2022年6月20日月曜日

鉄分補給シリーズ(その6):伊予鉄南予バス面河・石鎚土小屋線②


 公開予定日2022/12/02

 

[晴れ時々ちょっと横道]第99回 鉄分補給シリーズ(その6):伊予鉄南予バス面河・石鎚土小屋線②


土小屋からは西日本最高峰の石鎚山の姿が、すぐ近くに見えます。


西日本最高峰の石鎚山です。石鎚山は最高峰に位置される天狗岳(1,982メートル)、石鎚神社山頂社のある弥山(1,974メートル)、南尖峰(1,982メートル)という3つの山の頂きを持ち、一連の総体山として石鎚山と呼ばれています。


石鎚山の最高峰・天狗岳(1,982メートル)です。目を凝らして見ると、登っている人の姿が確認できます。石鎚土小屋はそれほどの距離のところにあります。

石鎚山の山頂付近です。愛媛県道12号西条久万線(石鎚スカイライン)は、現在、土小屋と石鎚登山ロープウェイの山麓下谷駅付近の区間が未完成のままです。(国土地理院ウェブサイトの地図を加工して作成)

愛媛県西条市と久万高原町の境界に位置する石鎚山は、四国山地西部に位置する標高1,982メートルの山で、近畿地方以西を「西日本」とした場合の西日本最高峰の山として日本百名山、日本百景にも選ばれています。また、石鎚山は古くから山岳信仰(修験道)の山として知られ、日本七霊山の1つとされており、霊峰石鎚山とも呼ばれています。

石鎚山は、正確には、最高峰に位置される天狗岳(てんぐだけ、標高1,982メートル)、石鎚神社山頂社のある弥山(みせん、標高1,974メートル)、南尖峰(なんせんぽう、標高1,982メートル)という3つの山の頂きを持ち、一連の総体山として石鎚山と呼ばれています。愛媛県の象徴ともされる美しい山容を持つ山で、昭和30(1955)には石鎚山をはじめとする石鎚山脈一帯が石鎚国定公園に指定されています。

石鎚山の登山ルートは幾つもあるのですが、その中でもこの土小屋からのルートは最短ルートとされています。繰り返しになりますが、土小屋の標高は1,492メートル。石鎚山山頂までの所要時間は約2時間30分、距離は約4.6km、標高差は約500メートルです。なので、土小屋からは石鎚山山頂がすぐ近くに見えます。まさに絶景と呼ぶに相応しい、素晴らしい風景です。

土小屋の名称のとおり、立派なロッジがあります。白石ロッジです。土小屋にはこの白石ロッジのほかにも国民宿舎石鎚があります。この日もこの土小屋から多くの登山者が石鎚山山頂を目指して登って行っています。駐車場はほぼいっぱいです。まぁ、今時、路線バスでここまで来る人は少ないのでしょうね。


土小屋には名称のとおり立派なロッジがあります。白石ロッジです。

白石ロッジからみた石鎚山天狗岳です。先ほどの写真と代り映えしませんが、少し視線が高くなると、印象が少し変わってきます。

白石ロッジから面河渓方向を見たところです。ここを路線バスで登ってきたわけです。

石鎚神社 土小屋遙拝殿です。石鎚山に登る人は、まずここに参拝し、安全を祈願してから登ります。石鎚山は古くから神の宿る山、山そのものが神とされ、霊山として崇められてきました。修験者の修行の地として知られ、弘法大師空海が修行したとも伝えられています。源頼朝や豊臣家一族の信仰も篤かったのだそうです。石鎚山は今から1350年ほど前の飛鳥時代に「修行道の開祖」といわれる役子角(えんの おづの:役行者とも呼ばれる)によって開山され、石鎚山を深く信仰する修験僧・寂仙菩薩が山路を拓きました。毎年71日から10日までのお山開きの期間中は、全国各地から白装束の修験者が訪れ登拝します。そういうこともあり、石鎚山の多くの登山口には鳥居が立てられています。

日本古来の山岳信仰や信仰登山の盛んな7つの山のことを日本七霊山と呼ぶのですが、石鎚山もその七霊山の1つです。ちなみに、日本七霊山は次の7つの山のことです。

・富士山(3,776メートル:静岡県、山梨県)

・立山(3,015メートル:富山県)

・白山(2,702メートル:石川県、岐阜県)

・大峰山(1,719メートル:奈良県)

・釈迦ヶ岳(1,800メートル:奈良県)

・大山(1,729メートル:鳥取県)

そして

・石鎚山(1,982メートル:愛媛県)

です。


石鎚神社 土小屋遙拝殿です。石鎚山に登る人は、まずここに参拝し、安全を祈願してから登ります。

愛媛県道12号西条久万線(石鎚スカイライン)はこの土小屋の碑が建っているところが終点ではなくて、石鎚神社 土小屋遙拝殿の横を通って少し下った先にある国民宿舎石鎚と駐車場のところまで、もうちょっとだけ伸びています。また、石鎚山の土小屋登山口もその途中にあります。愛媛県道12号西条久万線(石鎚スカイライン)は未完成の道路で、現在のところそこが久万高原町(面河)側の完成部分の終点で、反対側、西条市側の完成部分の終点は西条市西之川の石鎚登山ロープウェイの山麓下谷駅付近にあります。


愛媛県道12号西条久万線(石鎚スカイライン)はこの土小屋の碑が建っているところが終点ではなくて、石鎚神社 土小屋遙拝殿の横を通って少し下った先にある国民宿舎石鎚と駐車場のところまで、もうちょっとだけ伸びています。また、石鎚山の土小屋登山口もその途中にあります。

地図で確認すると直線距離としては約5kmとたいした距離ではないのですが、そこには石鎚山から東隣の瓶ヶ森まで連なる山の稜線が立ちはだかっています。おそらくその稜線の鞍部になっているあたりを通す計画だったと思われますが、次に大きな問題となるのは標高差。石鎚登山ロープウェイの山麓下谷駅の標高は455メートル、この土小屋の標高は1,493メートル。その差は1,000メートル以上。この距離で約1,000メートル以上の高低差を一気に登る自動車が通行可能な道路を通そうというのは、あまりにも無謀というものです。当時の建設計画書を是非見てみたいと思います。今なら現実世界に仮想世界を重ね合わせて表示するAR(Augmented Reality;拡張現実)の技術を使えば、完成後の姿を見ることも可能と思われますから。ちなみに、石鎚登山ロープウェイの山麓下谷駅と山頂成就駅との高低差は839メートルもあります。土小屋との高低差はそれ以上です。

また、土小屋からは瓶ヶ森(かめがもり)に向かう林道も延びています。瓶ヶ森は、四国山地西部の石鎚山脈に属する山で、石鎚山のすぐ東側に位置しています。標高は1,897メートル。愛媛県では石鎚山の南西側に位置する同じ石鎚山脈の二ノ森(1,930メートル)に次ぐ第3、四国でも第5位、西日本でも第7位となる高峰です。瓶ヶ森の名称は山頂西側にある湧水の溜まる瓶壺(かめつぼ)に由来します。最高峰は女山(めやま;1,897メートル)とも呼ばれ、そこから南側になだらかな稜線を辿ると男山(おやま;1,830メートル)山頂があります。南東側に対峙する岩峰の子持権現山 (1,677メートル)とともに古来より石土信仰の対象とされ、女山山頂には蔵王権現、男山山頂には石土古権現の祠が祀られています。 瓶ヶ森を含む石鎚山脈一帯は石鎚国定公園に指定されており、なかでも瓶ヶ森は石鎚山、笹ヶ峰と共に伊予の三名山と呼ばれています。


土小屋からは瓶ヶ森に向かう林道も延びています。瓶ヶ森は標高1,897メートル。愛媛県では石鎚山、二ノ森(1,930メートル)に次いで3番目に高い山です。

その瓶ヶ森です。瓶ヶ森はなだらかな稜線を持つ美しい山容をしています。瓶ヶ森を含む石鎚山脈一帯は石鎚国定公園に指定されており、なかでも瓶ヶ森は石鎚山、笹ヶ峰と共に伊予の三名山と呼ばれています。

瓶ヶ森はなだらかな稜線を持つ山で、頂上近くまでこの瓶ヶ森林道が通っていて、自家用車やバイクで行くことができます。瓶ヶ森林道はこの土小屋から瓶ヶ森を経て、西条市と高知県高知市を結ぶ国道194号線の旧寒風山トンネル付近(高知県吾川郡いの町)まで延びる全長約27kmの林道で、いの町道瓶ヶ森線とも呼ばれています。標高1,300メートル〜1,700メートル(最高地点標高は1,690メートル)のところを縫うように走る瓶ヶ森林道は、太平洋から瀬戸内海までが一望できる大パノラマや、四国山地ならではの笹原・雲海・紅葉・霧氷など、四季折々の大自然を堪能できる素晴らしい道路で、四国カルストと並び称される「天空の道」と呼ばれています。この日も多くのライダーがこの天空の道の走行を楽しむために、自慢のバイクを駆ってやって来ていました。

ちなみに、瓶ヶ森林道は非常に私の好奇心をくすぐるような別名があって、それが『UFOライン』。このUFOライン、元々は「雄大な峰が続く道」ということで、「雄峰ライン」と呼ばれていました。ちょうどその頃に、登山者によるUFO(雄峰)ライン上で撮影された写真の中にUFO(未確認飛行物体)が写っているものがあり、地元の新聞に掲載されるなど大きな騒ぎになりました。そこから「UFOライン」と呼ばれるようになりました。噂によると、昔から近くの集落には「山のほうに大きな光が落ちる」などの言い伝えが残っており、あながちUFOが見られるというのは嘘ではないかもしれません。

石鎚山をはじめとした石鎚山脈の山々がここまで間近に見えると、それらの山々に登ってみたい衝動に駆られますが、装備を揃えていないのと、家族や周囲から登山禁止を厳しく言われているので、ここは“勇気ある撤退”です。


この先にある待機場所で30分ほど停車していたバスが、折り返し1025分発の久万営業所行きとなってやって来ました。これに乗って面河渓まで下ります。

ここまで登ってきたバスは、1025分発久万営業所行きとなって折り返します。30分ほどの散策の後、バスに乗り込むと、運転手さんから「よろしいのですか?」と訊かれました。「ウン、面河渓が目的地で、土小屋は立ち寄ってみただけだから」。私は一時期、路線バスの終点を見ることにハマっていたことがあり、この日は子供の頃、松山市駅で石鎚土小屋行きのバスを見かけて以来、ずっとどんなところなのか気になっていた終点の土小屋まで来ることができたので、大満足です。


バスは登ってきた石鎚スカイラインを下っていきます。この石鎚スカイラインにもサイクリングコースを案内するブルーラインが引かれています。この急勾配の山道を果敢にも自転車で挑戦する方たちがいらっしゃるんですね。

定刻の1025分にバスは石鎚土小屋を発車。先ほど登ってきた石鎚スカイラインを今度は下っていきます。登ってくる時はエンジンをアクセル全開で唸らせながら登って来たのですが、下りでは排気ブレーキとエアブレーキを何度も使って慎重に下っていきます。プシュープシューというエアを開放する際に出る音が何度も聞こえてきます。このバスは1998年式の日野レインボーRJ。エンジンやブレーキなどの走行機器は整備がよく行われているみたいでまったく問題はなさそうなのですが、さすがに四半世紀近く使われてきたロートル車両なので、タイヤが路面の凹凸を拾うたびに車体がガタガタと大きな音を立てます。でも、またそれがバス好きにはたまりません。


下りでは排気ブレーキとエアブレーキを何度も使って慎重に下っていきます。プシュープシューというエアを開放する際に出る音が何度も聞こえてきます。排気ブレーキとエアブレーキを使っても、結構な速さで下っていきます。


見る角度が変わると、見える山の形も変わってきます。これは石鎚山の天狗岳。かなり尖った山に見えます。


時折、樹々の間から石鎚山が見えます。見る角度が変わると、見える山の形も変わってきます。本当にいい眺めです。

石鎚土小屋からの下りも登りと同じく所要時間40分。1105分、面河バス停に到着。私はそこで下車しました。次のバスは1715分発。それまでの約6時間、面河渓をじっくり楽しむことにしました。


石鎚土小屋からの下りも登りと同じく所要時間40分。1105分、面河バス停に到着。私はそこで下車しました。

面河渓は石鎚山の南麓に広がる四国最大級の渓谷です。水質日本一に輝く清流・仁淀川の源流域約9.6kmにわたる渓谷で、周囲を四国山地石鎚山系の高峻な山々に囲まれ、入口付近での標高は約650メートル。深いV字谷となっており、早瀬、深淵、瀑布が連続し、奇岩やエメラルドグリーンに輝く清流が織りなす渓谷美が見事なところです。

昭和8(1933)、愛媛県で初めて国の名勝に指定された景勝地で、その後、石鎚国定公園、面河・四国カルスト自然休養林にも指定されています。また、その手つかずの自然は「未来に残したい日本の自然100選」や「水源の森百選」にも選ばれています。名所には関門、相思渓、五色河原、亀腹、蓬莱峡、紅葉河原、御来光の滝などがあり、愛媛県随一の紅葉の名所でもあります。ちなみに、久万高原町中心部から面河渓に通じる愛媛県道12号西条久万線は、通称「もみじライン」と呼ばれているそうです。

また、面河渓には石鎚山への裏参道登山口があり、面河山(1,525メートル)、愛大石鎚小屋を経て石鎚山頂に至る登山ルートがあります。しかし石鎚スカイラインの開通により、近年この登山道を利用する人はめっきり少なくなっているようです。

面河渓の入口には大きな鳥居が建っています。石鎚山を中心としたこの一帯は国定公園に指定されており、面河渓もこれに含まれます。また、面河渓は石鎚山を神体山とする石鎚神社へ向かう参道の入口でもあるため、建てられたもので、建てられたのは1982年。石鎚山山頂の標高1,982メートルに因んでのことのようです。その大きな鳥居をくぐると、面河渓の入り口を示すゲートが出迎えてくれます。


面河渓の入口には大きな鳥居が建っています。建てられたのは1982年。石鎚山山頂の標高1,982メートルに因んでのことのようです。

大きな鳥居をくぐると、面河渓の入り口を示すゲートが出迎えてくれます。

面河山です。面河山は石鎚山頂に至る登山ルートの途中にある山です。


面河山(1,525メートル)です。面河山は面河渓から石鎚山頂に至る登山ルートの途中にある山です。

面河渓の入口、面河バス停の前に立っている案内図で散策ルートをチェック。面河渓のウォーキングコースは複数あるようなのですが、代表的なものは「面河本流コース」と「鉄砲石川コース」の2つ。今回はその2つのうち見どころ満載で定番の「面河本流コース」を歩いてみることにしました。

まずは、面河バス停のすぐ近くにある面河山岳博物館を訪ねました。面河山岳博物館は四国唯一の山の博物館で、約3,000点の資料からなる常設展示では、石鎚山や面河渓の成り立ちや石鎚山系に生息する動植物、岩石、登山の歴史、石鎚山岳信仰などを、ジオラマや標本などの豊富な資料使って常設展や特別展で紹介しています。


面河渓の入口、面河バス停の前に立っている案内図で散策ルートをチェックします。今回は見どころ満載で定番の「面河本流コース」を歩いてみることにしました。

石鎚山や面河渓の成り立ちや石鎚山系に生息する動植物、岩石、登山の歴史、石鎚山岳信仰などを展示してある面河山岳博物館です。

これは石鎚山や面河渓といった石鎚山系の岩石の標本です。四国の地形の成り立ちを考えるうえで、メチャメチャ興味あります。


これは石鎚山や面河渓といった石鎚山系の岩石の標本です。

これは石鎚山系の成り立ちに関する展示です。石鎚山は約1,500万年前ごろまで、火山として活動していました。この原始・石鎚山はもともとは富士山のような形をした成層火山であったのですが、その後、火山帯の内部が空洞化したことで、陥没し、凹状のカルデラが生まれました。このカルデラも火砕流が堆積して埋められ、そして中央構造線の活動で隆起が進みました。ちなみに、このカルデラは日本で一般的に知られているじょうご型カルデラではなく、地表に生じた線状の割れ目(もちろん、中央構造線の断層活動が形成した割れ目のことです)から大量のマグマが噴出される噴火、いわゆる“割れ目噴火”により形成された“バイアス式カルデラ”とされています。


石鎚山のジオラマ展示です。これは面河渓とは反対側、瀬戸内海側の西条市の石鎚登山ロープウェイ側から見た石鎚山です。この断崖絶壁の石鎚山の風景のほうが有名ですよね。

これは石鎚山系の成り立ちに関する展示です。意外なことに、石鎚山は約1,500万年前ごろまで、火山として活動していました。その火山の外輪山の一部が現在の石鎚山。面河渓も火山活動が生んだ渓谷なんです。

石鎚山の山体は中央構造線のすぐ南側を東西に細長く広がる三波川変成岩帯を覆う、安山岩から形成されています。この安山岩は山頂の南側の面河渓を中心とする直径約7 kmの範囲に分布しており、このあたりにカルデラを形成していたことが分かっています。この火山活動は約1,500万年前ごろに終わりを告げ、その後は火山としての活動はなされておりません。約2万年前の最終氷期(いわゆる氷河期)にこのカルデラの外輪山のあたりに地中の水分が凍結や融解を繰り返す周氷河作用がはたらき、岩石が砕かれ現在のような石鎚山のダイナミックな地形の岩稜の山が形成されたと推定されています。改めて地形図を眺めてみると、確かにカルデラと思える地形が確認できます。面河渓もこのように気が遠くなるような長い歳月をかけて原始・石鎚山のカルデラが浸食して誕生したものです。


石鎚山周辺の地層マップです。

石鎚山周辺の地質図です。なるほどぉ~。こりゃあ火山だわ。

これは石鎚山岳信仰の展示。今年92歳になる母の話によると、私の母方の祖父は、毎年このような修験者(山伏)の格好をして石鎚山中に入り、しばらく山に籠って帰ってこなかったそうです。母方の祖父の生家は堂ヶ森経由で石鎚山に至る西条市丹原町鞍瀬の保井野登山口に近いところにあり、熱心な石鎚山岳信仰の信者(修験者)だったようです。亡くなって随分と経ちますが、祖父が石鎚山のことを「おやま」と言っていた記憶は残っています。


これは石鎚山岳信仰の展示です。今でも毎年71日から10日までのお山開きの期間中は、全国各地からこのような白装束をした修験者の皆さんが石鎚山を訪れ、登拝します。

この日、面河山岳博物館では、令和4年度春の企画展として、「面河渓に行こう!~動画でたどる昭和の面河渓観光~」の展示が行われていました。


令和4年度春の企画展「面河渓に行こう!~動画でたどる昭和の面河渓観光~」の展示です。昭和45(1970)の石鎚スカイラインの開通直後、石鎚山土小屋や面河渓はメチャメチャな賑わいを見せていました。

案内パンフレットによると……、昭和8年に国の名勝に指定された面河渓は、その後の道路整備により、奥地まで車でのアクセスが可能となりました。昭和30(1955)には面河渓を含めた石鎚山系の一帯が石鎚国定公園に指定され、石鎚スカイラインの開通を経て、面河渓観光の盛り上がりはピークに達しました。四国中、そして関西一円で景勝地としての知名度の高まりは、観光パンフレットなどの印刷物だけでなく、ニュース等の映像も大きな役割を担っていたと考えられます。この展示では昭和の時代の観光の空気を感じられる当時の動画資料と観光案内印刷物を展示し、これまでの観光振興の歩みを紹介するとともに、今後の面河渓観光の目指す先を考えていきたいと思っています……となっています。

私が両親に連れられて紅葉を観に面河渓を訪れたのもその頃で、あの時はあまりの人の多さに圧倒されて、とにかく人が多かったことくらいしか記憶に残っていません()。実は面河渓を訪れるのはそれ以来のことです。

面河山岳博物館の建物の前に『猿飛佐助の碑』が建っています。真田十勇士に数えられる忍者”猿飛佐助”は、大正期の大衆小説で活躍したヒーローとしてあまりに有名ですが、実はこの愛媛県の面河渓が発祥の地であることはほとんど知られていません。佐助の生みの親は、愛媛県今治市出身の作家、故池田蘭子さん。旧面河村時代に、面河渓谷入り口の猿飛谷(面河山岳博物館から300mほど遊歩道を進んだ場所にある谷)を思いながら佐助を創作したという経緯が立川文庫の資料から確認され、石鎚国定公園指定40周年記念にあわせて、この記念碑が建立されました。


面河山岳博物館の建物の前に建つ『猿飛佐助の碑』です。真田十勇士に数えられる忍者”猿飛佐助”は、大正期の大衆小説で活躍したヒーローとしてあまりに有名ですが、実はこの愛媛県の面河渓が発祥の地であることはほとんど知られていません。

鉄分補給シリーズ(その6):伊予鉄南予バス面河・石鎚土小屋線③は、明後日(6月22日)に掲載します。

 

 

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