2020年12月24日木曜日

中山道六十九次・街道歩き【第16回: 長久保→和田峠】(その5)

左手に鬱蒼と茂った木立の中に、若宮八幡宮の本殿が見えてきます。この神社は武田信玄の信濃侵攻の前に敗れ、自害して果てた和田城主の大井信定父子の首級を埋葬したところと伝えられています。元禄6(1693)、信定寺の和尚が大井信定父子を追悼する碑を立てました。この本殿は江戸時代初めの享保6(1721)に建てられたものだそうです。最近まで茅葺き屋根だったそうなのですが、現在は茅の上をトタンで覆っているようです。本殿は壁面に隙間があって中が丸見えになっているので、一見すると壊れて荒れ果てているのか…と思われるかと思いますが、これが本来の姿なのだそうです。

大井信定父子の墓です。

神社の前の道路には立派な地下道があります。現在、クルマはまったくと言っていいほど通らないのですが、国道142号線バイパスができるまでは、ひっきりなしに大型トラックなどが行き交う交通量が非常に多い幹線道路で、とても横断できる状況ではなかったそうです。

若宮八幡宮から少し行ったところに石塔が立っているのですが、刻んだ文字が風化して、まったく読めません。風化具合から判断するに、相当に古い石塔のようです。

若宮八幡宮から100メートルほどいった先に江戸の日本橋から数えて49番目(196km)の「芹沢(上組)一里塚」の碑があります。塚は昭和35(1960)の道路改修の際に消滅し、現在は一里塚跡を示す石碑のみが残っています。

その芹沢(上組)一里塚跡の前にある「芹沢下」バス停です。このバス停にはバスを待つための小屋がなく、通常のバス停です。ちょっと時刻表を眺めていました。ここを走るバスはJRバス関東が運行受託している長和町営の「長和町巡回バス」。時刻表を見ると平日は16往復。上和田方面に出てくる「男女倉(おめぐら)」とは和田峠の登山口付近の地名です。縄文時代のものと推定される黒曜石の加工場の跡が発見された男女倉遺跡があることで有名なところです。随分と山深いところまで運行されているようです。旧街道の途中でこういうのを見るの、私は大好きです。かつては「路線バスの終点マニア」として、山の中や岬のトッ先の路線バスの終点を訪ねることもやっていました。路線バスの終点とは、基本的に人々が暮らす一番端。そこがどういうところなのかにメチャメチャ興味がありました。最近は過疎化とモータリゼーションの普及によって魅力的な路線バスの終点が少なくなり、「路線バスの終点マニア」としての活動も休止しています。この時刻表に出てくる「男女倉」というなんとも不思議で魅力的な地名。縄文時代の遺跡も残るところなので、どんな風景のところなのか、好奇心が湧き立ちます。

芹沢(上組)一里塚を出てしばらく歩くと、とんがり帽子の屋根が可愛らしい「芹沢」バス停の先でやや急な登り坂に変わります。「狐坂」と呼ばれる坂です。

その狐坂の途中になかなか面白いたくさんのイラストで壁面を飾られた民家があります。アトリエでしょうか。じっくりと観ていたいのですが、団体行動なので先を急ぎます。

振り返ると浅間山が大きく見えます。前述のように、歩いている道がどれだけの登り勾配なのかは、後ろを振り返ってみるとよく分かります。かなりの勾配で登ってきています。

芹沢(上組)一里塚碑を見てから約30分、「狐坂」の緩い坂道を登り切ったところに「是より和田宿」と刻まれた大きな自然石でできた石碑が立っています。このあたりに和田宿の下木戸(江戸方の木戸)がありました。ですが、和田宿の中心はここよりさらに先になります。

和田宿の中に入って行きます。

その「是より和田宿」の碑を過ぎるとすぐに和田小学校と和田中学校が並んで建ち、和田中学校の入り口の脇に「和田埜神社」の鳥居があります。本殿はずっと奥にあるようです。その鳥居の手前に石で組まれた水場が作られ、水が引かれています。生活用水として使われてきた湧水を利用したもののようです。苔むした隙間に樋が差し込んである風景がなんとも素敵です。

和田中学校のバス停です。ここにも宮造り風の屋根をした待合所が建てられているのですが、長和町営のコミュニティーバスを利用して通学する生徒さんが多いのか、この待合所は他の待合所に比べて規模が幾分大きめです。

古民家を活用したお店があります。

さらに和田宿の中心に向かって歩いていきます。このなんとも微妙な左カーブ。いかにも旧街道って感じです。まだ土木建設機器が現代のように発達していなかった頃に建設された道路なので、旧街道は基本的に地形の等高線に沿って伸びています。従って、こういう微妙なカーブが多いのが特徴で、こういうカーブを目にした時、「あっ! この道、昔の街道かな?」って思えるようになったら、あなたは立派な旧街道マニアです。

「和田の原」バス停です。なんとも可愛らしい感じの待合所が建っています。

「歴史の道 中山道」と刻まれた道標が立っています。このあたりからが和田宿の中心地に入ります。

和田城主であった大井氏の居館の鬼門除けに造られたとの伝承がある和田八幡神社です。江戸時代以前は、この八幡神社が宿の入口で「宿の鬼門除け」に建立されたのではないかという説もあるようです。祀られている祭神は、応神天皇。この茅葺きの屋根の古風な本殿は江戸時代中期の作であると推定されています。本殿前には樹齢500年といわれる大ケヤキ()の木が立っています。また、本殿の前に相撲の土俵があります。相撲が盛んな土地柄なのでしょうか。


  

……(その6)に続きます。


 

 

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