2019年7月23日火曜日

甲州街道歩き【第14回:韮崎→蔦木】(その2)

七里岩ラインとの分岐点からしばらく歩くと、右側の石垣の上に行人塚が祀られています。行人塚とは、山伏などの行者が入定して往生したと伝えられている塚のことです。入定して往生したということは、生きたまま埋葬され、即身成仏したということ。おいおいおい、いくら信心深いと言っても、そこまでやるか!?…って思ってしまいます。
一ツ谷交差点で国道20号線に合流します。この一ツ谷交差点は国道20号線から国道141号線が分岐する交差点でもあります。国道141号線は、ここから七里岩の下をトンネルで抜け、国道20号線(甲州街道)とは反対側の七里岩の東側の崖下を流れる塩川に並行して伸び、長野県に入って清里、野辺山を越え上田市まで伸びています。この国道141号線はかつての佐久甲州往還()の道筋です。
その一ツ谷交差点の三角地帯に安政4(1857)に建立された「水神宮」が祀られています。韮崎の周辺ではこのような「水神宮」をこの先もところどころで見掛けます。侵食によって七里岩を形成した釜無川です。たびたび氾濫を繰り返したのでしょう。この「水神宮」も釜無川の氾濫に悩む村人が、釜無川を鎮めるために設置したものでしょう。
ここからは国道20号線脇の歩道を進みます。国道20号線に合流し数分歩くと 「十六石」と刻まれた石碑が立っています。横に立つ説明書きによると「武田信玄公が治水に力を入れたのは有名だが、まだ晴信といわれた天文123年頃、年々荒れる釜無川の水害から河原部村(現韮崎町)を守るため、今の一ッ谷に治水工事を行った。その堤防の根固めに並べ据えた巨大な石が十六石で、その後徳川時代になって今の上宿から下宿まで人家が次第に集まり韮崎は宿場町として栄えるようになったといわれている。」のだそうです。
傍にちょっと大きな石が置かれていますが、巨大な石というほどの大きさではなく、これは最近になって地元の人によって置かれた十六石のレプリカのようです。
一ツ谷の公民館の庭奥に「お地蔵様」が鎮座しています。お地蔵さんのトレードマークである赤いよだれかけや帽子を身につけています。お地蔵さんは、何故このよだれかけや帽子を身につけているのかご存知ですか?
日本の昔話にもよく登場するお地蔵さん。なんだか見た目が可愛らしくて、私達は親しみをもって「お地蔵さん」とか「お地蔵様」とか言ってますよね。ですが、このお地蔵さん、仏教の世界では位の上のありがたい仏様なんです。お地蔵さんの正式名称は「地蔵菩薩」といいます。仏教の世界では上から如来⇒菩薩⇒明王⇒天部という位になっています。なので、お地蔵さんはなんと如来の次の位の菩薩だったんです。お地蔵さんはサンスクリット語ではクシティ・ガルバといい、すべての人々を救うために活躍してくれています。また、お地蔵さんは、親より先に亡くなってしまい、賽の河原をさまよう子供たちを救う役割も担っています。さらに、病気を治してくれる、身代わり地蔵としての信仰も全国各地に残っています。お地蔵さんが街道の脇に祀られていることが多いのは、道祖神という旅の神様としての役割も担ってもいるからです。

で、お地蔵さんが赤いよだれかけと赤い帽子をしていらっしゃる理由ですが、これは賽の河原をさまよう子供達を救う役割を担っているので、子供を守る神様としての信仰もあるからなんです。子供達が元気に育ちますように…と、赤いよだれかけや帽子をお地蔵さんに奉納しているんです。赤い色は魔除けの効果があると信じられているので、お地蔵さんに赤い前掛けや帽子を奉納するようになったのだそうです。

以上、チコちゃんに叱られないための豆知識です。

このあたりは七里岩の崖下にへばりつくように民家が建っています。家のすぐ背後にあれだけ垂直に切り立った崖があって、崩れてくるのではないか…と心配になってきます。
これも旧街道歩きの定番、常夜燈と秋葉大権現です。
生コン工場の敷地内に石祠三社が祀ってあります。九頭龍社です。九頭龍とは、九つの頭を持つ巨大な龍(大蛇?)のことで、北陸の福井県に九頭竜川があるほか、長野県の戸隠山や神奈川県の箱根をはじめ日本各地に九頭龍(大神)に関する伝承・伝説が残っています。神話に出てくる龍(大蛇)はたいていは氾濫をたびたび繰り返す暴れ川のことで、九頭龍の霊魂を鎮め供養するということは、河川が氾濫しないように祈願するということ。先ほどあった「水神宮」と同じように、たびたび氾濫を繰り返して七里岩をも侵食した釜無川に並行して伸びる旧甲州街道沿いには、この先も九頭龍社が幾つも祀られています。
その九頭龍社の先で、旧甲州街道は国道20号線から分かれ、右の脇道に入っていくのですが、この分岐点には大きな「水難供養塔」が建てられています。この水難供養塔は昭和34(1959)に台風7号及び台風15(伊勢湾台風)の襲来によりすぐ近くを流れる釜無川がいたるところで氾濫して、甚大な被害を出す大水害に遭った際の犠牲者を供養するために建てられたものです。合掌………
昭和34810日、マリアナ東方洋上に発生した熱帯性低気圧が北西進して、1210時に硫黄島の南東約500kmで台風7号となりました。台風7号はその後毎時50km内外に速度を速めて北上し、146時半頃にはついに富士川河口付近に上陸しました。その後台風7号は富士川に沿って北上し、猛烈な暴風雨を伴って7時ごろより山梨県に襲来しました。台風7号が上陸する直前の812日午後から13日にかけて、前線活動による大雨が降り、河川がかなり増水していたところへ (前線による大雨がまだ終息していないうちに) 台風7号の直撃となったので、河川の氾濫が続出し、明治40年以来の大水害となりました。その特徴は山崩れによる多量の土砂と流木を交えた濁水の氾濫が多かったことです。特に水害の中心は、山梨県西部の韮崎市から釜無川をはじめとした富士川上流に集中し、大武川の氾濫では、武川村で128戸が一瞬にして濁流に飲まれ、23名の死者及び行方不明者を出したのをはじめ、山梨全県下で流失全壊家屋1,911戸、死者行方不明者89名に達しました。また、長野県富士見町でも山津波によって、死者・行方不明者 19名を出しています。

また、同じく昭和34年には、その台風7号だけでなく、台風7号から約40日後の926日には超大型台風である台風15号、いわゆる「伊勢湾台風」が襲来し、山梨県も全県にわたり、最大雨量487ミリ、平均最大風速29.8メートル、瞬間最大風速37.2メートルに達する暴風雨に見舞われました。台風15号は、山梨県周辺では台風7号よりも少ない降雨量ではあったのですが、強風のため、多くの家屋損壊を発生させました。また、台風7号によって堤防が破壊されていたところは、再び河川氾濫による大きな浸水被害を受けました。

旧甲州街道は国道20号線から分かれ、国道20号線と並行するように伸びています。
田植えも終わり、青々とした水田の向こう側には七里岩のほぼ垂直に切り立った険しい断崖が続いています。
下祖母石の集落に入ります。静かな通りを歩くとナマコの白壁の民家が建ち並んでいます。さすがに旧甲州街道。歴史を感じさせる光景です。
そのナマコの白壁の民家が建ち並ぶ前に小さな石標が立っています。「韮崎市石標」です。石標と言っても、旧北巨摩郡韮崎町・穂坂村・藤井村・清哲村・神山村・大草村・竜岡村・旭村・中田村・穴山村・円野村が合併して韮崎市ヶ発足したのは昭和29(1954)のことなので、そんなに古いものではありません。
旧甲州街道の面影が残る道を進みます。このあたりは豪農が幾つもあったようで、長屋門を持つ家や、家紋が掲げられた白い漆喰の土蔵が建つ家が建ち並んでいます。
その中に茅葺きの武家門を持った大きな家もあります。武田家家臣団の1人、宮方家の屋敷で、現在もこの地で30代続いているのだそうです。
神明宮の鳥居です。神明神社は天照大御神を主祭神とし、伊勢神宮内宮を総本社とする神社のことで、神明社、神明宮、皇大神社、天祖神社などともいい、通称として「お伊勢さん」と呼ばれることが多い神社です。神社本庁によると日本全国に約5千社あるとされていますが、一説には約18,000社あるともいわれています。こじんまりしていますが、ちゃんと狛犬もいて、神社らしい神社です。
青々とした田圃の脇に享保6(1721)の建立だという表面が赤い「南無阿弥陀仏」と刻まれた石碑(念仏碑)が立っています。お地蔵さんのところで書きましたが、赤い色は魔除けの効果があると信じられていたので、赤く塗られていたのでしょう。今は年月が経ってかなり色が褪せてきていますが、建てられた当初は真っ赤に塗られていたのでしょうね。
こちらは進行方向左手、南アルプスの方面を見たところです。さすがに今日はどしゃ降りの雨の中の街道歩きを覚悟していたのですが、スマホに登録してある松山市やさいたま市の“本降りメール”や“どしゃ降りメール”、“カミナリ用心メール”が次々と飛び込んで来る中、ずっと雨は降り続いていますが、幸いなことに“どしゃ降り(時間雨量換算で20ミリ/時以上)”本降り(同じく5ミリ/時以上)”に見舞われることはなく、これまでのところはほとんどが時間雨量換算で1ミリ/時以下の小雨で、時折1ミリ/時以上5ミリ/時未満の弱い雨”に変わる程度の雨の降りかたで済んでいます。スマホで気象庁の降雨レーダーの様子を見ても、日本第2位の高峰である北岳、山脈名の由来である赤石岳を筆頭に9山の標高3,000メートルを超える峰が屏風のように立ちはだかる南アルプス(赤石山脈)の高い山々に遮られて、このあたりには極々弱い雨域しかかかっていません。南アルプスの南側はかなり強い雨が降っているようです。南アルプスの高い山々が強い雨雲をしっかりとブロックしてくれているおかげで、「晴れ男のレジェンド」は984ヘクトパスカルの低気圧との戦いを、これまでのところ、なんとか引き分けに持ち込めているようです。
このあたりの七里岩は特に崖下との比高が高くなっています。このあたりの七里岩の台地の上は新府城の本丸があったところらしいです。
上祖母石集落の旧甲州街道の趣きの残る道を進みます。
道祖神などの石塔石仏群が集められて祀られています。
石塔石仏群の先で国道20号線に合流します。

この日のお昼は、この合流地点のすぐ先にあるコンビニエンスストアの駐車場に停められた観光バスの車内で、お弁当をいただきました。


……(その3)に続きます。

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