2019年1月10日木曜日

大人の修学旅行2018 in出雲松江(その4)

JR米子駅です。前述のように、米子駅はJR山陰本線と境線、伯備線の分岐点に当たり(正しくは伯備線は2駅東側の伯耆大山駅で分岐)、かつては米子機関庫が置かれていた山陰地方における鉄道の要衝です。伯備線が電化されているため、山陰本線も伯耆大山駅と出雲市駅の1駅西側の西出雲駅間は電化されていますが、それ以外は非電化の路線なので、ディーゼルカーが主力です。


私が米子駅に着いた時、ちょうどJR西日本の観光列車『あめつち』(鳥取駅〜出雲市駅間)がホームに停車中でした。『あめつち』はJR西日本が今年の7月から運行を開始した観光列車で、列車愛称の『あめつち』は、山陰地方が舞台の神話が数多く収録されている『古事記』の書き出しの一節「天地(あめつち)の初発(はじめ)のとき」に由来しています。古いキロ47形ディーゼルカー2両編成を改造した専用車両が使用されていますが、全車グリーン車。塗装は、側面上部は山陰の美しい空と海をイメージした紺碧色で、側面下部にはかつてこのあたりで栄えた“たたら製鉄”にちなみ、日本刀の刃をイメージしたグレーとシルバーで塗装されています。車内も相当に凝った装飾が施されているようで、乗ってみたくなる衝動に駆られてしまいます。しかしながら、この観光列車『あまつち』の米子駅発は1106分。終点の出雲市駅着は1247分。これだと『大人の修学旅行』の集合時間である1230分には間に合わないので、それは断念。ホームで発車を見送ることにしました。

定刻1106分、観光列車『あまつち』はゴォー!という重低音のディーゼルエンジン音を響かせて米子駅を発車していきました。ホームには何人もの鉄道マニア(撮り鉄)の皆さんがビデオカメラや一眼レフカメラを構えてその様子を撮影しています。そういう方々の邪魔にならないように、私は愛用のiPhoneでパチリ! 週末ということで、この日も観光列車『あまつち』はほぼ満席。JR九州の『ななつ星in九州』やJR西日本の『トワイライトエクスプレス瑞風』をはじめ、現在、全国各地のJRや私鉄で観光列車が運行されていて、鉄道マニアのみならず、多くの旅行者から人気で、新たな鉄道需要を引き起こしているようです。いいことです。



米子駅の反対側には朱色に塗装されたたくさんのキハ40系ディーゼルカーが停車しているヤード(操車場)があります。ここはJR西日本の米子運転所で、元の米子機関区(機関庫)です。米子駅は前述のように山陰本線や伯備線、境線が乗り入れる山陰地方の交通の要衝であることに加えて日本海縦貫の大幹線路線・山陰本線(京都駅〜幡生駅(はたぶえき:山口県下関市)のほぼ中間地点にあたり、また米子駅から境線で2駅先に行った富士見町駅から次の後藤駅間には境線の線路と並行して大規模な車両工場があるJR西日本の後藤総合車両所(旧国鉄の後藤工場)があり、この米子駅の大規模な車両基地は後藤総合車両所の運用検修センターでもあります。あのヤードに並んだ朱色に塗装されたたくさんのキハ40系ディーゼルカーはおそらく車両工場で整備を終えた(あるいは整備を待つ)JR西日本の各路線で活躍する車両なのかもしれません。

ちなみに、この後藤総合車両所(旧国鉄後藤工場)は鉄道マニアの間ではちょっと有名なところで、JR西日本に在籍するすべてのディーゼルカーやディーゼル機関車に搭載されるディーゼルエンジンの整備を行っているほか、電車やディーゼルカーといった車両の新造業務も行っています。米子運転所の車両基地内にはかつて山陰本線などで活躍したC57形やD51形といった蒸気機関車がしばしの骨を休めた扇形機関庫(せんけいきかんこ)と蒸気機関車の向きを変えるための転車台が残されていて、現在も使用されています。昔の様子をイメージすると、鉄道マニアとしてはちょっと興奮してきます。


私が乗る「特急やくも5号」は米子駅1118分発。さすがに米子駅は山陰地方の交通の要衝です。観光列車『あまつち』が発車していってから10分ちょっとの間にも何本もの列車が入線してきます。これは山陰本線の倉吉駅行きの普通列車。JR西日本のキハ126系ディーゼルカーです。


これは同じくキハ126系ディーゼルカーの石見神楽ラッピング車。山陰本線の下り方向(西方向)からやって来たので、たぶん島根県の西端の益田駅か浜田駅あたりからやって来たのでしょう。


跨線橋を渡って隣の0番ホームには境線の境港駅行きの鬼太郎列車が到着しました。この米子駅の0番ホームには、境線の駅としての愛称として「ねずみ男駅」という駅名が特別に付与されています。跨線橋を渡って近くで写真を撮りたかったのですが、特急やくも5号の入線時刻も迫っていますし、なにせこちらは1011日という長期の旅の途中。大きなスーツケースを携えているのでそれも断念。特急やくも5号の着く2番線ホームからの撮影になりました。鬼太郎列車に使用されている車両はJR西日本のローカル区間ではお馴染みのキハ40系のキハ47形ディーゼルカーですが、車体全体に境港市出身の漫画家水木しげるさんの作品『ゲゲゲの鬼太郎』に登場するキャラクター達のイラストが描かれています。車内アナウンスもアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』の声優さん達の声によるものなのだそうです。こりゃあお子様達には大人気でしょうね。ちなみに、境線が発着する「0番のりば」は、番号の読みである「れい」に引っ掛けて、「霊番のりば」とも呼称されています。


おっ! キヤ143形ラッセル車です。このキヤ143形ラッセル車はJR西日本の最新鋭の除雪車です。沖の日本海を暖流である対馬海流が流れ、中国大陸や朝鮮半島から非常に冷たい北の季節風が流れ込んでくる冬の山陰地方は北陸地方と並んで日本でも有数の豪雪地帯なので、12月に入って、もう除雪車の準備が始まっているのですね。このあたりもこれから厳しい冬に入ります。


定刻の1117分、岡山駅始発の特急やくも5号出雲市駅行きがホームに入線してきました。特急やくも5号に使用されている車両は381系直流特急形電車。JRの前身である日本国有鉄道(国鉄)1973年から1982年にかけて設計・製造した振り子式の車体構造を持つ車両です。特急やくも5号が運行されている伯備線は中国地方の山陽(瀬戸内海側)と山陰(日本海側)を高い山々が折り重なるようにして続く中国山地の中を縫うようにして延びる陰陽連絡線の1つで、地形上の問題から勾配や急カーブが多く、出力の増大によるスピードアップには限界がありました。そこで当時の国鉄が曲線通過速度を向上させることを目標に開発したのが振り子式のこの381系直流特急形電車で、その特殊性ゆえか、伯備線への導入開始から40年近くも経過した現在でも、伯備線の看板列車として活躍しています。


この特急やくも5号には地元香川県在住組と関西地方在住組という今回の『大人の修学旅行』の参加者の主力組が乗っているはずです。彼等とここで合流です。

特急やくも5号の自由席車に乗り込み、やれやれと座席に座り込むと地元香川県在住組のノリコさんと関西在住組のバンタローが相次いで会いに来てくれました。この2人とは3月に開催された『大人の修学旅行2018in鹿児島』以来9ヶ月ぶりの再会です。彼等の顔を見ると、もう完全に高校時代の愛称「エッチャン」モードに切り替わっちゃいます。嬉しいですね。彼等は904分岡山駅始発のこの特急やくも5号に始発の岡山駅から乗り込んでいるので指定席車。それも地元香川県在住組と関西在住組は別々の車両なので、JR出雲市駅で正式にみんなと合流することとし、それまでの1時間弱は気ままな一人旅で車窓の景色を楽ませていただくことにしました。久々の在来線の特急列車の旅、このところ若干鉄分が不足気味だったので、その補充にはピッタリです。

山陰本線のこのあたりはJR西日本が観光列車『あめつち』を運行しているくらいで、車窓の景色はいろいろと変化があって楽しいです。米子駅を発車してしばらく走ると右側の車窓には中海が見えてきます。ほどなく次の停車駅である松江駅に停車。なるほど、米子市と松江市は県は違っても同じ都市圏と言っても言いほど近い位置関係にあります。松江はこの日の宿泊場所でもあります。

松江駅を発車すると、右側の車窓には、今度は日本百景の一つ、宍道湖が見えてきます。宍道湖は島根県東北部の松江市と出雲市にまたがる日本国内で7番目、島根県内では鳥取県との県境に位置する中海に次ぎ、2番目に大きな湖です。形状は東西に長い長方形をしていて、東西約17km、南北約6km、周囲長は約47km、湖面面積は79.25平方kmです。湖の面積の約5割が水深5メートル以上あり、湖底はほぼ水平となっているのだそうです。


宍道湖は主に大橋川・中海・境水道を介して日本海と接続し、淡水湖ではなく汽水湖となっています(平均塩分濃度は海水の約1/10)。このように宍道湖は汽水湖であるため魚貝類の種類が豊富で、スズキ、ボラ、ウナギ、アマサギ(ワカサギ)、コイ、シラウオ等の魚類やモロゲエビ(ヨシエビ)をはじめとした甲殻類、ヤマトシジミ、イシマキガイ、カワザンショウガイ等の貝類が生息しています。特に、シジミ漁が盛んなことで知られています。現在、シジミの漁獲高は全国計で年間9,580トンですが、そのうちの漁獲高トップは島根県で4,172トン。全国シェアでは43.5%となっています。その島根県の漁獲高のほとんどはこの宍道湖によるものです。ちなみに、2位は十三湖を擁する青森県で全国シェアは32.8%3位は北海道で9.7%の全国シェアとなっています (数字は平成28年のデータです)

JR山陰本線はこの宍道湖の南側に沿って延びています。なので、右側の車窓にはしばらく宍道湖の静かな湖面が広がります。横を通る道路は国道9号線です。湖面の向こう側に見える陸地は宍道湖の北岸(島根半島)で、北岸には国道431号線と一畑電車の北松江線が並行して通っています。曇っているのがいささか残念です。晴れていたら、さぞや神々しい風景なのではないかと想像できます。

車窓から宍道湖が消え、少し走ると、今度は出雲地方を代表する河川、斐伊川(ひいがわ)を鉄橋で渡ります。斐伊川は島根県仁多郡奥出雲町の船通山を源流とし、出雲平野から宍道湖へと流れ、宍道湖から大橋川・中海・境水道を経て、鳥取県境港市と島根県松江市の境界から日本海に注ぐ一級河川です。古くから人々に知られた河川で、日本最古の歴史書である『古事記』にも肥河(ひのかわ)という名称で記述が見られます。


砂礫の堆積により河床(川底)が周辺の平面地よりも高くなった河川のことを「天井川」と言いますが、斐伊川は日本における代表的な天井川として知られています。このため古くからたびたび洪水が起こっており、これが八岐大蛇(やまたのおろち)伝説の元になったという説もあります。実際、地図をご覧になるとお分かりいただけるかと思いますが、上流では幾つもの支流が集まり、下流も斐伊川と神戸川の2つの川に分岐しています。(島根県飯石郡飯南町の女亀山を源流とする神戸川も斐伊川水系に属する河川で、斐伊川と神戸川とは出雲平野に建設された全長4.1kmの斐伊川放水路で結ばれています。)

天井川を形成し、たびたび洪水を繰り返す原因となったのは、斐伊川の上流が風化しやすい花崗岩質の地域を貫流し、そうした風化物が大量に流れ込んだからですが、その他の原因として「たたら製鉄」の存在が挙げられます。この山陰地方の山々では古くから砂鉄の採取が盛んで、この斐伊川の上流でも砂鉄の採取と「たたら製鉄」が古代から行われていました。初期の採鉄では自然に集まった砂鉄を採るだけの小規模なものだったのですが、鉄の需要が増して以降は「鉄穴流し(かんなながし)」と呼ばれる砂鉄の採取手法が活発に用いられるようになりました。この手法は花崗岩風化堆積物からなる土砂を段階的に樋に流し、鉄とその他の岩石の比重の違いを利用して鉄を選別する比重選鉱法のことです。この方法が積極的に用いられることによって、人為的な土砂の流入が爆発的に増大しました。このため、砂礫が河床(川床)に堆積して天井川を形成し、洪水がたびたび発生しました。さらに「たたら製鉄」では大量の木炭が必要になるため、その木炭を作るために森林が大規模に伐採され、そのために洪水が起きやすくなっていたとも考えられています。

こうして発生した洪水はたびたび川の流れを変え、その都度流域の住民を苦しめました。これが日本最古の歴史書である『古事記』に登場する「八岐大蛇(やまたのおろち)」の正体だとされています。『古事記』には八岐大蛇に関して、次のような記述があります。『大蛇(オロチ)は赤く大きな目をして、一つの胴体に、八つの頭、八つの尾がある。その体には苔ばかりか、杉や檜まで生えており、長さは八つの谷を渡り、八つの山を越えるほどである。その腹はいつも血が滲んでただれている』、すなわち、上流も下流も幾つもの支流に分かれた河川で、たびたび氾濫を起こして(暴れて)流域に住む住民を苦しめたということで、斐伊川そのものです。赤く大きな目というのは「たたら製鉄」の火のことで、腹はいつも血が滲んでいるというのは川を酸化鉄を大量に含む水が流れているということだと推察されます。酸化鉄とは錆びた鉄のことで血のような赤い色をしていますし、これが砂鉄、すなわち製鉄の原料になりました。まさに斐伊川は八岐大蛇そのものです。

『古事記』の上巻に記される出雲神話の1つに須佐之男命(すさのおのみこと:素戔嗚尊とも書く)による八岐大蛇退治伝説があります。この須佐之男命による八岐大蛇退治の神話は、須佐之男命の追放にはじまります。父神・伊邪那岐(いざなぎ)神の命令を聞かず、亡き母・伊邪那美(いざなみ)神に会いたいと泣き続ける須佐之男命を父神は追放します。須佐之男命は姉である日の神・天照大神(あまてらすおおみかみ)が住む高天原(たかまがはら)に行きますが、そこで散々乱行を働いたために天照大神は岩屋戸に隠れてしまいます。日の神が隠れたことにより世界は暗闇となり災いが訪れ、これは大変と高天原の八百万(やおよろず)の神たちは計略をもって天照大神を岩屋戸から引き出し、須佐之男命を追放します。

またもや追放された須佐之男命が降り立ったのが、島根県奥出雲町の鳥髪(とりかみ)という地でした。ここは斐伊川の源流である船通山にあたります。そこからしばらく行くと、美しい娘・奇稲田姫(くしなだひめ)と老夫婦が泣いており、聞けば恐ろしい八岐大蛇に娘が食われてしまうと言います。須佐之男命は娘を嫁にもらうのと引き換えに、八岐大蛇を退治することになりました。勘のいい方ならお気づきいただけると思いますが、この須佐之男命による八岐大蛇退治とは、斐伊川の治水工事のことではないかと推察されます。すなわち、奇稲田姫(くしなだひめ)は田んぼそのものを象徴し、砂鉄や洪水で氾濫する斐伊川(おろち)が毎年のように田んぼを破壊していた。それを須佐之男命が指揮を執って河川改修工事を行い、容易に氾濫しないようにしたという解釈です。

日本の歴代天皇が継承してきた「三種の神器」(八咫鏡・八尺瓊勾玉・草薙剣)1つ、『草薙剣(くさなぎのつるぎ)』は、須佐之男命が出雲国で八岐大蛇を退治した時に、大蛇の体内(尾の部分)から見つかった神剣であるとされていますが、その草薙剣は斐伊川の河川改修に成功した御礼に「たたら製鉄」を行なっているオロチ族から贈られたものであるという解釈もできようかと思います。このように、この出雲地方は数々の神話が伝承されているところです。

ちなみに、須佐之男命や奇稲田姫命、龍、蛇が主祭神として祀られている神社、また八坂神社等、八岐大蛇にちなんで名称に“八”の字が付いた神社(その多くは須佐之男命や奇稲田姫命が主祭神)は、かつては治水工事の現場事務所として使われた建物で、洪水が発生したとしても安全な場所に位置していたことから、工事終了後は地域住民の避難所として使用されてきたと言われています。なので、そうした神社は高からず低からずのところに位置し、周囲にここが避難所であることを示すランドマークである鎮守の杜があるのだと。これは秩父今宮神社(八大龍王神社)の塩谷宮司と、大宮氷川神社の宮司さんからお聞きしました。そうそう、埼玉県さいたま市大宮区にある武蔵国一宮(三宮という説もある)の氷川神社(ひかわじんじゃ)氷川(ひかわ)”とは、この出雲国を流れる斐伊川(ひいかわ)”が訛って、氷川(ひかわ)”になったとされています。なので、もちろん氷川神社の主祭神は須佐之男命と奇稲田姫命です。

斐伊川に話を戻します。斐伊川は近世になると川の流れを人工的に変えるようになりました(川違え)。その中でも一番規模の大きい川違えは寛永12(1635)の洪水の際に行われたもので、この工事によって、それまで神門水湖(現在の神西湖)を通じて日本海に注いでいた斐伊川を完全に東向させ、現在のように宍道湖に注ぐように変わりました。

斐伊川を鉄橋で渡るとまもなく今回の『大人の修学旅行2018in出雲松江』の集合場所であるJR出雲市駅です。


……(その5)に続きます。

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