発車の時刻を待っています。

久万高原駅内に、このようなポスターが貼られていました。「第10回 石鎚山ヒルクライム2022。この石鎚山ヒルクライムは日本最高峰である石鎚山(1,982メートル)を舞台に、全長22.1km(計測区間18.4km・獲得標高1,100メートル・平均勾配6.0%)で登坂の速さを競い合う自転車レースです。まさに、あの石鎚スカイラインを面河渓から石鎚土小屋まで自転車で登って行くタイムレースです。ここ2年間ほど新型コロナウイルスの影響で開催が中止になっていましたが、今年(2022)は9月4()に3年ぶりに開催されるようです。石鎚スカイラインや面河渓で見かけたロードレーサーに跨って、果敢にも急勾配の登り坂に挑戦していた集団は、おそらくこの石鎚山ヒルクライムに向けての練習をしていたのでしょうね。路線バスで登ってみて、石鎚スカイラインの勾配の厳しさを実感してきたばかりなので(と言っても、私は座席に座っていただけですが…)、レースの過酷さが十分にイメージできます。こういう大会もあるので、ある程度のサイクリストの需要が見込まれるため、伊予鉄南予バスも面河線にサイクルバスを走らせているのでしょうね。


久万高原駅内に今年9月に開催予定の「第10回 石鎚山ヒルクライム2022」のポスターが貼られていました。

愛媛県では、今や“サイクリストの聖地”として全国的、いや世界的にも有名になった瀬戸内しまなみ海道を中心に、県全域を誰もが自転車に親しみ、楽しめる「愛媛マルゴト自転車道」計画が進行中で、国や県、各市町が連携して、既に全28コース、総延長約1,216kmサイクリングコースを案内するブルーラインが引かれていたり、ピクトグラムが設置されるなどの整備がなされています。この中には、「石鎚山岳輪行コース(全長146.6km)」として石鎚スカイラインや町道瓶ヶ森線(別名:UFOライン)ももちろん含まれておりますし、「伊予灘・佐田岬せとかぜ海道(全長81.8km)」として鉄分補給シリーズ(その4):伊予鉄バス八幡浜三崎特急線でご紹介した佐田岬メロディーラインも含まれています。

このところ鉄分補給シリーズと題して鉄道や路線バス、フェリー等で愛媛県内を旅しているのですが、これがメチャメチャ面白いんです。私はこのコラムを書き上げることで旅を完結させるようにしているのですが、1つの旅が終わると、さぁ〜次はどこに乗りに行こうかな?…とワクワク感が抑えきれない状態になってしまうんです。この私の中でのワクワク感がいったいどこから湧いてくるのか、これまでは上手く説明ができなかったのですが、今回路線バスで標高1,492メートルの石鎚土小屋まで行ってみて、そのワクワク感の源泉が朧げながらですが、見えてきた感じがしています。

それって、ここ愛媛は移動することが楽しいところなのだということです。「さぁ〜次はどこに乗りに行こうか?」は、「どこに行こうか?」ではなく、あくまでも「どこに“乗りに”行こうか?」なんです。すなわち、移動が楽しいってことなのです。残念ながら愛媛県内には私達をワクワクさせるような魅力的な名所旧跡が幾つもあったり、大規模なテーマパークがあったりというわけではありません。そのような人工物ではなく、むしろ、ワクワクさせるのは大自然が作り上げた美しい造形美のほうなんです。人間の力を遥かに超える圧倒的なパワーを持つ大自然が、何千万年もの気の遠くなるような長い時間をかけて作り上げた造形美には、ただただ圧倒されます。ひと言で言うと、風光明媚。瀬戸内海と宇和海、そして太平洋という雰囲気がまったく異なる3つの海に囲まれ、しかも、その海も比較的広い灘があったり、狭い海峡があったりと様々な顔を見せます。さらには、海だけでなく日本列島最大の断層帯である中央構造線の地殻活動が形成した西日本最高峰の石鎚山をはじめとした高い山々が山脈を形成して、瀬戸内海の海岸線に沿って屏風のように長く伸びています。そのような特殊な地形が県全域に広く展開されているわけです。そして県域の多くが、その大自然が生んだ造形の美しさから、2つの国立公園(瀬戸内海国立公園、足摺宇和海国立公園)1つの国定公園(石鎚国定公園)に指定されています。このほか佐田岬半島宇和海県立自然公園や肱川県立自然公園、四国カルスト県立自然公園など大規模な県立自然公園が7つもあります。四国は国立公園や国定公園、県立の自然公園が多いところではあるのですが、その数と規模(面積)、さらには多彩さという面でいうと、愛媛県が一番です。このような面白い地形のところ、日本全国で見ても、少なくとも北海道以外に私は知りません。

このような複雑な地形ですので、海の景色も山の景色も同じではなく、見る角度や距離、高さ、季節やその日の天気、さらには時間によって様々に変化します。ただでさえ美しい風景に変化が加わることで、さまざまな表情を見せ、さらに美しく見えます。だから移動そのものが楽しいのです。地球科学的な価値を持つ遺産(大地の遺産)を保全し、教育やツーリズムに活用しながら、持続可能な開発を進める地域認定プログラムのことを『ジオパーク(geopark)』と呼ぶのですが、まさに愛媛県全域がジオパークと呼べるものなのではないかと私は思っています。サイクリングよし!、バイクのツーリングよし!、鉄道や路線バス、フェリー等に乗ってのぉ〜んびりと車窓の景色を楽しむ旅もよし! 愛媛県は移動することそのものが楽しいところ、逆の言い方をすると、移動してみないと、その良さや素晴らしさが分かりにくいところなのではないか…と思い始めました。もしかすると、四国霊場八十八ヶ所巡りの遍路道もそうだったのかもしれません。八十八ヶ所の寺を巡ること以上に、その寺を巡る遍路道の途中で触れるこの地形を形成した大自然の圧倒的なパワー、すなわち“気”を全身に浴びることが、そもそもの目的だったのではないか…ということに気づきました。巡礼はお祈りではなくて、あくまでも修行なわけですから。自分の脚で歩いて巡り、その大自然が持つパワーの大きさに気づき、畏敬の念を持つことが“悟り”と呼ぶものなのかもしれません。ちなみに、四国霊場八十八ヶ所の札所のうち、愛媛県内には第40番札所の観自在寺(南宇和郡愛南町御荘)から第65番札所の三角寺(四国中央市金田町)までの26ヶ所の札所があり、これは他の3(徳島県24ヶ所、高知県16ヶ所、香川県22ヶ所)を凌いでいます。

とにかく、この愛媛県というところは、他の都道府県とは根本的に異なる特殊なところのように感じています。だから、面白いし、ワクワクさせてくれるのでしょう。

私が久万高原駅に着いた時、既に折り返しのJR松山駅行きのバスは到着していて、発車の時刻を待っていました。車体に久万高原のラッピングが施されています。四国カルストですね。ここも中央構造線の断層活動が生んだ奇跡的な地形によるもので、四国に、いや日本にこんな風景が広がっているところがあったのか!…と思わせてくれるほどのところです。是非近いうちに行ってみたいと思っています。


JR四国バスの車体に、日本三大カルストの1つ「四国カルスト」の写真がラッピングされています。


そのJR松山駅行きのバスの前に、平成29(2017)より久万高原〜落出間をJR四国バスに代わって運行するようになった久万高原町営バス「久万落出線」のバスも発車を待っています。久万高原町は平成16(2004)に上浮穴郡の久万町、面河村、美川村、柳谷村13村が合併して誕生した自治体で、久万落出線の終点の落出(おちで)は高知県との県境に近い旧柳谷村にあります。落出バス停は、久万高原町役場 柳谷支所(旧柳谷村役場)のすぐ前にあります。ここも旧自動車駅の落出駅になっています。柳谷村は面河川とその支流の上流域のV字渓谷にある山村で、面河川は高知県との県境を越えると仁淀川と名称を変えます。JR四国バスの車体にラッピングされている日本三大カルストの1つ「四国カルスト」柳谷村にあります。ちなみに、この四国カルストはこの久万高原町(旧柳谷村)を中心に西は西予市、北は喜多郡内子町、さらには南は高知県の高岡郡檮原町と津野町にかけて広大に広がるカルスト台地で、とても日本とは思えないような雄大で美しい高原の風景が楽しめるところなのですが、いかんせん遠くて、JR四国バスにラッピング広告がなされてはいても路線バスが通っていないようなところなので、自分でクルマを運転して行くしかそこに辿り着ける方法がありません。ですが、近いうちに絶対に訪れてみようと思っています。

1840分、JR松山駅行きのJR四国バス久万高原線のバスは定刻に発車しました。乗客は、私のほかには伊予鉄南予バスの久万営業所まで乗り合わせた登山客の男性と、高校生ぐらいの若い男性が2人の計4名。この日は遊歩道とは名ばかりの山道を、距離にして約18km、歩数にして25千歩ほどを歩いたので、さすがに疲れました。でも、心地良い疲れです。路線バスに往復で6時間弱も乗れたので、鉄分の補給も十分すぎるほどできたので、バッチリです。さぁ〜て、次はどこに乗りに行こうかな?

 

2022年6月20日月曜日

鉄分補給シリーズ(その6):伊予鉄南予バス面河・石鎚土小屋線②


 公開予定日2022/12/02

 

[晴れ時々ちょっと横道]第99回 鉄分補給シリーズ(その6):伊予鉄南予バス面河・石鎚土小屋線②


土小屋からは西日本最高峰の石鎚山の姿が、すぐ近くに見えます。


西日本最高峰の石鎚山です。石鎚山は最高峰に位置される天狗岳(1,982メートル)、石鎚神社山頂社のある弥山(1,974メートル)、南尖峰(1,982メートル)という3つの山の頂きを持ち、一連の総体山として石鎚山と呼ばれています。


石鎚山の最高峰・天狗岳(1,982メートル)です。目を凝らして見ると、登っている人の姿が確認できます。石鎚土小屋はそれほどの距離のところにあります。

石鎚山の山頂付近です。愛媛県道12号西条久万線(石鎚スカイライン)は、現在、土小屋と石鎚登山ロープウェイの山麓下谷駅付近の区間が未完成のままです。(国土地理院ウェブサイトの地図を加工して作成)

愛媛県西条市と久万高原町の境界に位置する石鎚山は、四国山地西部に位置する標高1,982メートルの山で、近畿地方以西を「西日本」とした場合の西日本最高峰の山として日本百名山、日本百景にも選ばれています。また、石鎚山は古くから山岳信仰(修験道)の山として知られ、日本七霊山の1つとされており、霊峰石鎚山とも呼ばれています。

石鎚山は、正確には、最高峰に位置される天狗岳(てんぐだけ、標高1,982メートル)、石鎚神社山頂社のある弥山(みせん、標高1,974メートル)、南尖峰(なんせんぽう、標高1,982メートル)という3つの山の頂きを持ち、一連の総体山として石鎚山と呼ばれています。愛媛県の象徴ともされる美しい山容を持つ山で、昭和30(1955)には石鎚山をはじめとする石鎚山脈一帯が石鎚国定公園に指定されています。

石鎚山の登山ルートは幾つもあるのですが、その中でもこの土小屋からのルートは最短ルートとされています。繰り返しになりますが、土小屋の標高は1,492メートル。石鎚山山頂までの所要時間は約2時間30分、距離は約4.6km、標高差は約500メートルです。なので、土小屋からは石鎚山山頂がすぐ近くに見えます。まさに絶景と呼ぶに相応しい、素晴らしい風景です。

土小屋の名称のとおり、立派なロッジがあります。白石ロッジです。土小屋にはこの白石ロッジのほかにも国民宿舎石鎚があります。この日もこの土小屋から多くの登山者が石鎚山山頂を目指して登って行っています。駐車場はほぼいっぱいです。まぁ、今時、路線バスでここまで来る人は少ないのでしょうね。


土小屋には名称のとおり立派なロッジがあります。白石ロッジです。

白石ロッジからみた石鎚山天狗岳です。先ほどの写真と代り映えしませんが、少し視線が高くなると、印象が少し変わってきます。

白石ロッジから面河渓方向を見たところです。ここを路線バスで登ってきたわけです。

石鎚神社 土小屋遙拝殿です。石鎚山に登る人は、まずここに参拝し、安全を祈願してから登ります。石鎚山は古くから神の宿る山、山そのものが神とされ、霊山として崇められてきました。修験者の修行の地として知られ、弘法大師空海が修行したとも伝えられています。源頼朝や豊臣家一族の信仰も篤かったのだそうです。石鎚山は今から1350年ほど前の飛鳥時代に「修行道の開祖」といわれる役子角(えんの おづの:役行者とも呼ばれる)によって開山され、石鎚山を深く信仰する修験僧・寂仙菩薩が山路を拓きました。毎年71日から10日までのお山開きの期間中は、全国各地から白装束の修験者が訪れ登拝します。そういうこともあり、石鎚山の多くの登山口には鳥居が立てられています。

日本古来の山岳信仰や信仰登山の盛んな7つの山のことを日本七霊山と呼ぶのですが、石鎚山もその七霊山の1つです。ちなみに、日本七霊山は次の7つの山のことです。

・富士山(3,776メートル:静岡県、山梨県)

・立山(3,015メートル:富山県)

・白山(2,702メートル:石川県、岐阜県)

・大峰山(1,719メートル:奈良県)

・釈迦ヶ岳(1,800メートル:奈良県)

・大山(1,729メートル:鳥取県)

そして

・石鎚山(1,982メートル:愛媛県)

です。


石鎚神社 土小屋遙拝殿です。石鎚山に登る人は、まずここに参拝し、安全を祈願してから登ります。

愛媛県道12号西条久万線(石鎚スカイライン)はこの土小屋の碑が建っているところが終点ではなくて、石鎚神社 土小屋遙拝殿の横を通って少し下った先にある国民宿舎石鎚と駐車場のところまで、もうちょっとだけ伸びています。また、石鎚山の土小屋登山口もその途中にあります。愛媛県道12号西条久万線(石鎚スカイライン)は未完成の道路で、現在のところそこが久万高原町(面河)側の完成部分の終点で、反対側、西条市側の完成部分の終点は西条市西之川の石鎚登山ロープウェイの山麓下谷駅付近にあります。


愛媛県道12号西条久万線(石鎚スカイライン)はこの土小屋の碑が建っているところが終点ではなくて、石鎚神社 土小屋遙拝殿の横を通って少し下った先にある国民宿舎石鎚と駐車場のところまで、もうちょっとだけ伸びています。また、石鎚山の土小屋登山口もその途中にあります。

地図で確認すると直線距離としては約5kmとたいした距離ではないのですが、そこには石鎚山から東隣の瓶ヶ森まで連なる山の稜線が立ちはだかっています。おそらくその稜線の鞍部になっているあたりを通す計画だったと思われますが、次に大きな問題となるのは標高差。石鎚登山ロープウェイの山麓下谷駅の標高は455メートル、この土小屋の標高は1,493メートル。その差は1,000メートル以上。この距離で約1,000メートル以上の高低差を一気に登る自動車が通行可能な道路を通そうというのは、あまりにも無謀というものです。当時の建設計画書を是非見てみたいと思います。今なら現実世界に仮想世界を重ね合わせて表示するAR(Augmented Reality;拡張現実)の技術を使えば、完成後の姿を見ることも可能と思われますから。ちなみに、石鎚登山ロープウェイの山麓下谷駅と山頂成就駅との高低差は839メートルもあります。土小屋との高低差はそれ以上です。

また、土小屋からは瓶ヶ森(かめがもり)に向かう林道も延びています。瓶ヶ森は、四国山地西部の石鎚山脈に属する山で、石鎚山のすぐ東側に位置しています。標高は1,897メートル。愛媛県では石鎚山の南西側に位置する同じ石鎚山脈の二ノ森(1,930メートル)に次ぐ第3、四国でも第5位、西日本でも第7位となる高峰です。瓶ヶ森の名称は山頂西側にある湧水の溜まる瓶壺(かめつぼ)に由来します。最高峰は女山(めやま;1,897メートル)とも呼ばれ、そこから南側になだらかな稜線を辿ると男山(おやま;1,830メートル)山頂があります。南東側に対峙する岩峰の子持権現山 (1,677メートル)とともに古来より石土信仰の対象とされ、女山山頂には蔵王権現、男山山頂には石土古権現の祠が祀られています。 瓶ヶ森を含む石鎚山脈一帯は石鎚国定公園に指定されており、なかでも瓶ヶ森は石鎚山、笹ヶ峰と共に伊予の三名山と呼ばれています。


土小屋からは瓶ヶ森に向かう林道も延びています。瓶ヶ森は標高1,897メートル。愛媛県では石鎚山、二ノ森(1,930メートル)に次いで3番目に高い山です。

その瓶ヶ森です。瓶ヶ森はなだらかな稜線を持つ美しい山容をしています。瓶ヶ森を含む石鎚山脈一帯は石鎚国定公園に指定されており、なかでも瓶ヶ森は石鎚山、笹ヶ峰と共に伊予の三名山と呼ばれています。

瓶ヶ森はなだらかな稜線を持つ山で、頂上近くまでこの瓶ヶ森林道が通っていて、自家用車やバイクで行くことができます。瓶ヶ森林道はこの土小屋から瓶ヶ森を経て、西条市と高知県高知市を結ぶ国道194号線の旧寒風山トンネル付近(高知県吾川郡いの町)まで延びる全長約27kmの林道で、いの町道瓶ヶ森線とも呼ばれています。標高1,300メートル〜1,700メートル(最高地点標高は1,690メートル)のところを縫うように走る瓶ヶ森林道は、太平洋から瀬戸内海までが一望できる大パノラマや、四国山地ならではの笹原・雲海・紅葉・霧氷など、四季折々の大自然を堪能できる素晴らしい道路で、四国カルストと並び称される「天空の道」と呼ばれています。この日も多くのライダーがこの天空の道の走行を楽しむために、自慢のバイクを駆ってやって来ていました。

ちなみに、瓶ヶ森林道は非常に私の好奇心をくすぐるような別名があって、それが『UFOライン』。このUFOライン、元々は「雄大な峰が続く道」ということで、「雄峰ライン」と呼ばれていました。ちょうどその頃に、登山者によるUFO(雄峰)ライン上で撮影された写真の中にUFO(未確認飛行物体)が写っているものがあり、地元の新聞に掲載されるなど大きな騒ぎになりました。そこから「UFOライン」と呼ばれるようになりました。噂によると、昔から近くの集落には「山のほうに大きな光が落ちる」などの言い伝えが残っており、あながちUFOが見られるというのは嘘ではないかもしれません。

石鎚山をはじめとした石鎚山脈の山々がここまで間近に見えると、それらの山々に登ってみたい衝動に駆られますが、装備を揃えていないのと、家族や周囲から登山禁止を厳しく言われているので、ここは“勇気ある撤退”です。


この先にある待機場所で30分ほど停車していたバスが、折り返し1025分発の久万営業所行きとなってやって来ました。これに乗って面河渓まで下ります。

ここまで登ってきたバスは、1025分発久万営業所行きとなって折り返します。30分ほどの散策の後、バスに乗り込むと、運転手さんから「よろしいのですか?」と訊かれました。「ウン、面河渓が目的地で、土小屋は立ち寄ってみただけだから」。私は一時期、路線バスの終点を見ることにハマっていたことがあり、この日は子供の頃、松山市駅で石鎚土小屋行きのバスを見かけて以来、ずっとどんなところなのか気になっていた終点の土小屋まで来ることができたので、大満足です。


バスは登ってきた石鎚スカイラインを下っていきます。この石鎚スカイラインにもサイクリングコースを案内するブルーラインが引かれています。この急勾配の山道を果敢にも自転車で挑戦する方たちがいらっしゃるんですね。

定刻の1025分にバスは石鎚土小屋を発車。先ほど登ってきた石鎚スカイラインを今度は下っていきます。登ってくる時はエンジンをアクセル全開で唸らせながら登って来たのですが、下りでは排気ブレーキとエアブレーキを何度も使って慎重に下っていきます。プシュープシューというエアを開放する際に出る音が何度も聞こえてきます。このバスは1998年式の日野レインボーRJ。エンジンやブレーキなどの走行機器は整備がよく行われているみたいでまったく問題はなさそうなのですが、さすがに四半世紀近く使われてきたロートル車両なので、タイヤが路面の凹凸を拾うたびに車体がガタガタと大きな音を立てます。でも、またそれがバス好きにはたまりません。


下りでは排気ブレーキとエアブレーキを何度も使って慎重に下っていきます。プシュープシューというエアを開放する際に出る音が何度も聞こえてきます。排気ブレーキとエアブレーキを使っても、結構な速さで下っていきます。


見る角度が変わると、見える山の形も変わってきます。これは石鎚山の天狗岳。かなり尖った山に見えます。


時折、樹々の間から石鎚山が見えます。見る角度が変わると、見える山の形も変わってきます。本当にいい眺めです。

石鎚土小屋からの下りも登りと同じく所要時間40分。1105分、面河バス停に到着。私はそこで下車しました。次のバスは1715分発。それまでの約6時間、面河渓をじっくり楽しむことにしました。


石鎚土小屋からの下りも登りと同じく所要時間40分。1105分、面河バス停に到着。私はそこで下車しました。

面河渓は石鎚山の南麓に広がる四国最大級の渓谷です。水質日本一に輝く清流・仁淀川の源流域約9.6kmにわたる渓谷で、周囲を四国山地石鎚山系の高峻な山々に囲まれ、入口付近での標高は約650メートル。深いV字谷となっており、早瀬、深淵、瀑布が連続し、奇岩やエメラルドグリーンに輝く清流が織りなす渓谷美が見事なところです。

昭和8(1933)、愛媛県で初めて国の名勝に指定された景勝地で、その後、石鎚国定公園、面河・四国カルスト自然休養林にも指定されています。また、その手つかずの自然は「未来に残したい日本の自然100選」や「水源の森百選」にも選ばれています。名所には関門、相思渓、五色河原、亀腹、蓬莱峡、紅葉河原、御来光の滝などがあり、愛媛県随一の紅葉の名所でもあります。ちなみに、久万高原町中心部から面河渓に通じる愛媛県道12号西条久万線は、通称「もみじライン」と呼ばれているそうです。

また、面河渓には石鎚山への裏参道登山口があり、面河山(1,525メートル)、愛大石鎚小屋を経て石鎚山頂に至る登山ルートがあります。しかし石鎚スカイラインの開通により、近年この登山道を利用する人はめっきり少なくなっているようです。

面河渓の入口には大きな鳥居が建っています。石鎚山を中心としたこの一帯は国定公園に指定されており、面河渓もこれに含まれます。また、面河渓は石鎚山を神体山とする石鎚神社へ向かう参道の入口でもあるため、建てられたもので、建てられたのは1982年。石鎚山山頂の標高1,982メートルに因んでのことのようです。その大きな鳥居をくぐると、面河渓の入り口を示すゲートが出迎えてくれます。


面河渓の入口には大きな鳥居が建っています。建てられたのは1982年。石鎚山山頂の標高1,982メートルに因んでのことのようです。

大きな鳥居をくぐると、面河渓の入り口を示すゲートが出迎えてくれます。

面河山です。面河山は石鎚山頂に至る登山ルートの途中にある山です。


面河山(1,525メートル)です。面河山は面河渓から石鎚山頂に至る登山ルートの途中にある山です。

面河渓の入口、面河バス停の前に立っている案内図で散策ルートをチェック。面河渓のウォーキングコースは複数あるようなのですが、代表的なものは「面河本流コース」と「鉄砲石川コース」の2つ。今回はその2つのうち見どころ満載で定番の「面河本流コース」を歩いてみることにしました。

まずは、面河バス停のすぐ近くにある面河山岳博物館を訪ねました。面河山岳博物館は四国唯一の山の博物館で、約3,000点の資料からなる常設展示では、石鎚山や面河渓の成り立ちや石鎚山系に生息する動植物、岩石、登山の歴史、石鎚山岳信仰などを、ジオラマや標本などの豊富な資料使って常設展や特別展で紹介しています。


面河渓の入口、面河バス停の前に立っている案内図で散策ルートをチェックします。今回は見どころ満載で定番の「面河本流コース」を歩いてみることにしました。

石鎚山や面河渓の成り立ちや石鎚山系に生息する動植物、岩石、登山の歴史、石鎚山岳信仰などを展示してある面河山岳博物館です。

これは石鎚山や面河渓といった石鎚山系の岩石の標本です。四国の地形の成り立ちを考えるうえで、メチャメチャ興味あります。


これは石鎚山や面河渓といった石鎚山系の岩石の標本です。

これは石鎚山系の成り立ちに関する展示です。石鎚山は約1,500万年前ごろまで、火山として活動していました。この原始・石鎚山はもともとは富士山のような形をした成層火山であったのですが、その後、火山帯の内部が空洞化したことで、陥没し、凹状のカルデラが生まれました。このカルデラも火砕流が堆積して埋められ、そして中央構造線の活動で隆起が進みました。ちなみに、このカルデラは日本で一般的に知られているじょうご型カルデラではなく、地表に生じた線状の割れ目(もちろん、中央構造線の断層活動が形成した割れ目のことです)から大量のマグマが噴出される噴火、いわゆる“割れ目噴火”により形成された“バイアス式カルデラ”とされています。


石鎚山のジオラマ展示です。これは面河渓とは反対側、瀬戸内海側の西条市の石鎚登山ロープウェイ側から見た石鎚山です。この断崖絶壁の石鎚山の風景のほうが有名ですよね。

これは石鎚山系の成り立ちに関する展示です。意外なことに、石鎚山は約1,500万年前ごろまで、火山として活動していました。その火山の外輪山の一部が現在の石鎚山。面河渓も火山活動が生んだ渓谷なんです。

石鎚山の山体は中央構造線のすぐ南側を東西に細長く広がる三波川変成岩帯を覆う、安山岩から形成されています。この安山岩は山頂の南側の面河渓を中心とする直径約7 kmの範囲に分布しており、このあたりにカルデラを形成していたことが分かっています。この火山活動は約1,500万年前ごろに終わりを告げ、その後は火山としての活動はなされておりません。約2万年前の最終氷期(いわゆる氷河期)にこのカルデラの外輪山のあたりに地中の水分が凍結や融解を繰り返す周氷河作用がはたらき、岩石が砕かれ現在のような石鎚山のダイナミックな地形の岩稜の山が形成されたと推定されています。改めて地形図を眺めてみると、確かにカルデラと思える地形が確認できます。面河渓もこのように気が遠くなるような長い歳月をかけて原始・石鎚山のカルデラが浸食して誕生したものです。


石鎚山周辺の地層マップです。

石鎚山周辺の地質図です。なるほどぉ~。こりゃあ火山だわ。

これは石鎚山岳信仰の展示。今年92歳になる母の話によると、私の母方の祖父は、毎年このような修験者(山伏)の格好をして石鎚山中に入り、しばらく山に籠って帰ってこなかったそうです。母方の祖父の生家は堂ヶ森経由で石鎚山に至る西条市丹原町鞍瀬の保井野登山口に近いところにあり、熱心な石鎚山岳信仰の信者(修験者)だったようです。亡くなって随分と経ちますが、祖父が石鎚山のことを「おやま」と言っていた記憶は残っています。


これは石鎚山岳信仰の展示です。今でも毎年71日から10日までのお山開きの期間中は、全国各地からこのような白装束をした修験者の皆さんが石鎚山を訪れ、登拝します。

この日、面河山岳博物館では、令和4年度春の企画展として、「面河渓に行こう!~動画でたどる昭和の面河渓観光~」の展示が行われていました。


令和4年度春の企画展「面河渓に行こう!~動画でたどる昭和の面河渓観光~」の展示です。昭和45(1970)の石鎚スカイラインの開通直後、石鎚山土小屋や面河渓はメチャメチャな賑わいを見せていました。

案内パンフレットによると……、昭和8年に国の名勝に指定された面河渓は、その後の道路整備により、奥地まで車でのアクセスが可能となりました。昭和30(1955)には面河渓を含めた石鎚山系の一帯が石鎚国定公園に指定され、石鎚スカイラインの開通を経て、面河渓観光の盛り上がりはピークに達しました。四国中、そして関西一円で景勝地としての知名度の高まりは、観光パンフレットなどの印刷物だけでなく、ニュース等の映像も大きな役割を担っていたと考えられます。この展示では昭和の時代の観光の空気を感じられる当時の動画資料と観光案内印刷物を展示し、これまでの観光振興の歩みを紹介するとともに、今後の面河渓観光の目指す先を考えていきたいと思っています……となっています。

私が両親に連れられて紅葉を観に面河渓を訪れたのもその頃で、あの時はあまりの人の多さに圧倒されて、とにかく人が多かったことくらいしか記憶に残っていません()。実は面河渓を訪れるのはそれ以来のことです。

面河山岳博物館の建物の前に『猿飛佐助の碑』が建っています。真田十勇士に数えられる忍者”猿飛佐助”は、大正期の大衆小説で活躍したヒーローとしてあまりに有名ですが、実はこの愛媛県の面河渓が発祥の地であることはほとんど知られていません。佐助の生みの親は、愛媛県今治市出身の作家、故池田蘭子さん。旧面河村時代に、面河渓谷入り口の猿飛谷(面河山岳博物館から300mほど遊歩道を進んだ場所にある谷)を思いながら佐助を創作したという経緯が立川文庫の資料から確認され、石鎚国定公園指定40周年記念にあわせて、この記念碑が建立されました。


面河山岳博物館の建物の前に建つ『猿飛佐助の碑』です。真田十勇士に数えられる忍者”猿飛佐助”は、大正期の大衆小説で活躍したヒーローとしてあまりに有名ですが、実はこの愛媛県の面河渓が発祥の地であることはほとんど知られていません。

鉄分補給シリーズ(その6):伊予鉄南予バス面河・石鎚土小屋線③は、明後日(6月22日)に掲載します。