2019年8月2日金曜日

甲州街道歩き【第14回:韮崎→蔦木】(その12)

白州町前沢の集落を進みます。この日の区間は旧甲州街道らしいなかなか雰囲気のいいところばかりを歩きます。
「白須松原趾」の碑が立っています。かつて北杜市松原と白須の中ほどを流れるこの神宮川(濁川)の周辺には「白須の松原」と呼ばれる長さ1(4km)に及ぶ広大な松原がありました。幾つもの老松の名木があったそうなのですが、第二次世界大戦中に松根油採取のためにすべて伐採されてしまったのだそうです。
今年90歳になる母から、第二次世界大戦中の逸話として、松ヤニなどを集め、航空機を飛ばすための燃料にしようとしていたという話を聞いたことがあります。その話を聞いた時、松ヤニで飛行機が飛ぶのかと思ったものですが、本当だったのですね。松根油(しょうこんゆ)は、マツ(松の木)の切り株を乾溜することで得られる油状液体です。調べてみると、昭和19(1944)7月、ドイツではマツの木から得た航空ガソリンを使って戦闘機を飛ばしているという断片的な情報が日本海軍に伝わりました。日本でも東シナ海の制海権を連合国軍に奪われ、南方からの原油輸送が困難な状況に陥ってしまって、燃料事情が極度に逼迫していたため、国内で同様の燃料を製造することが検討されました。当初はマツの枝や材木を材料にすることが考えられたのですが、日本には松根油製造という既存技術があることが林業試験場から軍に伝えられ、松根油を原料に航空燃料用揮発油(ガソリン)を製造することとなったようです。実際、戦前には専門の松根油製造業者も存在し、松根油は塗料の原料や選鉱剤などに利用されていたようです。国家総動員での取り組みだったにもかかわらず、松根油から航空機を飛ばせるほどのオクタン価の高い航空ガソリンを精製するためには非常に労力がかかり、収率も悪いため、残念ながら終戦までに実用化には至らなかったようです。

等高線に沿って微妙なカーブを繰り返す、いかにも旧街道と思える道を歩いていきます。かつては美しい松並木が続いていたはずの街道脇には、今は杉の木が植えられています。
ここに数本の松が植えられているお宅があります。林屋商店の古い方の建物です。少しでもかつての「白須の松原」を再現しようとされているのでしょうか。手入れが行き届いた立派な松です。
松原の集落を進みます。このあたりは第二次世界大戦後、伐採された松林の跡に開発された集落のようで、歴史を感じさせるような建物は少ないのですが、それでも築50年以上のお宅が建ち並んでいます。その中に家紋入りの土蔵を備えた家があります。庭先の草花もよく手入れされ、目を楽しませてくれます。
玉斎吾七なる人の句碑が立っています。玉斎吾七はこのあたりの地元で活躍なさっていた俳人のようです。刻まれた俳句は達筆すぎて読めません。「槍もちの おくれて通る 日長かな」と刻まれているらしいです。この甲州街道を通る参勤交代の様子を詠んだ句でしょうか。
前沢集落を進みます。目の前に見える山々は甲斐駒ケ岳から連なる南アルプスの雨乞岳(標高2,037メートル)や日向山(1,660メートル)でしょうか。雨乞岳や日向山は南アルプスの最西端に位置する山々で、初心者向けの縦走路(登山コース)として知られています。
石塔石仏群です。
前沢上交差点で国道20号線と合流し、濁川橋で濁川(神宮川)を渡ります。濁川は釜無川の支流で、南アルプス最西端の雨乞岳(標高2,037メートル)の南側山壁にある花崗岩の白ザレ(そこだけ白くてまるで雪が積もっているように見えることから水晶薙とも呼ばれています)に源を発する河川です。大雨が降ると流れが白く濁ったことから長らく濁川と呼ばれていました。しかし、後述するように、近くにサントリーのウィスキー工場が出来た時、濁川から神宮川への改名がなされました。この神宮川という命名はこの川の河原で採れた玉砂利を明治神宮の参道に献納していることからでした。この改名は地域住民の改名要望をバックに企業イメージアップを図るため、サントリーが後押しして実現したと言われています。きっと、ウィスキーに使われる水が‘濁り’というイメージでは困るという“大人の事情”が働いたのでしょう。この日の濁川(神宮川)は前日の夜にそれなりの量の雨が降ったにもかかわらず、澄んでいて、まったくの透明でした。
旧甲州街道は濁川橋を渡り終えて5分ほど歩いたところでY字路を右に入ります。Y字に分岐する2つの道の間に辛うじて松の並木が残っています。
そのY字路の先にある白州総合運動場の駐車場、そこに駐車した観光バスの車内でお昼のお弁当をいただきました。観光バスには、こういう使い方もあります。便利です。


……(その13)に続きます。

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