国道20号線から右の側道に入ります。ここに阿弥陀寺があります。阿弥陀寺の創建は不詳ですが、当初は草庵だったとされ、弾誓上人によって阿弥陀如来の本尊とする浄土宗の寺院として開山したとされています。その阿弥陀寺の石標の傍に一里塚の跡を示す標柱が立てられています。周囲は見回しても塚らしきものはなく、この「一里塚跡」と書かれた木製の標柱が寂しく1本立っているのみです。しかも標柱の文字は消えかかっていて、辛うじて「一里塚跡」の下に「猿橋」の文字が読めます。標柱には「猿橋」と書かれていますが、ここが江戸の日本橋を発ってから23里目の「殿上村(とのうえむら)一里塚」です。このあたりは猿橋ではなく、殿上村と呼ばれていました。この殿上村一里塚に植えられていた木はモモノキ(桃の木)だったのだそうです。
一里塚跡の先で先ほど分岐した国道20号線にすぐに合流します。右手を流れる川は桂川。猿橋の下を流れている清流です。その桂川の画像中央付近に見える取水堰は八ツ沢発電所の取水堰です。ここで取水された水が猿橋のたもとで見た第1号水路橋などを通って国の重要文化財である八ツ沢発電所に運ばれています。
国道20号線を100メートルほど進むと右に入る側道があり、こちらを進みます。実はこれが旧甲州街道です。
旧甲州街道は国道20号線とJR中央本線の一段下を通っています。
道路脇の柿の木に実がたわわに実っています。今年は柿の当たり年のようで、いたるところでたわわに実った柿の木を目にします。干し柿にするにはもう獲り終えてもいい頃なのですが、このまま鳥さんのご馳走になっちゃうのでしょうか…。
横をJR中央本線の大月行きの普通電車が通り過ぎていきます。
左手に上がる側道の坂道が実は旧甲州街道だったらしいのですが、すぐ先で民家になったり、JR中央本線、さらにはこの先にある東京電力 駒橋発電所の建設によって分断されてしまっているということで、少しこの道を進みます。
右手眼下に東京電力の駒橋発電所が見えてきます。赤い物体(モニュメント)は昔の発電機の心臓部分ですね。
駒橋発電所は明治40年(1907年)に運用が開始されたこのあたりでは最古の発電所で、当時電力需要の高まった東京へ長距離送電を開始した草分け的存在の発電所でした。ここから東京の麻布方面に電気を送っていました。
JR中央本線や国道20号線を通るとき、南側の山の斜面に水圧鉄管が見えると思います。鉄管は国道の下を潜り、JR中央本線を横断する箇所ではその上を跨いで北側を流れる桂川右岸の発電所へと落ちています。このような巨大土木施設と鉄道の線路とが近接しているのも、駒橋発電所の特徴です。それ故に鉄管の経路は複雑です。こんな鉄道の線路と近接した位置に水力発電所の巨大土木施設があるのには理由があります。現在では容易には想像できませんが、理由は建設当時の交通事情と関係します。明治後期という時代はまだ資材運搬には自動車(トラック)はなく、専ら鉄道貨物が使用されていました。そのため鉄道からなるべく近い位置で、かつ、水利条件が適合する場所に発電所が選定されたのだそうです。発電用水は桂川の5kmほど上流から取水され、九鬼山の西麓をなぞるように進み、落差を稼ぐため、周囲の山々をほぼ水平に貫いた水路トンネルで結んでいます。100年以上前の土木技術ではトンネル部の掘削は完全に手掘りと考えられますが、逼迫したエネルギー事情からこの駒橋発電所の建設には巨額の資金が投じられたようで、そんな難工事でも着工から驚くほどの短期間で建設されたといわれています。
発電所の反対側の山から下ってくる送水管です。間近で見ると、それはそれはすごい迫力です。
この写真の右端に写る、メインの送水管からはひとまわり細い2つの穴は、発電所完成当時に存在した起動用発電機の鉄管の跡です。発電機には構造上、磁石が必要ですが、通常はコイル式の電磁石が使用されます。そのため起動時には他の発電所で発電された電力を必要としますが、駒橋発電所はこのあたりで最古の発電所であったため、起動用の電力がありません。そこで、永久磁石を備えた小型の起動用発電機で発電し、本体の発電機に必要な電力を賄ったのだそうです。
ちなみに、この駒橋発電所は今も現役で使われています。なお、駒橋発電所で使用された水は桂川で補充され、先ほど見た取水堰から取水され、大野貯水池を経て八ツ沢発電所で再度使用されます。
この側道を登っていくとJR中央本線の線路に出ます。旧甲州街道はかつてはこのJR中央本線の線路敷を通っていたのですが、もちろん現在は通れないので、側道を歩きます。すぐに踏切があり、そこで線路を横切るのですが、ここを旧甲州街道が通っていた証拠がその踏切の名称として残っています。「第五甲州街道踏切」です。
線路の反対側を、線路に沿って歩きます。線路の先に見えている目立つ巨大な岩山が岩殿山(標高634メートル)です。岩殿山は相模川水系の桂川と葛野川とが合流する地点の西側に位置しています。頂上の南側直下は鏡岩と呼ばれる礫岩が露出した約150メートルの高さの崖で、狭い平坦地を挟んで、さらに急角度で桂川まで落ち込んでいます。特徴ある形をしたこの山は、猿橋を出てすぐあたりから見えていました。これから向かう大月市街中心部からも近く、大月駅からも間近にその姿を眺めることができるのだそうです。
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