2020年2月21日金曜日

甲州街道歩き【第11回:真木→笹子峠】(その5)

小山田信茂の首塚から国道20号線に戻り、甲州街道歩きの再開です。唐沢橋で唐沢を渡ります。
 唐沢橋を渡ると左側の一段高くなった石垣の上に大量の石塔石仏群が並んで祀られています。石地蔵や秋葉常夜灯なども含まれているので、国道を整備した際に、近隣のあちこちから集められて、ここに祀られたものではないかと想像されます。
 船石橋で笹子川を渡ります。船石橋から見た笹子川の上流部分には堤防部分がブルーシートで覆われた箇所があります。昨年の台風19号の爪痕でしょうか。このあたりも台風19号による豪雨で、被害を被ったところですから。
   船石橋を渡った左側に「船石道標」と「船石由来碑」が建てられています。由来碑には縷々記されているですが、かい摘んで説明すると、言い伝えによれば親鸞聖人が甲斐国を訪ねられた折、この場所にあった舟形石(船石)の上に座り説法されたと言うことのようです。明治40(1907)の笹子川氾濫によって、その船石は失われてしまい、現在は船石のあった場所にこの石碑が建てられているのだそうです。
 この先は国道20号線をテクテク歩いてゆくのですが、ここまでずぅ〜っと緩やかな登り坂だった道が珍しくこのあたりだけは比較的平坦な道になっていて、ほっとします。
 旧甲州街道は、この先、JR中央本線の高架の手前右側にある民家と工場の間を山のほうへ登っていき、目の前の山を大きく迂回するルートを辿って次の白野宿へ入っていくのですが、残念ながら現在は道が途中で無くなっているので、仕方なく国道20号線をそのまま歩きます。ちなみに、この細い道が旧甲州街道です。
  目の前のJR中央本線の高架を最新鋭のE353系特急型電車を使った「特急あずさ」が通り過ぎていきます。

高架になったJR中央本線の線路の向こうに、もう1本、高架の線路跡(橋脚跡)が見えます。単線時代の中央本線が使っていた高架の橋脚でしょうね。
 このあたり、国道20号線には歩道がありません。進行方向右側は高い崖、左側のガードレール下は笹子川の深い谷。しかもJR中央本線の高架下を潜った先は右へカーブして先が見えません。そこを大型トラックが猛スピードで通り過ぎていきます。ここがこの日一番怖い区間でした。その右カーブを曲がった先で右に脇道に入り、清流の滝子川の脇を少し上流に向かって登ります。
  しばらく坂道を登ると左手に比較的新しい「双体道祖神」が祀られていて、その左横に「一里塚跡 白野」と記された案内標柱が立っていました。ここが江戸の日本橋を出てから25里目(すなわち、ちょうど約100km)の「白野(しらの)の一里塚」跡です。JR中央本線の高架橋の手前で旧甲州街道は右手の山のほうに分岐していったのですが、旧甲州街道は右手の山裾を通り、滝子沢を渡ってこの場所を通り、さらに山裾を進んで次の白野宿に入って行ったものと推測されているのですが、その旧道らしきものは一里塚と同様にどこにも見当たりません。道祖神や一里塚跡を示す標柱の背後にはフェンスがあり、その先に進むことはできず、ここまで登ってきた道をさらに進むと中央自動車道を潜るトンネルにぶつかります。旧甲州街道は、度重なる水害や鉄道(現在のJR中央本線)の敷設や中央自動車道の建設により、このあたりでは寸断されたり崩されたりして、地形そのものが変わり、かつてのルートはかなり失われているのでしょうね。
 ここは…!!(絶句)。白野一里塚跡から見たJR中央本線です。このS字カーブとトンネル。ここは知る人ぞ知る鉄道写真の有名な撮影ポイントなのです。こういう時に限って肝心の列車がやって来ないんですよね。残念……
  国道20号線に戻り少し歩くと、右に分岐する道があります。ここが白野宿の入口です。旧甲州街道は右手に見える山を迂回してここに入ってくるので、もう少し先から宿場に入っていることになります。


……(その6)に続きます。

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