2020年8月21日金曜日

いんでこぉーわい

 

公開日2019/9/05

[晴れ時々ちょっと横道]第60回

いんでこぉーわい


6月11()、この日は新居浜・西条経済研究会様からお招きを受けて、愛媛県新居浜市で『気象データはビッグデータ、IoTAIのフロントランナー』と題した講演をさせていただきました。

 現在両親が愛媛県の県庁所在地の松山市に住んでいますし、中学高校時代を香川県の丸亀市で過ごしたので、どうしてもそちらのイメージが強いのですが、実は私の本籍地(父の生家)は愛媛県の今治市(旧越智郡朝倉村)。母の出生地は新居浜市の中萩で、西条高等女学校の出身。私自身も四国中央市(旧伊予三島市)で生まれたので、本当のホームタウンはこの新居浜市や西条市を中心とした東予(愛媛県東部)地方なんです。なので、長く関東地方で暮らしていますが、私が喋る言葉は基本的に東予弁イントネーション。気を抜くと「いんでこぉーわい」や「行きしな」「帰りしな」「あずる」なんて東予弁が自然とクチをついて出てきます。

 愛媛県の方言は東予弁、中予弁、南予弁の3つに大別され、それぞれかなり異なります。以前、東京愛媛倶楽部に入らせていただいていて、首都圏に在住の愛媛県出身者の方々と交流させていただいていたのですが、皆さん、首都圏生活が長く、方言そのものはほとんど出ないのですが、喋り方というかイントネーションだけは生まれ育ったところのものが抜け切れておらず、注意して聞くと、この方は中予のご出身、この方は南予のご出身、この方は東予のご出身ぐらいの区別はなんとなく分かります。

 新居浜市西条市を中心とした東予弁と松山市を中心とした中予弁は「伊予弁」として一括りにされることも多いのですが、実はかなり異なります。決定的に違うことは話すスピード。とにかく話すスピードが大きく異なるのです。全国標準と比較して中予弁は遅く、ゆったりとした感じの言葉に聞こえます。南予弁になるとさらに遅く、かなりゆぅ〜ったりとした口調で話します。ところが東予弁は全国標準よりかなり速く、キツイ言い方をさせていただくと、まくし立てるように喋ります。私の感覚では全国的にも群を抜いて速く喋る方言が東予弁ではないかと思っています。早く喋ることから独特のイントネーションになっちゃうんです。他の地方の人が東予の人同士が喋っているのを聴くと、極々普通の会話でも喧嘩しているのではないかと勘違いする人が続出すると言われています。それって、きっと早口でまくし立てるように喋る方言だからなんでしょうね。まぁ〜、東予の方には申し訳ないのですが、全国的に見てもあまりお上品な方言であるとは言えません(私もその東予弁イントネーションの1人ですし、あの映画『翔んで埼玉』を大笑いして観た埼玉県在住者ですので、自虐ネタです)。私もよく早口だとか、機関銃のように喋る…と言われることがあるのですが、それって生まれた時から身についた東予弁イントネーションだからなんですよね(言い訳にはならないか)。まぁ〜、両親の使う言葉が東予弁なので、仕方ありません。(妻や子供達からも指摘されるので、これでも、一応、直そうと気をつけてはいます。)

 ちなみに、前述の「いんでこぉーわい」は「帰ってくるね」。「行きしな」は「行く途中で」、「帰りしな (戻りしな)」は「帰る途中で」という意味です。「あずる」はちょっと難しくて、「手こずる。あがく。もがく。難儀する」という意味です。さいたま市の我が家では、これらの言葉は鹿児島県出身の妻も埼玉生まれ埼玉育ちの子供達も私の前では使ってくれています。特に「あずる」は動詞で、動詞なので後ろにつく語によって、未然形、連用形、終止形、連体形、仮定形、命令形の6つに活用します。

 

未然形:あずらない、あずらん

連用形:あずります、あずいた

終止形:あずる、あずっりょる

連体形:あずるとき

仮定形:あずれば

命令形:あずれ、あずり!

 

基本的にラ行の五段活用ですが、「あずらん」「あずいた」「あずっりょる」「あずり!」のような活用語尾の変化球も時々使われます。

 東予弁には「あずる」以外にも難解な(誤解を招く)言葉があります。その一番手が「まくる」。東予では「捨てる」ことを「まくる」と言います。「これ、まくっといて」と言われても裏側を「捲る(めくる)」というわけではありません。「これを捨ててください」という意味です。

また、「取れる」ことを「のく」と言います。例えば、「ボタンがのけた」は「ボタンが取れてしまった」という意味です。ただ、この場合の「のく(取れる)」は物理的にモノが脱落するという意味で、同じ「取れる」でも、「予約が取れる」を「予約がのく」とは言いません。また、「のける」には「片付ける」という意味もあり、「これ、のけといて」は「これを片付けてください」という意味です。

自分のことを「儂(わし)」という人が多いのも東予地方の特徴です。私達の世代ではふつうに「儂(わし)」を使いますし、若い世代の人でもいまだに自分のことを「儂(わし)」という人がいるようです。 

また語尾に「…わい」を付けることも多く、「儂(わし)がしょうわい」は「私がしましょう」という意味です。同じ意味で「儂(わし)がしちゃろ」という表現もあります。語尾に「かい」を付けることも多く、これを付けると命令形になります。例えば、「これ、せんかい」は「これをしなさい」という意味です。なので「捨ててください」は「まくらんかい」となります。 

このあたりは私も埼玉県さいたま市の自宅では極日常的に使っています。ビジネスシーンでも気が許せる会社内や飲み会の場等ではふつうに使っていたのではないか…と思っています(私はまったく自覚していないのですが…)

そうそう、最近、埼玉県さいたま市の自宅で遊びに来た2人の孫に向かって「自分で遊んだオモチャ、のけんかい! のけんと、ジイジがまくるぞ!」と言ったら、「へっ!?」って怪訝な顔をされちゃいました。生まれ育った場所の言葉って、いつまで経っても抜けませんね。

そういう私のホームタウンとも言える東予地域での初めての講演だったので、いつもよりちょっと力が入り過ぎたかな…って感じです。周囲を飛び交う話し声が耳に馴染みの言葉過ぎて、あまりに心地よくて嬉しかったですし。私もビジネスシーンではこれまで封印してきた東予弁イントネーション全開で、すなわち、いつもよりさらに早口で、脱線しまくりでした…ちょっと反省。聴いていただいた地元東予の皆様の今後のビジネスに少しは参考になればいいのですが……。

新居浜市は瀬戸内有数の工業都市。江戸時代に開坑された別子銅山で繁栄の足がかりを築き、その後、産業機械・化学工業・非鉄金属など住友グループとその協力企業群により発展を遂げてきました。住友グループの企業城下町として有名であり、よく「工都・新居浜」と表現される都市です。隣接する西条市は古くは西条藩が置かれた城下町でしたが、現在は新居浜市と工業のみならず商業においても一体化が進んでおり、1つの経済圏をなしています。臨海部は、東は四国中央市から、新居浜市、西条市、今治市、そして西の松山市へと繋がる中国四国地方で最大規模の工業地帯(瀬戸内海工業地帯)を形成しており、素材、半導体、造船、飲料、発電、鉄鋼など、工業立地の形態が多種多様な分野に至るのが東予と呼ばれるこのあたりの特徴です。なので、今日、聴いていただいた約80人の皆さんの業種も多岐に渡っていました。

講演終了後は、一度行きたいと思いながら、これまでなかなか行けなかった念願の場所に行ってきました。それが伊予西条駅にある『鉄道歴史パーク in SAIJO』。ここには四国鉄道文化館と十河信二記念館があります。「新幹線の生みの親」と言われる第4代国鉄総裁 十河信二氏は私の母と同じ新居浜市中萩(当時は新居郡中萩村)の出身で、旧制西条中学校卒業。第2代の旧西条市長も務めました。第4代国鉄総裁として、熱い情熱と卓越した手腕で夢の超特急東海道新幹線計画を実現した日本鉄道界、いや世界鉄道界の偉人です。その十河信二氏の業績を讃えるために市長も務めた西条市に設けられたのがこの『鉄道歴史パーク in SAIJO』です。

四国出身の鉄道マニアとしてはここには絶対に行かないといけない…と、なかなかその機会に恵まれず、ずぅ〜っと行けないままになっていました。今回、新居浜市で講演することになり、帰りに絶対に立ち寄ろうと思っていました。その念願が果たせました。いやぁ〜、よかったです。大宮の鉄道博物館や京都鉄道博物館のように規模の大きい施設ではないのですが、十河信二氏が生みの親と言われる「0系新幹線車両」のほか、主に四国で活躍したDF50形ディーゼル機関車をはじめとした幾つかの車両や鉄道に関する貴重な資料が展示されていて、四国の鉄道マニアにとっては大満足でした。おかげでこのところ不足気味だった“鉄分”の補給がたっぷりとできました。

 

【追記1】

ちなみに、鹿児島県大隅半島出身の妻は見事なまでにバイリンガル。上手に標準語と言われる東京周辺の言葉と地元の鹿児島弁を使い分けます(イントネーションを含めて)。あれだけ極端な方言だと、それもできるのかもしれませんね。その点でいうと、東予弁は中途半端なのかもしれません。


【追記2】

私のコラム『晴れ時々ちょっと横道』も今回が第60回。毎月1回の連載ですので、第60回ということは、連載開始からまる5年が経過したことになります。愛媛県に関係して軽めのコラムが書ける人ってことでの人選でご依頼を受けて連載を開始したのですが、Web版とは言え、新聞にコラムを連載するなんて初めての経験だったので、こんなに長く連載を続けられるとは思ってもいませんでした。

当初は慣れてなくて、毎回原稿を書き上げるたびにネタ切れの恐怖に怯えていたようなところがありましたが、ネタって自分の周りにいろいろあるってことですね。最近は「さぁ〜て、次は何を書こう…」と前向きに考えられる余裕も出てきました。それもこれもお読みいただいている読者の皆様のおかげです。連載開始からまる5年、第60回を執筆するにあたり、読者の皆様に感謝申し上げます。

次号第61回から6年目に突入します。私といたしましては無理のない範囲で連載を続けていきたいと思っておりますので、引き続きよろしくお願いいたします。

 

昭和39(1964)101日、東京〜新大阪間の東海道新幹線開通時に登場した、ご存知 「0系新幹線車両」です。

鉄道車両の近代化と輸送量の増加に対応するため、蒸気機関車に替わる主力機関車として昭和32(1957)に登場したのがこの「DF50形ディーゼル機関車」。昭和38(1963)までに138両が作られ、予讃本線や土讃本線といった四国の路線で、客車や貨車を牽引して活躍しました。展示されている車両はその1号機。昭和32年に新三菱重工三原製作所で作られ、高松機関区に配属された車両です。

「新幹線の生みの親」と言われる第4代国鉄総裁 十河信二氏の銅像が立っています。

四国鉄道文化館の北館です。ここには0系新幹線車両とDF50形ディーゼル機関車、その他四国の鉄道に関する貴重な史料が展示されています。

こちらは四国鉄道文化館の南館。南館の前にはフリーゲージトレイン(軌間可変電車)の第2次試験車が展示されています。

フリーゲージトレイン(軌間可変電車)は、新幹線の標準軌(1,435mm)と在来線の狭軌(1,067mm)の異なる軌間(ゲージ)に車輪の左右間隔を自動的に変換して、直通運転を可能とする電車です。四国に新幹線を引く計画の中で試作が行われました。

これは懐かしい!! 四国の特急列車のヘッドマークとサボ(列車行先札)です。

0系新幹線車両の車内です。

0系新幹線車両の憧れの運転席です。意外とシンプルです。

DF50形ディーゼル機関車の運転席です。重厚な感じです。

かつて四国を走っていた急行列車のヘッドマークです。「急行うわじま」は予讃本線の高松〜宇和島間を、「急行土佐」は土讃本線の高松〜高知間を走っていました。よく乗りました。

C57形蒸気機関車です。C57形蒸気機関車は昭和12(1937)から昭和22(1947)までの間に201両が量産された高性能の旅客用蒸気機関車です。C57形蒸気機関車は美しくスマートなたたずまいで、ファンからは「貴婦人」の愛称で呼ばれています。昭和50(1975)1214日に国鉄最後の旅客列車を牽引した蒸気機関車としても知られています。

C57形蒸気機関車の運転席です。クルマのアクセルに相当する加減弁や、逆転機やブレーキ等のレバー類、蒸気圧計や速度計などの計器類が並んでいます。蒸気機関車は石炭を燃やした蒸気で動く仕組みになっているので、機関助手は走行中ずっと投炭作業を行います。まさにアナログ。いいですねぇ〜。

キハ65形急行用ディーゼルカーです。キハ65形は強力な駆動エンジンと冷房電源エンジンを搭載した急行用ディーゼルカーとして昭和44(1969)に登場し、昭和47(1972)までに104両が製造されました。大出力エンジンと冷房用の電源を持ったキハ65形急行用ディーゼルカーの投入は、四国山地越えや法華津峠等の急勾配区間を抱える四国の各線区の急行列車の冷房化を可能としました。

キハ65形急行用ディーゼルカーの車内です。懐かしい

DE10形ディーゼル機関車です。DE10形ディーゼル機関車は入換用およびローカル線用に開発され、昭和41(1966)から昭和53(1978)までに708両が製造されました。昭和41年に試作車2両が松山機関区に配置されたのですが、展示されている車両はその試作車2両のうちの1号機です。

四国鉄道文化館の南館にはHOゲージのジオラマが展示されています。ジオラマは四国各線区の特徴的な風景を再現しています。走るのは、現在のJR四国の主力車両です。

西条市と言えば豪華絢爛に飾りつけられた「だんじり」で有名です。ジオラマではその「だんじり」が1/80縮尺のミニチュアで再現されています。よく出来ています。

昭和346月時点での伊予西条駅の時刻表です。特急や急行は走っておらず、優等列車は準急のみ。それも高松〜宇和島間の「準急いよ」と「準急せと」、高松〜松山間の「準急やしま」の3往復だけでした。「高松桟橋」というのは現在の高松駅のことで、本州に渡る宇高連絡船への乗換駅でした。

伊予西条駅は西日本最高峰、霊峰石鎚山(標高1,982メートル)の登山口駅です。手前に見える山が瓶ヶ森(標高1,897メートル)。残念ながら、石鎚山の山頂付近は雲に隠れています。

西条市のすぐ南側には中央構造線が走っていて、伊予富士(標高1,756メートル)や笹ヶ峰(標高1,859メートル)といった標高1,700メートルを超える四国山地の高い山々が屏風のように立ち並んでいます。

横をJR四国の主力車両である8000系直流特急形電車が発車していきました。子供達が大喜びする「アンパンマン列車」です。

伊予西条からはJR四国の新鋭特急形電車8600系を使った「特急しおかぜ・いしづち」で松山に帰りました。この8600系直流特急形電車は曲線での速度向上のため、車体傾斜制御装置を搭載した振り子制御列車です。蒸気機関車を模した先頭部が特徴的です。

先頭部同士の連結部はさらに特徴的です。

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