2018年11月6日火曜日

甲州街道歩き【第9回:犬目→猿橋】(その2)

山梨県道30号大月上野原線をしばらく歩きます。


ここから旧甲州街道は山梨県道30号大月上野原線を外れ、右の細い坂道を登っていきます。「君恋坂」というなんともロマンチックな名称が付いている坂ですが、そのロマンチックな名称とは裏腹に結構険しい山道です。


その君恋坂を登りきったところに立派な民家があります。かつてここは「君恋温泉」という温泉旅館だったのですが、近年廃業したのだそうです。君恋坂や君恋温泉の“君恋”というなんともロマンチックな名称は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東国征伐の帰途、自ら海神の生贄となった妃・弟橘姫(オトタチバナヒメ)を恋しく思い偲んだところだったことに由来しているのだそうです。


上野原宿からここまで旧甲州街道はほぼ登り坂で高度を上げてきたのですが、この君恋温泉跡が上野原宿→猿橋宿のコースの最高地点で、ここからはこの日のゴールである猿橋宿に向けて約250メートルの高度差をほぼひたすら下っていく道となります。


立派な柿の実が実っています。通常市販されている柿よりも一回り大きい柿です。


さらに山道を下っていきます。


途中の山道は石畳の道になっています。これぞこの山道が旧甲州街道であることの証しのようなものです。


途中、こんなところもあります。おそらくここにはかつて木橋が架かっていたのではないかと推察されますが、今は残っていないので、いったん沢まで下り、沢を渡って、再び道のあるところまでよじ登ります。先に渡った方に手を持ってヨッコラショっと引っ張って貰わないと登れません (一番最初に渡った方は、次の人がお尻を押して貰って登りました)。なかなかワイルドです。先に渡り終えた妻の歓声が聞こえます。妻がこういうワイルドなところが大好きだってことは、小仏峠越えの際に知りました。


道の周囲は整備されていないので、立ち木がいたるところで倒れています。これも先日の関東地方を暴風が襲った台風25号の影響でしょうか。


山道が山梨県道30号大月上野原線に出るところに「白滝山不動明王」と刻まれた道標(石碑)が立っています。白滝山不動明王とは犬目宿を出たところにあった赤い鳥居の白馬不動尊のことです。刻まれている文字を見ると、この道標は寛政10(1798)に建立されたものです。この古い道標がここに残っているということは、この細い山道が間違いなく旧甲州街道であったってことです。


県道に出るところは、結構な高さの段差になっています。これはおそらく県道(もとは国道20号線)を建設する時に少し地面を掘削したことによるものでしょう。


道標に書かれた扇山とは、山梨県大月市と上野原市の境にある山で、標高は1,138メートル。山梨百名山の1つで、西側の百蔵山、北側の権現山とをあわせて郡内三山と呼ばれているのだそうです。このあたりには登山道が幾つかあり、それぞれ登山口を示す道標が立っています。


県道に出たすぐ先正面に江戸の日本橋から数えて21里目の「恋塚一里塚」が突然現れます。一里塚は原形をよく残していて、直径約12メートル、高さ約5メートルの円丘です。昔は街道を挟んで北側にも塚がありましたが、現在はこの南側の塚だけが残っています。もともとはこの付近は峰続きでしたが、旧甲州街道を造る時に堀割りにしたため、道の両側に小高い場所ができました。この地形を利用して一里塚が築かれたものと推定されているのだそうです。説明書きには「平成18年、大雨によって塚の西側斜面が崩れたため復旧工事を行った」と書かれています。


恋塚一里塚から続くいかにも旧街道といった感じのS字カーブの緩やかなワインディングロードを下ってくると、旧甲州街道は山梨県道30号大月上野原線を右にそれて側道に入っていくのですが、その分岐点に山住神社(やまずみじんじゃ)の赤い鳥居が立っています。


山住神社はその名のとおり、伊予国越智郡(愛媛県今治市)の大三島にある日本の総鎮守「大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)」より分霊し祀られたもので、山住大権現として同様の三島神社とともに広く全国にあります。遠くから「折敷に三文字」という大山祇神社と同じ社紋があります。ちなみに、大山祇神社は越智氏族の氏神で、大山祇神社の社紋である「折敷に三文字」は越智家の家紋でもあります。今回の参加者でこの山住神社に強く反応を示したのは、おそらく私1人だけだったと思います。


道を挟んで山住神社の反対側には「聖徳太子」と刻まれた石碑が建っています。苔むした感じからするとかなり古くに建てられた石碑のようです。側面に刻まれた文字によると、弘化2(1845)に建立されたもののようです。昔は聖徳太子が神格化されて崇拝されていたことが窺えます。実際、聖徳太子は仏教の振興に努めたこともあり、日本仏教の父と敬愛されていました。


山住神社のところから側道を登っていきます。この坂道は「恋塚旧道」と呼ばれているのだそうです。


その短い恋塚旧道を登りきったところに「馬宿」の集落があります。長さ100メートルちょっとの小さな集落で家も数えるほどしかないのですが、その集落のはずれに豪壮な旧家があります。ここで馬宿を勤めていた大庭家の建物です。大庭家はこのあたりの組頭、百姓代も勤めた旧家で、集落の西に位置していたことから、「西」という屋号でした。馬宿とは駅馬・伝馬に用いる馬を用意していたところで、自分の馬で旅をする人が宿に泊まる時、その馬を宿で預かる設備のある宿屋のことを言います。


シイタケ(椎茸)でしょうか。大庭家の前にはキノコをいっぱい付けた木があります。




……(その3)に続きます。

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