2022年6月6日月曜日

鉄分補給シリーズ(その4):伊予鉄バス八幡浜・三崎特急線②

公開予定日2022/10/07

 [晴れ時々ちょっと横道]第97回 鉄分補給シリーズ(その4):伊予鉄バス八幡浜・三崎特急線② 


八幡浜・三崎特急線のバスは伊予平野駅を過ぎたあたりで愛媛県道234号大洲保内線から国道197号線に入り、さらに西を目指します。この国道197号線は四国と九州を結ぶ海上区間がある一般国道の路線で、高知県の県庁前交差点を起点に西へ四国山地を迂回し、愛媛県の佐田岬半島まで陸上区間が続き、関サバ・関アジの漁場で知られる豊予海峡を挟んで大分県の佐賀関半島から終点の大分市に至ります。高知県内の高知市から須崎市にかけてと、愛媛県大洲市内の一部では国道56号線と重複しています。また、四国・九州間の豊後水道(豊予海峡)は海上国道方式で、旧日本道路公団が開設し、現在は民間事業者の国道九四フェリーへ移管したフェリー航路によって、三崎港・佐賀関港間が結ばれています。八幡浜市より西側に細長く伸びる佐田岬半島のルートは、「佐田岬メロディーライン」の愛称で呼ばれ、半島の尾根部を走る大変に眺めのいい快走路になっています。


この日の行程図。佐田岬半島部分だけ拡大しました。佐田岬半島は日本最大の断層帯である中央構造線の南縁に沿って直線的に全長約40kmにわたって海に突き出た、日本一細長い半島です。(国土地理院ウェブサイトの地図を加工して作成)

片原町交差点を右折し、愛媛県道234号大洲保内線に、さらに伊予平野駅前で愛媛県道259号信里伊予平野停車場線に入り、すぐに国道197号線に合流します。ここから先は国道197号線を進みます。


国道197号線の区間に入ってまもなく、夜昼トンネルを抜けます。この夜昼トンネルは“伊予の小京都”と呼ばれた城下町の大洲市と、“四国の西の港町”として古くから栄えた八幡浜市との間にある夜昼峠(よるひるとうげ)の下を貫通するトンネルです。大洲市と八幡浜市の間は直線距離でわずか10km ほどではあるのですが、わずか標高300メートル程度とそれほどの高さはないものの急峻な山々に阻まれ、陸路によっての通行は困難を極めていました。この夜昼峠の頂上の標高は280メートル。大洲盆地の西の端にあたり、江戸時代はこの夜昼峠が大洲藩領と宇和島藩領との境でした。峠の東側の現大洲市平野町野田地区はかつては宇和島藩領で、宇和島藩の番所が置かれていました。で、夜昼峠というなんとも気になる変わった地名の由来ですが、昼なお暗い峠を意味するとか、夜()登り始めても頂上に付くのが昼()になるからとか、大洲側は朝霧のため暗いが八幡浜側は海岸で早く晴れているからとか、大洲側の霧が峠に寄って行き、峠を越えると消えていくことから“寄る干る”峠が訛ったといった気候の差を示すとか、“ヨヒル”という集落が昔このあたりにあり、その名前が訛ったといった様々な説があるようです。

この夜昼峠と呼ばれる古道は、人はともかく自動車のような乗り物が通行するにはあまりにも狭く急な道でした。そのため明治時代の終わりになって拡幅やルート変更などの改良が行われ国道197号線に昇格したのですが、それでも国道とは名ばかりで曲線が多く、幅員も狭く(最小幅員3メートル)、台風時においては地滑り、崩壊などによる交通遮断をたびたび起こし、幹線道路としての機能を果たせない状況でした。


夜昼トンネルに入ります。


で、その厳しい状況を打破するために掘削されたのがこの夜昼トンネルというわけです。夜昼トンネルは延長2,141メートル、幅8.25メートル、高さは4.5メートル。一般道のトンネルとしては四国で最も長いトンネルです。完成したのは昭和46(1971)5月。このトンネルの開通によって、旧道経由の約21km、車で約50分の区間が、約14km、約20分の距離に短縮されました。その結果、隣接する八幡浜市と大洲市の間の、あるいは八幡浜市と松山市との間の経済交流にも大きな変化が生じることになりました。

この夜昼峠より西側、佐田岬半島に向かって伸びる国道197号線の区間は、日本最大の断層帯である中央構造線の南側に沿って東西に細長く分布する三波川変成岩帯に属しています。この三波川変成岩帯の結晶片岩は主に緑色片岩(青石)と黒色片岩(蛇紋岩)で構成され、特に黒色片岩であるところは風化土も厚く、地滑り・破壊の傾向が強いという特徴を有しています。この夜昼峠一帯はまさに黒色片岩(蛇紋岩)帯にあたり、掘削はかなりの難工事だったようです。国道197号線の夜昼トンネルの北側をJR予讃線の夜昼トンネル(全長2,870メートル)が並行して抜けていますが、こちらのトンネルが完成したのが昭和14(1939)。この予讃線の夜昼トンネルの掘削では工事途中で黒色片岩(蛇紋岩)帯に遭遇したため、鉄道トンネルでは昭和9(1934)に開通した東海道本線の丹那トンネル(熱海駅~函南駅間、総延長7,804メートル)に次ぐ難工事であったとまで言われました。なので、鉄道マニアの間では少し有名なトンネルです。

この予讃線の夜昼トンネルでの難工事に恐れをなしたのか、国道197号線の夜昼トンネルが開通したのは鉄道から遅れること32年後の昭和46(1961)のことでした。それまでは前述のように国道とは名ばかりで曲がりくねった幅員も狭い坂道で峠を越えるかなりの難所でした。今もこの旧道は地元の方の生活道路として使われており、峠の頂上付近には「千賀居隧道(ちがいずいどう)」という明治38(1905)に開通した長さ16.5メートル、幅員4.6メートル、高さ4.5メートルの短いレンガ積みの魅力的なループトンネルが今も残っているそうです。街道歩きを趣味とする私としては、是非一度訪れてみたいという衝動に駆られます。

ちなみに、JR予讃線の夜昼トンネル(全長2,870メートル)が完成したのが昭和14(1939)のことだということは先に書きましたが、この夜昼トンネルの難工事の完成により鉄道(予讃線)が八幡浜駅まで伸び、第二次世界大戦終戦間際の昭和20(1945)620日に八幡浜駅〜卯之町駅間が開業し、それまで宇和島線と呼ばれていた宇和島駅〜卯之町駅間を編入することにより予讃本線(現在のJR予讃線)が全線で開通しました。

夜昼トンネルを抜けると旧宇和島藩領だった八幡浜市に入ります。


夜昼トンネルを抜けると八幡浜市です。


大洲営業所を出て約30分で八幡浜駅前に停車します。JR八幡浜駅のロータリーには宇和島自動車と伊予鉄南予バスの八幡浜駅始発便のみの停車で、高速バスや八幡浜・三崎特急線のバスはロータリーから少し離れた伊予鉄南予バスの本社営業所前にある路上バス停で乗降扱いを行います。


JR八幡浜駅です。八幡浜駅では八幡浜・三崎特急線のバスは駅前のロータリーに入らず、そのまま国道197号線をそのまま進みます。

八幡浜・三崎特急線の運航を伊予鉄バスから委託されている伊予鉄南予バスの八幡浜本社です。八幡浜駅前バス停は、この伊予鉄南予バス本社営業所に併設されています。

八幡浜の市街地は伊予鉄バス(伊予鉄南予バス)と宇和島自動車の競合区間なので、宇和島自動車の路線バスと頻繁に行き会います。この宇和島自動車の車体塗装、私は好きです。


そして次に八幡浜港に停車します。松山市駅を出発してからここまで約2時間。途中、車窓は山の風景ばかりでしたが、やっと海が見えました。この八幡浜港からは豊予海峡を挟んだ対岸の大分県の臼杵港行きの宇和島運輸、九四オレンジフェリー、また別府港行きの宇和島運輸のフェリーが運航されていて、連絡します。私はこれまで何度か宇和島運輸の八幡浜〜別府航路のフェリーを利用したことがあります。


四国の西の玄関口・八幡浜港です。八幡浜港のフェリーターミナルは今年4月1日に新規開業しました。2隻のフェリーが停泊して、出航の準備をしているようです。

別府港行きの宇和島運輸フェリーですね。

こちらは臼杵港行きの九四オレンジフェリーです。


愛媛県の西端にある佐田岬半島の付け根に位置する八幡浜市は、北に瀬戸内海(伊予灘)、西に宇和海を望み、丘陵地が多く、海はリアス式海岸が続き、温暖で大変に風光明媚なところです。古くから九州や関西地方との海上交易が盛んで、かつては「伊予の大阪」とも呼ばれ、商業都市として隆盛を誇りました。現在も年間40万人近くが行き来する八幡浜港は西日本有数の旅客港で、四国の西の玄関口となっており、西四国の交流・交易活動の拠点として発展してきました。

また、温暖な気候と地形を生かした柑橘栽培が盛んで、温州ミカンは質・量ともに全国有数の産地であり、「日の丸」「真穴」「川上」「蜜る」など全国に知られたブランドミカンを生産しています。太陽の直射光、海からの反射光、段々畑の石垣の輻射熱の「三つの太陽」を浴びて育った八幡浜産のミカンの美味しさは格別です。漁業も盛んで、天然の良港である八幡浜港は昔から中型トロール船団の基地となっており、くわえて近年は養殖漁業も盛んで、西日本有数の水揚高を誇る八幡浜港近くの水産市場には、四季折々、たくさんの種類の魚が水揚げされます。


西日本有数の水揚高を誇る八幡浜港近くの水産市場です。セリの時間は終わっているのか、落ち着いた雰囲気になっています。背後の山は一面の柑橘畑になっています。

バイパスである名坂道路が分岐します。その名坂道路を通らず、国道197号線をそのまま進みます。


名坂トンネルを潜ります。名坂トンネルは幅員が狭く、大型車の離合ができないため、大型車は反対側の口でこちらが通過するのを待っています。また、自転車と歩行者専用のトンネルが別に整備されています。


この先で、伊予市から伊予灘の海岸線に沿って延びてきた国道378号線と合流します。このあたりは、現在は合併して八幡浜市になっていますが、かつての西宇和郡保内町です。


八幡浜からは四国の最も西に位置する半島、佐田岬半島に入ります。この佐田岬半島は三崎半島と呼ばれることもあります。この佐田岬半島は日本最大の断層帯である中央構造線の南縁に沿って直線的に全長約40kmにわたって海に突き出た日本一細長い半島で、この半島の北側と南側で瀬戸内海(伊予灘)と宇和海とを隔てています。先端には四国最西端の佐田岬があります。半島の先端部分の佐田岬周辺が瀬戸内海国立公園に指定されているほか、半島腹部は佐田岬半島宇和海県立自然公園に指定されています。付近の海岸はリアス式海岸であり、良港に恵まれ漁業が盛んです。しかし、港の背後には中央構造線の断層活動が形成した断層崖による標高100メートルを超える急峻な山地が迫っており、平地はほとんどなく、道路の整備は遅れていました。突端部の旧西宇和郡三崎町までバスが通じたのは1960年代であり、それまで交通は海を港伝いに結ぶ船舶に頼らざるを得ない、まさに「陸の孤島」でした。このような事情から、特に佐田岬半島の北側は季節風の影響を受けがちであるため、航路も発達せず、集落は半島の南側に多いという特徴があります。


国道197号線(佐田岬メロディーライン)は佐田岬半島の尾根筋を通っているので、そこまで登坂車線のあるちょっと傾斜のキツい登り坂が続きます。


佐田岬半島を縦貫する国道197号線は、かつては山腹に沿って眼下に宇和海を臨む形で走っていたため、曲がりくねり、幅員が狭く、自動車同士のすれ違いもままならないような悪路でした。くわえて、前述のように佐田岬半島全体が中央構造線の南側に沿って東西に細長く分布する三波川変成岩帯に属すことから土質の脆い地滑り地帯がいたるところに存在し、台風等の降雨時には、たびたび地滑りで通行止めになっていました。このことから、“197”をもじって、別名「イクナ(行くな)酷道(こくどう)」とすら呼ばれていました。しかし、昭和62(1987)に半島の尾根を縦走する頂上線(愛称:佐田岬メロディーライン)が完成し、今では八幡浜市から三崎港まで1時間もかからずに行くことができます。

ちなみに、佐田岬メロディーラインの“メロディー”の由来は、風と潮騒、野鳥のさえずり等の自然の音が聞こえる佐田岬半島のイメージから想起されたものです。平成23(2011)には、一部の区間にアスファルト舗装の表面に溝を掘ってタイヤ接地面のロードノイズで音を奏でる「メロディー道路工法」による路面舗装が四国で初めて施され、文字通りの「メロディーライン」になりました。大峠トンネルを抜けたあたりから1曲目のメロディーが奏でられるのですが、残念ながらバスではエンジン音にかき消されて、よく聞き取れず、曲名も分かりませんでした。また、帰りも路線中間地点付近にあたる道の駅瀬戸町農業公園前の国道を八幡浜方面へ走ると奏でられるのですが、こちらは「みかんの花咲く丘」のメロディーがしっかり聴き取れました。(バスやトラックだとホイールベースが長いので、メロディーが重なって、よく聴き取れないんだそうです。ご注意ください。)

ちなみに、佐田岬半島は西宇和郡に属し、かつては半島の付け根部()から伊方町、瀬戸町、三崎町という3つの自治体に分かれていたのですが、平成17(2005)に瀬戸町と三崎町が伊方町と合併し、現在は半島全体が西宇和郡伊方町1町になっています。

伊方町といえば四国電力伊方原子力発電所ですね。一時は四国の電力消費量のおよそ4割を供給していた伊方原子力発電所ですが、全発電機が定期検査に入った平成24(2012)1月以降、送電を停止したままになっています。伊方原子力発電所は、道の駅「伊方・きらら館」のある伊方ビジターズハウスバス停の北側にあり、国道からはまったく見えません。

また、佐田岬半島は半島の北側が瀬戸内海に、南側が宇和海に面しており、遮る山岳がないため風が強く、風力発電に適しており、半島の稜線には6箇所、58基の風車が林立しています。


一面の柑橘畑になった山の頂上に、風力発電の大型の風車が幾つも並んでいるのが見えます。


国道197号線の道路脇に立っている風力発電用の風車。随分と小型の風車です。


国道197号線佐田岬メロディーラインは基本的に佐田岬半島の尾根筋の南側を走っているので、バスの車窓には宇和海の絶景が広がります(時折、山の切れ目から瀬戸内海(伊予灘)の景色も見えます)。進行方向左手が宇和海、右手が瀬戸内海(伊予灘)です。日本一細長い佐田岬半島の尾根を縦走する頂上線なので、標高も高く、まさに絶景です。まったく異なる趣きを持った海を左右に見ながらのドライブが楽しめる場所なんて、私は他に知りません。くわえて、路線バス利用の場合、自分で運転する必要もなく、おまけに視点が乗用車に比べて高いので、目一杯この絶景が楽しめます。ずっとあっち見、こっち見で、キョロキョロしていました。


進行方向左側の車窓には宇和海の美しい風景が広がります。

眼下に見える海岸線に幾つかの集落があります。佐田岬半島の海岸線はリアス式海岸で、良港に恵まれ、漁業が盛んなところです。

こういう風景を見ると、どうしても山本コウタローとウィークエンドが歌った『岬めぐり』のメロディー♪が頭の中でリフレインを繰り返してしまうのは、オッサンの証拠ですね()


八幡浜から三崎港口までの間は“◯◯口”という名称のバス停をいくつも通過します。“◯◯口”だらけと言った感じです。これは八幡浜・三崎特急線のバスが通る佐田岬メロディライン(国道197号線)が佐田岬半島の尾根を走るためです。半島の集落は主に海岸沿いにあるため、バス停が国道から分かれて各集落に向かう細い道路との交差点の近くに設置されているためではないかと思われます。


八幡浜から三崎港口までの間は“◯◯口”という名称のバス停をいくつか通過します。


終点の三崎港口に到着しました。松山市駅を出てからちょうど3時間。3時間と書くとけっこうな乗車時間のように思えますが、車窓を流れる美しい風景の数々に見惚れているうちに、あっという間に着いた感じがします。圧巻なのは運賃表示。ここまでビッシリ表示されているのは初めて見ました。


圧巻の運賃表示。ここまでビッシリ表示されているバスの運賃表示は初めて見ました。

バスは、三崎港のフェリー乗り場に隣接する観光交流拠点施設「佐田岬はなはな」の前で終点となります。以前は1つ手前の三崎が終点でしたが、「佐田岬はなはな」の開業に合わせて延伸されたようです。


三崎港です。前述のように、この三崎港からは豊後水道(豊予海峡)を挟んだ対岸の大分県の佐賀関港行きの国道九四フェリーが出ています。国道九四フェリーの名称の通り、このフェリーは国道197号線の海上国道区間になっています。私は20年ほど前に佐賀関港から三崎港まで国道九四フェリーを利用したことがあります。国道九四フェリーの三崎港〜佐賀関航路は四国九州間の最短航路(31km)で、所要時間はわずか70分。毎時1本程度の116往復が運航されていて、便利です。平成27年度(2015)のデータによると、年間の利用客数は約51万人。まさに四国の西の玄関です。


三崎港です。この三崎港からは豊後水道(豊予海峡)を挟んだ対岸の大分県の佐賀関港行きの国道九四フェリーが出ています。


目の前に広がる海は豊後水道の中でも特に豊予海峡と呼ばれる海域です。この日は天気が良かったので、遠くに九州の陸地が見えます。この豊予海峡は全国的に有名な水産品の高級ブランド“関サバ”・“関アジ”の漁場として知られています。ただ、この“関サバ”・“関アジ”は、豊予海峡で漁獲されたサバ()とアジ()のうち大分県大分市の佐賀関港で水揚げされたサバとアジに対するブランド名称で、愛媛県側の三崎漁港に水揚げされたものは、(はな)サバ(はな)アジと呼ばれています。ブランド力としては関サバ・関アジには遠く及ばないのですが、関サバや関アジと同じ場所で育ったサバやアジが手頃な価格と新鮮さで味わえるために、むしろ人気だったりします。


国道九四フェリーの三崎港〜佐賀関航路は四国九州間の最短航路(31km)で、所要時間はわずか70分。この日はよく晴れていたので、対岸の九州・大分県がよく見えました。


豊予海峡は瀬戸内海(伊予灘)と太平洋(宇和海)の境界に位置しており、水温の変化が少なく、餌となるプランクトンが豊富で、潮流が速いため、この海域で生育するサバは肥育がよく身が締まっているという特徴があります。体色はサバもアジも少し金色がかり、腹部に線が入っています。脂肪量の季節変化が小さいのもこの豊予海峡で獲れる魚の特徴です。この海域は波が高く、日本最大の断層帯である中央構造線が通っている関係で海底の起伏が複雑で、漁網を使った漁に適さないため伝統的に「一本釣り」が行われており、関サバ・関アジだけでなく、岬サバも岬アジも一本釣りで獲られたものです。この一本釣りの場合、魚にストレスがかからず、魚体に傷が付きにくく、鮮度が落ちにくいという特徴を有しています。


三崎港です。このあたりは大きな入り江(三崎湾)になっていて、天然の良港です。

三崎湾の対岸です。

こちらは佐田岬灯台に続く佐田岬半島側。半島の尾根筋には風力発電用の大型の風車が幾つも並んでいます。午後からはここをレンタサイクルと徒歩で進んでいきます。

1230分発の国道九四フェリーが、佐賀関港に向けて出港していきました。


三崎港の前に伊方町の観光交流拠点施設『佐田岬はなはな』があります。令和25月に、新たにレストランやカフェを導入し、リニューアルオープンした新しい施設です。『佐田岬はなはな』のはなとは花(Flower)のことではなく、岬(Cape)のこと。このあたりでは岬のことをはなと呼びます。建物内外には佐田岬の文化である「石垣」を随所に取り入れ、佐田岬半島の独特な地形や景観美に触れることのできる施設になっています。

レストランでは佐田岬自慢の魚介類を使用した海鮮丼や定食、しらす丼など充実したメニューが取り揃えられているということなので、さっそくここの三崎港を一望できる絶景のレストランで、昼食を摂りました。いただいたのは『佐田岬はなはな』お薦め№1の「釜揚げ生しらす二色丼」。私は食レポの才能がないので、上手く表現ができませんが、とにかくメチャメチャ美味しかったです。やっぱ、海鮮は現地で水揚げされたばかりのものをいただくに限ります。本当は豊予海峡で獲れた岬サバや岬アジも現地で食べてみたかったのですが、岬サバや岬アジはレストランのメニューに載っていなかったので、もしかすると、大規模な市場を有する八幡浜漁港のほうに水揚げされているのかもしれません。


伊方町の観光交流拠点施設『佐田岬はなはな』です。

『佐田岬はなはな』のレストランお薦め№1の「釜揚げ生しらす二色丼」です。とにかくメチャメチャ美味しかったです。


鉄分補給シリーズ(その4):伊予鉄バス八幡浜・三崎特急線③は明後日(68)に掲載します。

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