2020年12月20日日曜日

中山道六十九次・街道歩き【第16回: 長久保→和田峠】(その1)

甲州街道の完歩達成以来、新型コロナウイルスの感染拡大の影響もあって長らく自粛(中断)していた街道歩きを再開しました。今回歩いたのは中山道。『中山道六十九次』街道歩きは4年前の6月に江戸の日本橋からスタートして、ちょうど2年前の11月に木曽の宮ノ越宿(長野県)まで到達したところで一旦中断し、その後、甲州街道踏破に軸足を移した経緯があるので、私にとっては久々の中山道です。

この中山道、京の三条大橋までのちょうど半分のところに位置する木曽の宮ノ越宿まで私は歩いたことになってはいるのですが、実は1区間だけ歩いていない区間があって、私の中で完全には繋がっていないのです。その区間というのが今回挑戦したコース。江戸の日本橋から数えて27番目の宿場・長久保宿を出発し、次の宿場である和田宿を経て、中山道最大の難所と言われる和田峠の頂上(サミット)付近の東餅屋ドライブインまで歩く区間です。ここを1122()23()12日で歩いてきました。ちょうど3年前にここを歩く予定だったのですが、その1週間前に不慮の事故で(芝生で転んで)左手首を骨折し、無念のキャンセルをした区間での再チャレンジです。

ゴールの和田峠は旧中山道のみならず五街道最高地点で、その頂上(サミット)の標高は1,531メートル。スタート地点の長久保宿の標高が約750メートルで、長久保宿を出て、いったん標高が680メートルあたりまで下り、そこを底にそこからは基本ずっと登りになります。なので、2日間で約850メートルを登ることになるかなりハードなコースです。街道歩きの再開がいきなり五街道最高地点である中山道・和田峠への登りというのはいささかチャレンジングなところはあるのですが、この和田峠の登りに備えてこのところ毎日1万歩前後の速歩ウォーキングを行って準備をしてきましたのでまったく問題ありません。甲州街道踏破で履き潰した街道歩き用のトレッキングシューズも新しい物に買い替え、準備は万全です。『晴れ男のレジェンド』は今回も健在で、最新の天気予報によると前線の通過があるものの、2日間とも昼間はよく晴れて、雨の心配はまずありません。気温もこの時期にしては高めで、気象条件もまったく問題ありません。

 今回のツアーの集合場所はJR東京駅丸の内口の丸ビル前です。中山道はこれまで基本的にさいたま新都心駅発のツアーに参加していたのですが、日程の関係で今回は東京駅丸の内口出発のツアーを選ばせていただきました。以前、中山道を一緒に歩いた顔馴染みの人達は既に京の三条大橋まで到達していらっしゃいますし、東京駅丸の内口発ということで今回は初対面の皆さん方との街道歩きになります。

まずは自宅最寄りの与野本町駅からJR埼京線の電車で赤羽へ。おっ!!、やって来たのは相模鉄道(相鉄)線乗り入れの海老名行きの電車。相鉄線とJR埼京線が相互乗り入れを開始して1年が経過しましたが、海老名行きの電車が武蔵浦和駅以北を走るのは日に数本だけなので、その貴重な1本に偶然に乗ることができました。と言っても、車両はJR埼京線ではお馴染みのJR東日本E2337000番台の電車なのですが、車内アナウンスで「相鉄線乗り入れ海老名行き」と流れるのが新鮮で、鉄ちゃんとしてはラッキー!!って感じです。今回の街道歩き、幸先が良さそうです。赤羽駅からは上野東京ラインの電車に乗り換えて東京駅へ。

東京駅丸の内口の丸ビルの周囲には様々な旅行会社が企画したツアーの観光バスが停車しています。新型コロナウイルスの感染拡大による外出自粛が続いた影響で、旅行会社のツアーも軒並み中止となっていましたが、GO TO トラベルの効果からか、徐々にツアーも再開されているようです。東京駅丸の内口から皇居(旧江戸城和田倉門)へと続く行幸通りのイチョウ(銀杏)も黄色く色づいて綺麗です。

午前8時ちょうどに東京駅丸の内口を出発。観光バスは首都高速5号線を走り、美女木JCTから東京外環自動車道、大泉JCTから関越自動車道に入ります。右手に自宅近くのさいたま新都心の高層ビル群が見えます。ここ2年間ほど甲州街道を歩いていたので中央自動車道利用ばかりだったのですが、久しぶりの関越自動車道を使っての街道歩きです。懐かしいという以上に新鮮な感じさえします。

上里SAで最初のトイレ休憩。以前は各地に向かう観光バスで埋め尽くしていた駐車場ですが、観光バスツアーが戻って来ていると言っても、まだこんな感じです。ちょっと寂しいですね。

観光バスの車内です。新型コロナウイルスの感染防止のため、2人掛けの座席を1名ずつ使用することで間隔をあけ、もちろん車内はマスク着用。会話も控えるように指示をされているので、静かです。バスの軽やかなエンジン音だけが響いています。

バスは上州(上野国:群馬県)に入り、藤岡JCTで上信越自動車道に入ります。赤城山、榛名山、妙義山という上州三山の山並みが車窓に広がります。写真は妙義山です(座席が進行方向左側だったので、右側車窓の山々の写真撮影は遠慮しました)

中山道街道歩きでは見慣れた山々を眺めているうちに、このあたりを歩いた時の感覚と記憶が徐々に戻ってきます。私はバスの車中で私が過去に書いた『中山道六十九次・街道歩き』のブログ、特に塩名田宿から長久保宿まで歩いた第15回、そして和田峠(東餅屋茶屋跡)から下り、下諏訪宿を経て岡谷宿まで歩いた第17回を読み返していました。

『中山道六十九次・街道歩き【第15回;塩名田→長久保】』(その1)〜(その12)

『中山道六十九次・街道歩き【第17回;和田峠→岡谷】』(その1)〜(その11)

私はこれまで歩いた中山道と甲州街道の街道歩きの記録をハレックス社オフシャルブログ『おちゃめ日記』(中山道)と、私の個人ブログ『新・おちゃめ日記』(甲州街道)に掲載しているのですが、こうして時間経って読み返してみると、歩いた時の様子が鮮やかに蘇ってくるので、メチャメチャ便利です。

バスは碓氷峠をトンネルで抜け、佐久小諸JCTで中部横断自動車道に入ります。車窓は広大な佐久平の風景に変わります。佐久南ICで中部横断自動車道を降り、ここからは国道142号線を走ります。この国道142号線は、長野県北佐久郡軽井沢町から諏訪郡下諏訪町に至る一般国道ですが、佐久市の八幡西交差点から、終点である下諏訪町の大社通り交差点までの区間(「新和田トンネル有料道路」を除く)は、五街道の一つの中山道に相当します。すなわち、現代の中山道です。なので、塩名田宿、八幡宿、望月宿、茂田井宿(間の宿)芦田宿…と、歩いた記憶にある懐かしい地名、そして景色が続きます。どこも魅力的な宿場だったのですが、特に望月宿と芦田宿の間にある“間の宿(あいのしゅく)”の茂田井宿は国道142号線より少し外れたところにあり、今も古い白壁の土蔵や屋敷が幾つも建ち並び、往時の面影が色濃く残る絶対お薦めの素晴らしい宿場でした。

このあたりを歩いたのは7月のことで、炎天下の中で芦田宿と長久保宿の間にある笠取峠を越えるのが異常にキツかったことを思い出します。急勾配はなく、舗装された国道脇の歩道を歩く区間なのですが、ダラダラとした登りが長く続く坂道に何人かの方が途中でリタイアして救援車のお世話になり、私もほとんど熱中症にかかりかけての峠越えでした。そんな難所の笠取峠を観光バスはいとも簡単に越えてこの日のスタート地点、長久保宿に向けて下っていきます。

笠取峠から下っていく途中の車窓からは、長久保宿のある長和町の街並みが見えてきました。長野県小県郡長和町は平成17(2005)に長門町・和田村が合併して発足した町で、町名は両町村の頭文字より命名されました。また合併する以前の長門町は昭和31(1956)に長久保新町・長窪古町・大門村が合併して発足。長窪古町と長久保新町の「長」と大門村の「門」より命名されました。今回の中山道六十九次・街道歩き【第16: 長久保→和田峠】は、現在の市町村区分で言うと、ずっとこの長野県小県郡長和町の町内を歩くことになります。

長久保宿の近傍までやって来たのですが、3連休の中日と言っても新型コロナウイルスの感染拡大による影響か、関越自動車道も上信越自動車道も走行するクルマの台数も少なく、流れも順調で、東京駅丸の内口を出発してから3時間ちょっとの午前11時過ぎにここまでやって来ました。長久保宿ではまず最初に昼食のお弁当をいただくことになっているのですが、まだその準備が整っていないとのことで、「道の駅マルメロの駅ながと」で、時間調整を兼ねた少し長めのトイレ休憩です。この「道の駅マルメロの駅ながと」は3年前に中山道六十九次・街道歩き【第17回: 和田峠→岡谷】を歩いた際に、スタート地点の和田峠頂上の東餅屋茶屋跡(今回第16回のゴール地点でもあります)に向かう途中にトイレ休憩で立ち寄ったところなので見覚えがあります。あの時は弱い小雨が降っていましたが、この日は快晴です。

今日の街道歩きの出発地点である長久保宿(現在の長野県小県郡長和町長久保)に到着しました。バスが停車したのはJRバス関東小諸支店の長久保営業所横にある駐車場です。

ここには長野県東部(東信地方)の中心都市で、戦国時代に真田氏が築いた上田城を中心とする城下町・上田市にある上田駅(JR北陸新幹線、しなの鉄道線、上田電鉄別所線)からJRバス関東の路線バスが乗り入れてきています。この路線バス、名称を和田峠北線と言います。現在は上田駅~長久保営業所間で運行されていますが、かつては今回訪れる和田宿にある上和田まで延びていました。さらにその上和田から先はJRバス関東下諏訪支店(現在は廃止)が運行する和田峠南線と接続し、国道142号線で五街道最高標高の峠・和田峠を越えてJR中央本線の下諏訪駅まで運行され、信越本線と中央本線という2本の幹線鉄道路線を短絡していました(なので、旧国鉄がバスを運行していました)。しかしながら、乗客の減少により2005年に和田峠南線が廃止され、残った和田峠北線も長久保~上和田間が長和町巡回バス(JRバス関東が運行受託)の区間に切り替えられたために、現在は上田駅~長久保営業所間のみの運行になっています。

前回【第15回】のゴールだったJRバス関東 長久保営業所の駐車場から中山道と(善光寺に続く)上田道の追分(分岐点)まで戻り、中山道六十九次・街道歩きを再開します。

 

……(その2)に続きます。


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