本当はバスが折り返す風景を見て見たかったのですが、団体行動なので我儘も言えません。しばしのトイレ休憩の後、先を急ぐことにしました。さすがにここまでやって来ると目の前には小仏峠の山が間近に迫ってきています。心配していた雨はまだ降ってはいませんが、いつ降り出してもおかしくないような状況になっています。先を急がないといけません。
バスの折り返し所の横に次のような注意書きとともに『立入禁止』の札が掲げられています。「注意 イノシシを捕獲するための箱檻を設置しております」 さすがに高尾山、イノシシをはじめとした野生の生き物は数多く棲息していそうです。
ここからは道幅が狭くなった林道を進みます。
左手に宝珠寺があります。宝珠寺は、15世紀の開基と伝わる臨済宗南禅寺派の寺で、断食道場としても知られています。本堂はこぢんまりとした山寺らしい質素な風情ですが、寺の脇を流れる小仏川(南浅川)上流の美しい小川のせせらぎが爽やかにこだまし、自然豊かで心安らぐ雰囲気の寺院です。
本堂へ登る石段左手の斜面地には、東京都の天然記念物に指定されている「小仏のカゴノキ」の巨木が生え、ダイナミックに枝葉を広げています。その木の傍らに次のような説明が出ています。
「宝珠寺本堂左わきの崖上にあり、主幹は枯れてその周囲を枝幹がとりまいて一株をなしている。目通り幹囲は約4m、高さは約23m、根元から1.3mのあたりから多くの枝が分岐している。一部の根が約3.1m崖下の通路に露出し樹幹を中心に南北約22m、東西約17mある。カゴノキはコガノキともいい、暖地性常緑樹で雌雄異株。樹勢はきわめて旺盛で、関東地方における大樹である。」
なるほどぉ〜。
旧甲州街道(東京都道・神奈川県道516号浅川相模湖線)は道幅がさらに細くなります。周囲に人家は見当たらなくなりました。往時も甲州街道はまさにこんな感じだったのではないでしょうか。
すぐ右側を中央自動車道が並行して走っているのですが、よく見ると「小仏トンネル」の入り口を示す緑色の道路標識が見えます。
小仏トンネルは、東京都八王子市と神奈川県相模原市緑区の都県境にあるトンネルで、都県境の小仏峠(標高548メートル)付近の山を貫いて作られています。小仏トンネルにはJR中央本線の小仏トンネルと中央自動車道の小仏トンネルの2つがあり、同じ東京都八王子市と神奈川県相模原市緑区の間にある都県境を越えるのでも国道20号線はこれより南の大垂水峠を越えています。大垂水峠は小仏峠ほどの勾配のルートではないものの大回りで距離が長く、勾配をなるべく避けたい鉄道と高速道路は直線的な地形とルートが望まれたことから、大垂水峠経由ではなく小仏峠の真下をトンネルで貫通するルートが採用されました。
このあたりから林道は勾配が急にキツくなってきました。S字を描いてカーブする急坂が続きます。また、つづら折りの坂道で高度を一気に上げていきます。
道端に小仏峠を示す道標が立っています。右に行くと景信山のようです。
その先には、台数は少ないものの駐車場があり、一般車が入って来られるのはここまでです。なお江戸時代には、この駐車場あたりに江戸より14番目の一里塚があったといわれていますが、今は見当たりません。
本当はここでお昼のお弁当を受け取り、小仏峠の頂上でお弁当をいただく予定だったのですが、雨のため急遽予定変更で、この場所でお弁当をいただくことになりました。まだ霧雨の状態ですが、これから高度を上げていくと、雨脚が強まる恐れがありますから。ここなら頭上を木々がおい茂っていて、多少の雨なら雨具なしで過ごせそうですし。
小仏川の上流らしく、湧き水がいろいろなところで湧いています。
雨が降り出す前に…と大急ぎで昼食を終え、街道歩きを再開しました。
ここで舗装道路も終わり、いよいよ小仏峠への山道が始まります。車止めを越えると三叉路があり、右へ登る道は景信山への直登ルートで、甲州街道は左側の道になります。
「113号水準点の標石」の案内板が立っています。標高369.51メートルですか。小仏峠の標高が548メートルですから、ここから180メートルほど登ることになります。時折、下ってくるハイカーとすれ違います。
車1台がやっと通れるくらいの狭い砂利道の林道を歩いていくと、水場があり山からの湧き水がコンコンと流れ出しています。備え付けのコップが置いてあり、せっかくなので飲んでみました。美味しい湧き水です。かつて甲州街道を旅した旅人や三度飛脚の皆さんもここで喉を潤し、小仏峠を目指したのでしょうね。
さらに歩いて行くと林道は終わって山道に変わります。それとともに高度がグングン上がっていきます。小仏峠は標高548メートルの峠で、中山道の碓氷峠や和田峠、塩尻峠、鳥居峠といった標高1,000メートルを超える峠を幾つも越えてきた者としては、「標高548メートルなんて、たいしたことはない!」と、正直、多少タカをくくっていたところがあったのですが、どっこいどうして! 小仏峠は甲州街道の難所の1つと言われているだけに、中山道の名だたる峠と同様、なかなか手強い峠でした。高尾山登山並みって感じでしょうか…。東京都心から近く、年間を通じて多くの登山者が訪れる高尾山の標高は599メートル。さほど変わりませんから、ナメてはいけないってことです。トレッキングシューズを履いていって、良かったです。
心配した雨ですが、標高が高くなるにつれ止んで、うっすら晴れ間さえ覗くようになってきました。「晴れ男のレジェンド」の面目躍如ってところです。ここからはキツい登りが続くので、本格的な雨の中だとちょっと足元も悪く、危険でした。またこの坂道は真夏の炎天下の中で歩くのもキツく、こんな時折霧雨の降る曇り空の天気の中で歩くのが実は一番良かったのかもしれません。
道はジグザグに曲がりくねって続いています。道の両側には樹々が生い茂っていて、全体的に薄暗い道を上っていきます。前方が幾分明るくなったと思ったらいよいよ最後の急坂があり、標高が一気に高くなります。
山道を歩きはじめて30分弱、急に坂道の勾配が緩くなったと思ったら小仏峠に着きます。峠の頂上付近は広場になっていて、広場の中央にはタヌキの置物があり、「小仏峠頂上」の道標が立っています。
小仏峠の地名は、奈良時代に奈良の大仏(東大寺)造立の実質上の責任者であったことでも知られる行基菩薩がこの地に寺を建て、高さ6cmほどの小さな仏を安置したところから付けられたと言われています。峠付近には歴史を感じさせる古いお地蔵様が幾つか祀られていますが、それらはこの峠を通行する旅人の旅の安全を願って立てられたもので、小仏の語源になったものかどうかは分かりません。
この峠は武蔵国と相模国の国境ですが、多くの人に知られるようになったのは武田信玄の関東遠征以降です。永禄12年(1569年)、武田信玄の関東遠征の時、別動隊の小山田信茂が甲斐国大月から八王子に向かう際、小仏峠を越えました。滝山城の北条氏照は、これまでの常識である奥多摩方面からの侵入に備え、戸倉城などを増強し迎えうつ準備をしていましたが、不意をつかれたため、北条軍はやむをえず滝山城に籠城することになります。小仏峠はその後、甲斐国と武蔵国を結ぶ要路となりました。江戸時代に入ると、甲州街道のルートに指定され、駒木野に小仏関所が置かれました。
以前の小仏峠には大きな茶屋が2軒あり、当時はたいそう賑わっていたそうなのですが、営業をやめて随分と時間が経つのか、現在は完全に廃墟になっています。
茶屋跡の隣りには「明治天皇小佛峠御小休所阯及御野立所」の碑と「三条実美の歌碑」があります。これらは明治13年(1880年)の山梨巡幸の際、明治天皇の通行を記念して建てられたもので、歌碑の和歌は三条実美が明治天皇の命を受けて高尾山薬王院に詣でて詠んだものといわれています。
〝来てみればこかひはた織いとまなし
甲斐のたび路の野のべやまのべ〟
「こかひはた織」とは「蚕飼い機織り」のことで、当時、生糸は高騰しており、これは多摩や甲州が養蚕や製糸、織物業でにぎわう様子を歌ったものです。
このあたりは自然遊歩道がいろいろと整備されているようで、ハイカーの姿を多く見かけます。地蔵と庚申塔の前を通り右へ行く道が、景信山(727m)から陣場山(857m)を越えて陣馬街道の和田峠へ続く裏高尾縦走路「鳥のみちコース」。2つの茶屋跡の間を通って真っ直ぐ下りて行くのが、旧甲州街道(東海自然歩道)。茶屋跡の前を通って左側の道を行くのが、小仏城山(670.3m)を越えて高尾山(599m)へ行くコースと、小仏城山から大垂水峠を越える「湖のみちコース」(南高尾山道)。もちろん私達は相模湖を目指して真っ直ぐに旧甲州街道を下っていきます。
小仏峠は武蔵国と相模国の国境、すなわち東京都と神奈川県の都県境です。ここからは神奈川県相模原市になります。道標には甲州古道とあり、「←小仏宿 小仏峠 小原宿→」とあります。
……(その4)に続きます。
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