2018年11月7日水曜日

甲州街道歩き【第9回:犬目→猿橋】(その3)

馬宿からは山道を下っていくのですが、細い山道ですが、ここは石畳の道になっています。ほんの50メートル弱の距離ですが、江戸時代の甲州街道が賑わっていた当時の石畳が残されているわけで、素晴らしい歴史遺産です。こういうところを歩けると嬉しくなります。ただ、石畳の上に枯葉が落ち、その枯葉が雨に濡れて滑りやすくなっているので、歩くのにはいささか注意が必要です。


この石畳の道も50メートルほどで、すぐに山梨県道30号大月上野原線に出ます。ここは「恋塚旧道西口」で、分岐点には「至鳥沢 旧甲州街道石畳」と書かれた木製の道標や宝暦11(1761)に建立された小さな馬頭観音像が擁壁の上に祀られています。



山梨県道30号大月上野原線をグングンと下っていきます。標高が下がるにつれて、お天気も回復してきました。小雨はあがり、ところどころ青空も覗いています。標高の高いところは、おそらく雲(霧?)の中だったのかもしれません。


ここから大月市に入ります。


さらにグングンと下っていきます。


道端にザクロの実がなっています。ザクロは硬い皮を割り、皮と種子を除いた種衣の部分が食べられるのですが、ちょうど食べ頃のようです。


右手に馬頭観世音の文字塔(石塔)が祀られていて、その先の台上には小さな祠と幾つかの石仏石塔が並んで祀られています。おそらくこのあたりの旧甲州街道脇に建てられていたものを、県道の工事をする時にここに集めて祀ったものと思われます。


さらに下ると富士急山梨バスの山谷バス停に出ます。大月からの路線バスはこの山谷が終点で、バス停の前はバスの折り返し所になっています。バス停の時刻表を見ると、このバス停から出るバスは12便だけのようです。


かつてはこのあたりに山谷の立場がありました。立場とは継立場(つぎたてば)あるいは継場(つぎば)ともいい、五街道等で次の宿場までの距離が遠い場合その途中に、また峠のような難所がある場合その難所に休憩施設として設けられた施設のことです。通常、茶屋や売店が設けられていました。俗にいう「峠の茶屋」も立場の一種です。なので、ここには茶店がありました。長く急な坂を下って来たり、これから登ろうとするために、多くの旅人がここで一息を入れたことでしょう。


この山谷バス停のところで旧甲州街道(山梨県道30号大月上野原線)は左に大きくヘアピンカーブで曲がり、さらにグングン下っていきます。


ここで右手のガードレールの切れ目から斜め右に下る細い坂道に入ります。この細い道が「原田旧道」と呼ばれる旧甲州街道です。昔は旅人は基本自らの足で歩いて進むので、距離が少しでも短いルートが好まれ、いかなる急坂であっても直登直下が基本でした。それゆえ、どの旧街道にも「座頭転がし」に代表されるいささか怖い名前を冠した急坂が沢山あります。しかし自動車の普及に伴い、こうした急勾配の坂道には、幾分距離が長くなっても自動車が登坂できるくらいまで勾配を緩和した新たな道路が開削されました。こうした道路は通常緩いS字カーブを描いた坂道になっています。山の中でこうしたS字カーブを描く坂道の車道の脇には、この「原田旧道」のような直登直下の旧道が隠されている可能性があります。


左手に山あいの集落が見えます。そろそろ下鳥沢宿でしょうか。


原田旧道の急坂でかなりの標高差を短絡した旧甲州街道はすぐに山梨県道30号大月上野原線と合流します。その合流点付近に心和ませる案山子(かかし)の一団が立っています。魚釣りをしたり、ブランコで遊んだり。いいですね。


道路の左側には10月の中旬だというのにアサガオが咲いています。その反対の右側にはコスモス。季節感が混ざっている感じですが、これもまた一興です。


緩い坂道を下っていきます。


中野神社前のバス停のある「坂下橋」のところで、左に曲がります。桂川の支流の“かるさわ川”を坂下橋で渡り、左に曲がります。


さらに山梨県道30号大月上野原線を下っていきます。


ここで左側の側道に入っていきます。左側の側道というか、この側道のほうが直進で、県道のほうが勾配を避けて右にカーブしていくのですが…。


ちょっと急な勾配の坂道を下っていきます。この道は「中野旧道」と呼ばれていて、旧甲州街道です。峠道の下り坂の終着点近くに中野の集落が軒を連ねています。中野の集落には古い土蔵が建ち切妻造りの家屋が幾つも並んでいます。




……(その4)に続きます。

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